初老の男性は海を見つめていた。背中を丸め、そっとタバコに火をつける。船から大きなかごをせっせと運ぶ漁師たちを背に、ふうっと煙を吐き出した。
土産屋、民宿、カフェ……。一部の同業他社も観光船の運航を再開し、周囲には観光客の姿もちらほらあった。
日常に戻りつつある光景。男性の表情はどこか悲しげだった。そして、あれから「時」が止まっているように見えた。
2022年6月2日午後、北海道・知床のウトロ漁港。私は、4月23日に起きた観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」の沈没事故に関する取材で訪れていた。取材の目的は事故そのものではなく、「メディアスクラム」だった。
事件・事故の発生直後、メディアが遺族や関係者のもとに押し寄せて行き過ぎた取材をし、心理的な苦痛を強いたり、平穏な生活を妨害したりしてしまうことをいう。「集団的過熱取材」とも呼ばれる。
「今回もひどかった。仕事というのはわかっているけど、いつも同じことを繰り返している。自分が嫌になる」
沈没事故の発生直後、現場で取材していた新聞記者の知人にこんなことを聞き、私は5月31日に現地入りした。6月2日まで現地で証言を集め、最終日にこの男性と出会った。
「突然すみません。事故当時のマスコミの過熱取材を検証しようと思っています。お話を聞いてもよろしいですか?」
男性は手を横に振りながら「違うんで」と立ち去った。しかし、十数メートルほど歩いたところで突然足を止め、引き返してきた。私が軽く会釈をすると、こんな話をしてきた。
「どうしようかと思ったんだけどね。マスコミの取材方法については言いたいことがありますよ。あまり言いたくないが、自分は行方不明者の家族です」
(この記事は2022年6月23日にBuzzFeed Japan Newsで配信した記事で、再編集した上、記事の最下部に「あとがき」を付け加えました。筆者は同じく相本啓太です)
「事故直後にマスコミが殺到した」
6月1日、網走港に陸揚げされたカズワンが遺族や行方不明者の家族に公開された。
「家族が乗っていたとみられるその船を目に焼き付けたい」。男性はそのような思いで再び知床を訪れていたという。マスコミは網走に集まっているのか、この日はウトロ漁港に記者らしき姿はなかった。
男性は自らの名前を明かし、せきを切ったように話し始めた。
「事故直後に家族や友人の家にマスコミが殺到したんですよ。『(被害者の)写真はありますか?』『どんな人でしたか?』。心無い言葉だ」
「被害者の取材を控えるよう行政から呼びかけがあったけど、それを無視する記者が多かった。そういう社には今後も取材には応じたくない」
また、遺族がメディアの前で、「どうかそっとしておいてほしい。私たちは犯罪者ではない。報道のモラルが非常に残念だ」と強い口調で批判したことについても触れ、「その言葉を何社が報じた?都合が悪いことは報じないのか」と憤った。
「みんな、悲しみのどん底にいる。事故直後に押しかけ、『写真がほしい』と言って、テレビや新聞の人はなんでこういう取材ができるのか」
悲しみを社会と共有するため?実態は……
「テレビや新聞の人はなんでこういう取材ができるのか」ーー。男性の言葉に、私はいたたまれない気持ちになった。
記者は事件事故や災害が起きると、被害者のエピソードや写真をかき集める。
理由は、「悲しみを社会と共有することで『他人事』にせず、再発防止に向けた議論を促すため」と教えられる。しかし、自分が経験した実態は、「競争意識にかられた報道合戦」だった。
上司からは、他社よりも早く現場に行き、「地取り(証言を集める聞き込み)」をして情報を集め、当事者の顔写真を入手することを求められる。
入社後に赴任した地方支局で、「こういうもんなんだ」と先輩から教わる。発生直後に押しかけ、写真の提供を迫り、応じてもらえるまで自宅前で張り込む。
いたたまれない気持ちになったのは、自らが過去にこんな取材をしていたからだった。そして、ある「事件」の記憶がよみがえり、男性にこう言った。
「自分はお話を聞けるような人間ではないかもしれません。ただ、記者が『何でこういう取材ができるのか』については、ある程度知っています」
「インターフォンを押してくれ」
2021年、東京都在住の女性が殺害され、遺体が山の中に遺棄される事件があった。
私は当時、全国紙の社会部に所属し、警視庁捜査1課担当の「仕切り」をしていた。殺人事件などを取材する記者のまとめ役を意味する業界用語だ。
事件を知った端緒は、TBSの速報だった。午後9時半過ぎ、「女性が行方不明。事情を知っているとみられる夫婦を事情聴取」とテロップが流れた。
警視庁の担当記者は「捜査関係者」からこのような独自情報を入手するため、早朝から深夜まで刑事や幹部の自宅を訪れて非公式に取材する「夜討ち朝駆け」を繰り返す。
