4月17日、原宿・神宮前交差点の角にオープンする東急プラザ原宿「ハラカド」の地下一階に、小杉湯原宿がオープンした。
小杉湯はこのハラカドで、銭湯を運営するだけではない。花王やサッポロビールなどの企業とパートナー連携し、地下一階のスペースを銭湯の文化を100年先も続けるための文化発信拠点として運営する。
街の銭湯に、原宿のど真ん中にある商業施設のフロアを任せる。普段なら考えられないこの決断。背景には「これまでの商業施設ビジネスから転換しなければならない」と危機感を抱く東急不動産と、「これまで通りの銭湯経営では小杉湯を100年後に残せない」と新たな道を模索する小杉湯の粘り強いやり取りがあった。
経済を前に「お題目」にされがちな文化。一方で文化を長く続けていくためには、経済と向き合わなければならない。
このジレンマに本気で向き合った末に、ハラカドは文化と経済の「交差点」を目指し動き出した。ハラカドと小杉湯原宿の舞台裏を、東急不動産の池田祐一さんと小杉湯3代目の平松佑介さんが語ってくれた。
「変わらなければいけない」東急不動産の危機感
最近、新しい商業施設ができても、「他と同じようなお店が並んでいるな」と思うことはないだろうか?
池田さんは近年の商業施設の傾向として、「オンラインで商品が購入できるようになり、新型の商業施設はショールーム化しています」と説明する。
「オンラインでの販売を前提とすると、賃料を払って商品を販売するのは『過剰投資』と捉えられることも多くなってきました。結果的に、リアル店舗にかかる費用をプロモーション費用の一部として割り切れる企業でないと、出店が難しい状況になっています」
このまま時代が進めば、リアル店舗はプロモーションコストをかけるだけの場所になり、ゆくゆくは衰退していってしまう、と池田さんは予測する。
「我々ディベロッパーの仕事は『街づくり』で、商業施設を作るなら、本来は商業施設を『街をより良くするための拠点』として機能させるのが責務だと思っています。しかし都心の商業施設で、本当の意味で地域の人が集まるコミュニティスペースの機能を果たす施設はほとんどありません。前々から『変わらなければならない』と思っていました」
そう思いながらも従来のセオリー通りにハラカドの計画は進み、元々あった建物の解体工事が始まったのが2020年3月。ちょうど新型コロナウイルスの感染が拡大し始めた時期に、リーシング(商業施設への出店営業)が始まったという。
まずはナショナルチェーンの企業から声をかけていったが、不要不急の外出を控えるように要請されたコロナ禍で、新たな商業施設に出店する話ができるような状況ではなかったという。
「ここでさらに『変わらなければいけない』という危機感が高まり、元々あった物販や飲食を中心にしたいわゆる『普通の商業施設』の計画を一回壊して、商業施設といえないような新しい場所を作っていこうと決めました」(池田さん)
そこで注目したのが、原宿という街だからこその「体験価値」を提供することだった。
ハラカドが建つ場所には、かつて「原宿セントラルアパート」があった。新進気鋭の写真家やデザイナーなどクリエイターが集い、1960年代から80年代にかけて原宿の文化の中心地だったという。
「ただの商業施設ではなく、『文化創造の拠点』として、原宿の街の人たちの日常を共に作っていく場所にしたいと思い、お声がけしたのが小杉湯でした」(池田さん)
公共の役割を民間がやる限界を感じていた
小杉湯3代目の平松佑介さんは2016年、36歳で父から高円寺の小杉湯を継いだ。地域の人々に祖父の代から愛されてきた小杉湯。その受け継いできた「タスキ」を次の世代につなぐことを考えると、銭湯の経営は想像以上に難しいものだという。
銭湯は元々、戦後の公衆衛生を支えるインフラとして生まれた。行政だけで銭湯の運営をするのは難しく、固定資産税を下げ、水道代を下げ、補助金を出すことで民間に託された。
1960年代のピーク時には、都内に約2700軒の銭湯があったそうだ。現在都内にあるセブンイレブンの店舗数に近いと聞けば、どれだけ身近な存在だったか想像がつくだろう。
その後ユニットバスが生まれ、自宅のお風呂で気軽に体を綺麗にできるようになった。結果、現在都内の銭湯の数は444軒まで減った。
平松さんが生まれた1980年代にはすでに銭湯は斜陽産業で、「大変だね。でも銭湯を取り壊してマンションを建てれば遊んで暮らせるからいいよね」と悪気なく言われていたという。
平松さんが小杉湯を継いで8年。感じたのは、「やっぱり社会に銭湯は必要だ。街の中で、銭湯は生活の一部であり、文化なんだ」ということだ。
「銭湯には子どもから高齢者まで様々な人が来て、街の縮図のような光景が広がっています。認知症の人も、介護をする人も、子どもも子育てをする人も、一人暮らしをする人も。公共的な側面を持っているからこそ、誰にとっても『居場所』になりうるのが街の銭湯で、こういう場所が社会には必要だと思うんです」
高円寺の小杉湯には、平日で400〜500人、土日祝で900〜1000人ほどが訪れる。そのうち若い世代が5〜6割だそうだ。都内の他の銭湯に比べて多くの人が訪れる高円寺の小杉湯だが、それでも経営は難しいという。
その理由の一つが物価統制だ。銭湯は戦後のインフレ対策で国が行った、生活に必要なモノの値段を抑える物価統制令の対象で、戦後唯一、未だに統制下にある。現代でも公衆衛生を担う場所として、都道府県ごとに入浴料が決められている。
お湯を沸かす燃料費や物価が上がる中、公共の役割をただ単に民間が担うだけにとどまっていては、銭湯は減っていく一方だと平松さんは話す。
「社会や街に銭湯の価値を伝えていくためにも、新しい銭湯を『プラス1』することが必要だとずっと考えていました。行政やデベロッパーさんが、新たに銭湯を作るような時代になったらいいのにと思っていました」
そう悩んでいた時、東急不動産から「原宿に来てくれないか」と相談が来た。「原宿の街に根ざした文化創造拠点を作りたい」という東急不動産の本気を感じたという。
「当初は高円寺以外でやるつもりはあまりなかったんです。でも東急不動産さんの熱量に触れて、高円寺の小杉湯を、そして銭湯の文化を100年後も社会に残して価値を伝えていくためには、新しい挑戦が必要だと決意しました」
「稼げればいいわけじゃない」経済と文化の壁をどう乗り越えた?
