ある宗教二世の自死をきっかけに、親からの宗教活動の強制や教義を理由にした「宗教虐待」の実態に迫った映画『ゆるし』が公開されている。
監督の平田うららさんは現在23歳。就職活動で知り合った女性に誘われ、新興宗教に入信して洗脳された過去を持つ。教団内で親しくなった同世代の信者の死を受けて、映画を制作することを決意して、300人以上の宗教二世らの声に耳を傾けてきた。
いわゆる”普通”の大学生活を送っていた平田さんはなぜ、新興宗教に惹かれ、入信してしまったのだろうか。その背景や洗脳から抜け出せた理由について振り返ってもらった。
「温室育ち」だった大学生が新興宗教に入信した理由
平田さんは神奈川県葉山町の「御用邸」近くで生まれ育ち、「親に守られた温室育ち」だったという。
「小学生の頃は学校と乗馬クラブの行き来だけの生活でした。高学年になると、父の仕事の関係で中国に移り住んだのですが、そこでは中学受験のための塾と日本人学校の往復の毎日で、社会との接点を持たないまま育ってしまったんです」
日本に帰国後、平田さんはキリスト教に基づく教育を行う中高一貫の私立女子校に進学。その学校は、バイトやSNSの利用も厳しく禁じられており、「文化祭で男性と話すだけで先生が心配してやってくるような守られた環境」(平田さん)だったという。
社会と関わることのないまま成長していくことに、平田さんはいつしか焦りを感じ始めていた。
大学に入ると、周りの友人たちと比べて「世間知らず」なことがコンプレックスになった。そんな引け目を覆い隠そうと就職活動に没頭したが、落ち続けたことで、さらに不安は増していった。
そんな時に出会ったのが、ある大手企業に勤める新興宗教の信者だった。
「その会社は筆記試験がとても厳しいのですが、その前日に手を怪我をしてしまったそうなんです。でも、神様に祈ったから奇跡的に治って受かったんだと言われました。普通なら誰も信じないと思います。
ただ、私はキリスト教教育を長く受けていて、毎日礼拝もあったので、神様が近い存在でした。世間知らずで人を信じやすいことに加えて、就活で自分を全否定されたような気持ちになっていて、素直に受け入れてしまったのだと思います」
その信者に誘われて集会に参加するようになり、自分自身を「肯定」してくれる教団が、平田さんの居場所になった。そして、集会で1歳下の宗教二世の女性と出会い、打ち解けていく。
洗脳を解いた両親の「否定しない問いかけ」
だが、しばらくするとその教団は、パートナーや友人との関係を断つことを強要するようになる。平田さんは実際、友人とは距離を置くようになったが、パートナーと別れるよう言われたことに、強く反発したという。
「キリスト教の教えでは、信者以外の人々も『隣人』と見なして大切にします。一方、私が入信していた新興宗教は、信者以外を『サタン』と見なして縁を切るように促されました。それまで教義自体に違和感を覚えることはありませんでしたが、これはおかしいのではないかと思ったんです」
別れることを拒むと、集会に参加させてもらえなくなったり、無視されたりと「いじめ」のような状態になった。
「『この宗教入らない?』と伝道していたことで、そもそも教団から縁を切るように促される前に、友人たちとは疎遠になっていました。いろんな居場所がなくなった上で、唯一の拠り所である教団でも孤立してしまう。
結局、パートナーとの縁も切れてしまい、不安になり、教団に戻ってしまいました。今振り返ると、DVを受けている女性が、加害者の元に戻ってしまうのと似た心理状態だったのだと思います」
その後、平田さんは家族の支えもあり、入信から11カ月ほどで脱会することができた。当初は、頑なに教団の教えを信じていた平田さんはなぜ、洗脳から覚めて、脱会を決められたのだろうか。
「例えば、両親に『あの宗教は危ないから抜けた方がいい』など、頭ごなしに否定されていたら、おそらく脱会できなかったと思います。なぜなら教団では、この宗教を否定するのが『サタン』なのだと教えられていたからです。
私の両親は、宗教自体を否定するのではなく、『あなたのことは信頼しているし、あなたの言うことは正しいと思っている。でも、友達や恋人と縁を切ることになって幸せなの?』と何度も問いかけてくれました。否定されないからこそ私は冷静に考えることができて『おかしいな』と気付けたのだと思います」
映画を撮り終えても、自死した友人への罪悪感は消えない
平田さんは自身に真っ直ぐ向き合い、寄り添ってくれた家族がいたから、元の自由な生活を取り戻すことができた。だからこそ、自死してしまった友人の「居場所」になれなかったことを悔やむ。
平田さんが教団内でいじめに遭っていた時も、唯一そばにいてくれたのがその友人だった。
それなのに、なぜ自分は彼女の苦しみに気付けなかったのか、何もできなかったのかーー。その葛藤を抱え続けている。
「映画を撮る上で否応なしに彼女の死と向き合いました。一度、電車に飛び込もうとしたほど苦しくなったこともありました。それは、あの子に対する罪悪感に耐えきれなくなったからです。
映画を撮り終えたからといって、自分の罪悪感が薄まることはありません。それが私が宗教虐待の実態を伝えていく大きな原動力でもありますし、ずっと背負って、考え続けなければいけないことだと思っています」