だが、私はこのニュースを全く覚知していなかった。いわゆる「抜かれ」は「仕事をしていない」に等しい。他社も続々とネットで情報を更新してきた。
案の定、機嫌を悪くした上司から、ひっきりなしに電話がかかってきた。
「(情報)取れた?」「『負け』てるんだから片っ端から確認しないと」「被害者のヤサ(家)は?どんな人?」ーー。
私は電話で受ける圧力に耐えながら、同じ捜査1課担当の同僚2人と奔走し、ようやく被害者の情報をつかんだ。1人を被害者の自宅に急行させると、このような報告を受けた。
「他社はまだいません」。もし家族が応じてくれれば、翌日の紙面で巻き返せるーー。しかし、仕切りの私は迷った。
愛する娘が行方不明となり、家族は計り知れないくらいの不安に包まれている。まだご遺体が発見されたという情報もなく、このタイミングで当たることは許されるのか。
一方、上司には「インターフォンを押さない」という選択肢はないだろう。これまでもメディアスクラムが当たり前だった時代の人たちに、何度も怒られてきた。
「毎日(新聞)に遺族の話が出てるじゃねえかよ!」「『がん首』(顔写真)早くとって(※報道関係者の間で使われる俗語ですが、不適切な言葉として使わないよう研修などで求める社も増えています)」「現場近くの社員が『地取りに来てない』と言ってるよ。近隣全部当たった?」
その度に、「遺族の話に抜き抜かれなんてない」などと心の中で言い聞かせてきたが、そんな上司に嫌われて左遷される記者も見てきた。
「抜かれたらまた俺の悪口大会が会社で始まるんだろうな。直属の上司もまたその上から詰められる。明日の紙面が怖い」
もたもたしていると他社が来てしまう。ごく稀に応じてくれる家族もいる。様々な感情が交錯し、私は同僚に伝えた。「インターフォン押してくれ」
捜査1課幹部からの電話
数分後、着信があった。同僚の報告だ。早すぎる。やはりだめだったか。
しかし、スマホ画面に表示されていたのは、捜査1課幹部のニックネームだった。着信を他人から見られてもわからないように登録していた。
怒りを押し殺した口調だった。
「あのさ、被害者の家の前にいる記者をはがして(立ち退かせて)。まだご遺体も発見されていない状況で家族に当たろうなんて考えられないよ」
「娘さんを失ったかもしれない家族の気持ちを考えることができないのか。仕事というのはわかるけど、君らの報道合戦に巻き込むのはよくない」
電話は一方的に切られた。その直後、同僚からも「ピンポンする前に捜査員に止められました」と報告があった。
若手の時は、事件の当事者を取材することが嫌だった。
誰だって悲しみのどん底にいる人の家に押しかけたくはない。しかし、仕事だと割り切って接触し、罵倒されたり、突き飛ばされたりした。
その度に指示をした上司を恨み、「自分は『マスゴミ』だ」と自問自答してきた。
しかし、私もいつの間にか愛娘を亡くしたかもしれない親の気持ちを考えることができなくなっていた。
「怒られないように」「抜かれないように」といった浅はかな理由で、被害者の家族を傷つけようとしていた。
捜査1課幹部の電話は、新聞記者8年目にもなっていた私に「当たり前」のことを思い出させてくれた。
着信があった際、私は「事件のネタをもらえるのかな」とも思った。とてつもなく恥ずかしい感情が押し寄せた。私はその後、上司からの電話に出ることができなかった。
マスコミにとっての大義名分
「悲しみを社会と共有することで「他人事」にせず、再発防止に向けた議論を促すため」
マスコミにとっては重要な「大義名分」だが、被害者やその家族にとっては、何の関係もない。
特に発生直後は、大量の報道関係者が押し寄せ、テレビや新聞では各種の関連報道が渦巻く。報じる側が「手段」を間違えると、当事者を深く傷つけることになる。
独自(特ダネ)記事を書くため。報道合戦に勝つため。怒られないため。上司と自分の社内評価のため。前述の事件に限らず、私も例外ではなかった。
しかし、こんな理由で目の前にいる人の気持ちを置いてきぼりにしていいのだろうか。
「『マスゴミ』と言われる現場の若手記者だけではなく、室内から指示を出すその上の意識も変わらなければ、また傷つく人が出る」
冒頭の話に戻る。男性は、海を見ながら私の話を聞いてくれた。そして、一呼吸置いて静かに口を開いた。
「憎いのは事故と、それを起こした会社。最初からマスコミを憎んでいる人はいない。でも、取材で傷ついた人が多かった」
「仕事というのも、報道の大切さもなんとなくわかる。僕らも事故を世間に忘れてほしくない。同じ方向を向いて、目の前の人を大切にしてほしい」
30分ほど話した後、男性は「もちろん家族が生きているという希望を持っている」と語った。そして、「いつか事故の話をすることができたら」と連絡先を交換してくれた。
