JR大久保駅の改札を出た瞬間から、色鮮やかな民族衣装を身につけた人々を目にする。
街を歩けば、さまざまな国のスパイスの香りがし、多言語の看板が目につく。
東京都新宿区にある大久保を8年にわたり写真に収めている中国人写真家・史涵(し・かん)さんは、大久保を「混合の地域」だと表現する。
大久保をテーマにした3回目の写真展を開催中の史さんに、ファインダー越しから見る大久保について話を聞いた。
新宿・大久保と聞くと、コリアンタウンの新大久保を思い浮かべる人が多いかもしれない。
JR新大久保駅の東側には韓国料理店などが密集しているが、新大久保駅の西側、大久保通りを挟んだ向かい側には、ハラル食品店などが立ち並ぶ「イスラム横丁」がある。
その他にも、ベトナム、ネパール、タイ、中国、台湾などさまざまな国と地域の飲食店や食材店が軒を連ねる。まさに、あらゆる民族や文化が「混合」している街並みだ。
史さんは、大久保を「日本にいながら世界が見える場所」だと話す。
「調味料の匂いや、生活の匂い。さまざまな言語で書かれた色鮮やかな看板。大久保の街は、混ざっているから面白く、いろいろな人が入ってきたり出て行ったりする変化の激しい街です。大久保はあらゆる人が受け入れられる。そんな場所だと思います」
店を訪れる人たちの国籍もバラバラだったり、店の「お隣さん」は国籍やバックグラウンドが異なる人だったりする。隣人同士が助け合い、街が成り立っている。
皆がそれぞれの母語で話している一方で、使用言語が異なる外国人同士は日本語などの共通言語で話す。街に飛び交う言語も、看板やメニューの言語も、さまざまな言葉が入り乱れる。それこそが、文化や言語が混合した「大久保らしさ」でもある。
街の変化のスピードも速い。いつの間にか、新しい外国人店主の店ができていたり、気づけば違う店に入れ替わっていたりもする。
史さんが大久保を撮り始めた8年前からも、街は大きく変わり、さらに多様な国や地域の店が増えたという。
その「変化」こそが、史さんが街の写真を撮る理由でもある。
開発の波。街の歴史を「記録する」意味
史さんが大久保の街を撮り続ける意味には、「客観的な街の歴史の記録」のほかに、これまでの自分自身の経験や目線を通して撮影することで、「自分にしか見られない歴史を撮ること」があるという。
変化が速い大久保の街だからこそ撮りがいがあり、通い続けている。
「この8年でも街は大きく変わりましたが、次の5年でもまたどんどん変化していくと思います。だからこそ細かい街の描写を写真で記録し、これまで住んできた方やこれから住む方のためにも、写真という形で今の大久保という地域の歴史を残したいと思っています」
2021年には初の大久保の写真個展「世界の大久保」、2023年には「表情:コロナ禍の中の大久保」を開催した。
3度目となる今回の写真展は、大久保の地域の「老舗」4店舗が題材となっている。
ここ数年で出来た新店舗に比べ、以前から大久保の土地で商売をしてきた店舗を「老舗」と表現している。
手打ちうどん「伊予路」の店主が足を痛め、「後継者もいないから、この代でもう終わりかな」と、ふとこぼす本音を聞き、老舗店の記録の必要性を感じた。
大久保駅前の中華料理店「興福楼」の店主からは、このまま駅前の開発が進めば、いつか店の存続にも影響が及ぶとも聞いた。
高齢化や再開発の波など、いつまで店が続くかわからないという状況の中で、大久保で生きてきた人たちの「生き様」や仕事に向き合う姿、店舗そのものを撮りたいと思った。
今回は、写真だけでなく店舗内の映像も撮り、展示している。店舗内の様子を多角的に見てもらい、そのまま記録に残したいという思いだ。
「人にも命があるように建物にも命があります。どちらもいつかなくなる命です。建物は人より強そうに見えますが、開発によって人の寿命よりずっと短くなることもある。次行った時には建て替わっているかもしれないし、廃墟になっているかもしれません」
さまざまなジャンルの音楽やバックグラウンドを持った人たちがバンドの練習やライブで訪れる「大久保スタジオM」や、アイヌ文化の発信拠点にもなっているアイヌ創作料理「ハルコロ」など、引き続き元気に街を盛り上げる店も撮影した。
情報紙の撮影で出会った大久保の人々
史さんが大久保を撮影し始め、地域の人たちと関係を築くきっかけは、参加する市民団体発行の情報紙の取材だった。
2008年に留学生として来日した史さんは、大阪で日本語を勉強した後、東京で進学。中央大学大学院で社会学を学んだ。
学校の先輩が、大久保周辺で活動する市民グループ「共住懇(きょうじゅうこん)」のメンバーだったことから、史さんも紹介されて2016年に参加。共住懇が1999年に創刊した情報紙「OKUBO」の取材・撮影に携わってきた。
取材や撮影で地域のさまざまな店舗の人たちと接し、大久保の街と人に魅せられた。一つ一つの出会いこそが、8年間にわたり大久保の街を撮ってきた理由だ。
現在は、中央大学文学研究科社会学専攻博士課程に在籍しながら、研究の側で共住懇の活動や撮影を続けている。
街から見える日本社会の未来。共に生きるとは
海外から日本へ移住し、商売を始めた人々の子どもたちは大久保で育ち、また新たな世代が築かれている。
夕方になると、幼稚園や小学校から帰ってきた、さまざまな国にルーツがある子どもたちが、店先などで遊ぶ姿も見られる。
ここで生まれ育った子どももいれば、親と一緒に移住していた子どももいる。
新宿区立大久保小学校は、さまざまなルーツを持つ児童が在籍する多様な学校として、メディアにもよく取り上げられる。半数以上が海外ルーツがある児童というクラスもある。
来日して編入した子どもたちなどのために、日本語学級も充実している。
この日本語学級は長年設置されていて、教育面から地域を支えてきた。
大久保の地域では、もちろんニューカマーの外国人と日本人の繋がりも多い。地元のお祭りは、日本人とさまざまな国籍の人々が一緒に盛り上げる。
日常の中でも、ちょっとした助け合いが見られるという。
史さんがよくカレーを食べるというバングラデシュの食材店兼飲食店では、店の上に住んでいた史さんの日本人の友人が、よく店を手伝っていた。
「あまり日本語が得意でないバングラデシュ出身の店員に代わって、仕事帰りに看板に日替わりメニューを書いたり、日本語での電話の通訳をしたり、お客さんが多い時には皿洗いも手伝ったりしていました」
別の場所に引っ越した今でも、大久保を訪れた際はまた手伝いに来ている。
何かあったら、隣近所のさまざまな国籍の人たちが手伝ってくれる。それが大久保だという。
日本語学校や専門学校が多く、外国人や日本人の若者も多く行き交う。
さまざまなバックグラウンドの人たちが共に生き、常に変化し、それでいて人々のあたたかい心を感じられる。
そんな大久保に史さんは魅せられている。
年々、外国人の人口が増加する日本社会が学ぶべき共生の姿が、大久保にはあるのかもしれない。
写真展「混合の地域 大久保老舗物語」は5月22日〜6月2日まで、大久保地域センター3階で開催される。入場無料。
5月26日(日)午後2〜4時には、大久保地域センター3階会議室Aで、史さんや、今回撮影対象となった店の店主らによるトークも行われる。
6月には、史さんが通う中央大学構内でも写真展を開催する予定。
<取材・文=冨田すみれ子>