「原宿の街の人々の生活の一部になり、文化を発信していく」。同じ方向を見ていた両社だが、経済の中で大規模な都市開発や商業施設をつくってきた東急不動産と、公共インフラとして日常の文化を担ってきた小杉湯では、話の出発点からお金の流れから、何から何まで違った。
池田さんは「私も最初はちょっと勘違いをしていた」と打ち明けた。
「銭湯に企業の面白そうなプロモーションが掛け合わされればいいと思っていたんです。単純にビジネスモデルとしてプロモーションで稼げればいいと。でも、全然違っていました。一緒に価値や文化を作って、小杉湯を、銭湯文化を残す。そこに共感してくれる企業じゃないとダメなんだと、少しずつ目線を合わせていきました」(池田さん)
小杉湯の文化を消費して、自社のプロモーションに変えていきたい企業はいくらでもあったという。最終的に小杉湯に任された地下一階のフロアの運営も、最初は運営会社を別に入れる話があったそうだ。
平松さんは、「商業施設の運営も、これだけの広さの施設も運営したことがない街の銭湯に、企画だけならまだしも運営まで任せるのは、東急不動産さんとしても不安があって当然だったと思います」と当初を振り返る。
「でも、街の銭湯の文化を残したいという信念は、やっぱり街の人々の日常に向き合って、日々を営んでいないと生まれないものだと思うんです。この信念がないと、どこかで綻びが出てしまう。今回の挑戦は、小杉湯の90年の歴史を背負い、僕らなりに銭湯業界を背負った挑戦です。『大成功』を納めなければ次に繋がらないと覚悟を持って取り組む必要があります」(平松さん)
小杉湯は銭湯の中でも人気が高く、存在感も大きい。小杉湯が新しい銭湯を作って「やっぱりダメだった」となれば、銭湯業界や社会に「銭湯を続けていくのは無理だ」という一つの答えを出してしまうことになりかねない。
銭湯業界や銭湯文化を背負いつつ「大成功」するためには、通常の委託運営ではしないようなプラスアルファが必要だと、と平松さんは言う。
「僕たちには『大成功』しかないからこそ、銭湯の文化を体現する地下一階の運営については、東急不動産さんと結構話し合いました。最終的に任せて下さっただけでなく、『事業としての最後の責任は私たちが持ちます』と池田さんが断言してくれたのが僕にとっては大きかったです」(平松さん)
思いだけで文化は続かないが、経済に迎合すれば文化は消費されるだけ
ハラカドが原宿の人々の生活の一部となり、文化となるには時間がかかる。思いだけではハラカド自体も文化も続かないが、経済に迎合すれば文化は消費されて終わる。どうするのか。
ハラカドでは、テナントから賃料をもらうだけのビジネスモデルから、企業が情報発信の場として活用するプロモーションモデルへの転換も狙う、と池田さんはいう。
「原宿のど真ん中という立地の情報発信力を生かすのはもちろんですが、それだけではありません。ハラカドには小杉湯さんや原宿らしい雑誌の図書館などがあり、フロアごとに文化のナラティブがあるからこそ『体験』が生まれる。ハラカドでの体験を通して、企業の価値を伝えていくモデルに挑戦します」(池田さん)
これまで企業の出店担当としか話していなかったという池田さんだが、マーケティング担当と話をしてみると、テレビCMやウェブ広告など一方通行のプロモーションだけではない、別の方法を模索していたという。
「何か新しい方法でプロモーションをしたいマーケティング担当の方々と、『体験価値を提供したい』という弊社のやりたいことが一致したんです。ハラカドには、屋上から地下一階まで、文化に根ざした体験ができる場所がたくさん生まれました」
インターネットはもちろん便利だが、体験に勝るものはないと、きっと多くの人が実感しているだろう。原宿に住む人々や、原宿で働く人々が日常的にハラカドに集まり文化が生まれていく中で、人々の生活をより良くしたい、誰かを幸せにしたいと思って生まれた製品やサービスが体験できる場所を目指すという。
小杉湯が運営することになった地下一階もまた、銭湯の文化を100年後に残すために、経済的にも長く続けるための取り組みが生まれた。
「チカイチ」と名付けられた地下一階は銭湯を中心とした街のような空間で、“素に戻れる場所”を目指した「素のまま、そのまま」がコンセプトだ。このコンセプトのもとに、花王、サッポロビール、アンダーアーマーを展開するドーム、美容家電のMYTREXなど名だたる企業が集まった。
後編では、花王、サッポロビール、ドームの3社と小杉湯の関根江里子さんがチカイチについて語り合った。
「この場所の主語は小杉湯さんです」と口を揃えて語った3社。もちろん、現実的にチカイチで文化を持続的に育んでいくために、経済性も諦めていない。それぞれどのような課題を抱え、意思決定を行ったのか。後編に続く。