男性が「行方不明者の家族」と明かした時、私は一瞬、記者として事故や被害に遭った家族のことを聞きたいと思った。しかし、いまはそうすべき時ではない。事故のことは尋ねないまま、男性と別れた。
申し合わせは事故から5日後
メディアスクラムはこれまでも各地の事件・事故で問題となってきた。こうした社会の不満を受けて日本新聞協会は2020年6月、メディアスクラム防止のための申し合わせを発表している。
「加盟各社は、事件・事故の被害者や遺族等の関係者に多数の記者が殺到し、メディアスクラムの発生が確実とみられる場合は、現場レベルで協議して防ぐよう万全の措置を講じる」という内容だ。
知床の事故を巡っては、発生から5日後、北海道内に取材拠点のある新聞社や放送局などが「被害者家族や関係者の心情に配慮」して取材することを申し合わせている。
代表取材などでメディアスクラムが起きないようにするといったものだ。前述の男性は「申し合わせ後は、取材がわりと落ち着いた」と話していた。
効果はあった。しかし繰り返すが、申し合わせの成立は事故発生から5日後だった。
メディアスクラムや被害者家族への不適切な取材が行われるのは、大量の応援記者や番組クルーが押し寄せる発生当日から数日間の「初動取材時」が多い。
まずは、そのタイミングでの申し合わせが必要なのではないだろうか。
2022年、山口県で起きた突然の殺人事件で愛娘を失い、いまは命の大切さを伝える活動をしている中谷加代子さんを取材した。その時の言葉が心に残っている。
中谷さんは、「悲しみを伝える報道」は再発防止に向けた議論をうむのであれば必要だとした上で、こう述べていた。
「遺族は今まで経験したことのないような渦の中にいる。冷静さを失っていることもある。報道側はその心境をまず想像してもらい、自分が同じ立場だったらと考えてほしい」
「あの時、取材に応じなければよかった。こんなことを思わせないような報道を今後もしてほしい」
2019年に川崎市で起きた児童殺傷事件や、京都市での「京都アニメーション」放火事件など、近年起きたマスコミの過熱取材にネット上でも強い反発の声があがっている。
新聞協会が2020年に発表した「メディアスクラム防止のための申し合わせ」は、こうした流れを受けてできたものだ。実際、知床の事故の時のように、取材について現場で申し合わせをするケースも出ている。
一方で前述した通り、重要なのはそのタイミングだ。
現場に任せるだけでなく、それぞれのメディアの幹部らが、つまり現場に記者を出して「取材しろ」「他社に負けるな」と命じる側が、事件・事故の発生直後から、先頭に立ってルールづくりを進めることはできないだろうか。
「申し合わせに参加していないメディアやフリーが抜け駆け取材する可能性がある」「悲しみをいち早く伝えられない」
報道関係者の間でこんな考え方も根強いことは、私も知っている。
しかし、重要なのは内輪の論理よりも、「どうすれば目の前にいる人を傷つけないか」を考えることではないだろうか。
私は自らの経験をもとに、そのように考えた。
ーあとがきー
この記事を2022年6月23日に配信した後、私のもとに全国の新聞や放送、出版などで構成される「一般社団法人マスコミ倫理懇談会全国協議会」から連絡があった。
同協議会の「第64回全国大会」にゲストスピーカーとして出席し、メディアスクラムの防止について提言してほしい、という内容だった。
私は、2022年9月29、30日に盛岡市のホテルで開かれた全国大会に出席し、「事件事故が発生した直後の取材手法について」というテーマで話した。
「メディアスクラムが確実とみられる場合は、現場レベルで協議し、メディアスクラムの発生を防ぐよう万全の措置を講じます」という2020年の申し合わせでは不十分と指摘し、「会社レベルで代表取材や会見取材を申し合わせるべき」と語った。
こうすることで、各社の競争意識に当事者を巻き込むことを防ぐことができる。
「現場に記者を出して『他社に負けるな』と命じる側が、事件・事故の発生直後から先頭に立ち、ルールづくりを進めることはできないか」とも述べた。
それから約1年半後の2024年3月21日、日本新聞協会は「知床観光船沈没事故などでの教訓を踏まえ」とした上で、2020年の申し合わせを次のように改訂した。
「可能な限り迅速に現場レベルで当事者の負担軽減策を協議し、さらに被害や当事者の居住地が広範囲にわたり広範での対応が必要と考えられる場合は、加盟各社編集局等全国レベルにおいても迅速に協議し、メディアスクラムやその類似事例が発生することを未然に防ぐための万全の措置を講じます」
私が第64回全国大会で問題提起したことが反映された形だ。あとはこの「全国レベルにおいて迅速に協議すること」を本当に実現できるかどうかだ。
報道合戦ではなく、あくまで「目の前にいる人を傷つけない」ため、会社幹部たちが先頭に立ってメディアスクラムを防止してほしい。