「カンカンカンカンカン」ーー。午前5時半。冷たい風が吹き込む函館市水産物地方卸売市場に、競りの開始を知らせる鈴の音が鳴り響いた。
仲卸業者らが目を光らせる先には、いけすで生きたまま水揚げされたイカ。漁場と市場が非常に近い函館特有の水揚げ法で、鮮度が抜群に良い。競り落とそうと、業者らは「おう!」「へい!」と太い声を出す。
市場は熱気に包まれているように見える。しかし、多くの関係者は「以前の勢いはこんなものじゃなかった」と口をそろえた。函館のイカを巡り、近年重大な異変が起きている。
漁獲量が激減しているのだ。この9年で、10分の1に減った。
(この記事は2022年11月7日にBuzzFeed Japan Newsで配信したもので、一部編集しています。筆者は同じく相本啓太です)
イカの街・函館
「函館名物いか踊り、イカ刺し、塩辛、イカそうめん。もう一つおまけにいかポッポー」。市民に親しまれる「いか踊り」だ。
3方を太平洋と津軽海峡に囲まれ、暖流と寒流が流れ込む豊かな海に育まれた街、函館。沿岸でのイカ釣り漁は明治以前から行われ、1970年代後半から「いけす」を装備する船が出てきた。イカをつかった水産加工業など製造業の発展にもつながった。
街中には「活イカ」と書かれたのぼりがあちこちに立ち、土産店にはイカの塩辛や沖漬け、イカめしなどがずらりと並ぶ。市場にはイカの釣り堀もあり、釣ったらその場で刺身にして食べられる。
しかし近年は、「もう函館は“イカの街”と呼べない」という声が地元でも聞かれるようになった。その理由は、漁獲量の激減だ。
函館市によると、2012年には2万3048トンだったイカ漁獲量(市内)は21年に2476トン。9年で約10分の1になった。
市水産地方卸売市場の「鮮スルメイカ取扱量」を見ても、ピークだった1993年度の1万3020トンから2021年度は490トンに減った。28年で30分の1近くにまで激減している。
また、函館水産試験場の調査(22年5月20〜25日)では、津軽海峡周辺から秋田県沖にかけての日本海でスルメイカの分布が「非常に低密度」だったことがわかった。
イカ釣り漁船自体も減ってきており、「漁業センサス結果報告書」によると、経営体は2008年の103から18年は74になった。
ある地元漁師は、「船を動かすにはもちろん燃料代がかかる。イカを取りにいって『ボウズ』が続いたら目も当てられない。高齢化も進んでいるし、イカは先行き不透明」と取材に明かす。
なぜイカは取れなくなったのか
「海が変わってきた」。卸売業者「函館魚市場」の平松伸孝部長はこう話す。
平松部長によると、函館のイカ漁の全盛期は20年以上も前。当時はイカ釣り漁船が1日40隻ほど海に出ていたが、減少が続いて最近は10隻の日もある。さらに、イカが取れなくなったことで単価が高くなり、イカを原料とした商品を作る加工会社や、飲食店にも影響が及んでいる。
「イカをあまり食べる機会がなくなり、地元でも『イカ離れ』が進んでいる。イカがもっと取れたら、漁師、加工会社、皆が喜ぶんだけども……」
なぜイカが取れなくなっているのか。
北海道渡島総合振興局水産課の榊原滋・漁政係長によると、イカは冷たい水を好む「冷水性」の生物だ。九州の南あたりで生まれ、北海道方面に回遊してくるが、近年は海水温が高くなってきたため、イカにとっては生まれた時から過酷な環境になってしまった。
その結果、生残率が下がって成長したイカが減り、イカの不漁につながっているとみられるという。
地球温暖化で日本近海も、函館の海も暖かくなったことが、函館でのイカ漁獲量の激減に直結している。平松さんの「海が変わってきた」という言葉の意味は、ここにある。
加えて、イカが函館まで到達する間に他国の船が乱獲していることも原因の一つと分析する学者もいるという。
漁師だけでなく市の基幹産業である水産加工会社も、イカ不漁の影響を受けている。
函館ではイカを主原料とする加工食品を生産する企業が多い。しかし、不漁による原料不足や価格高騰で一部の企業が倒産した。
これを受け、市はイカを扱う水産加工会社を対象に「魚種転換支援事業」を始めた。イカ以外の新商品製造で必要な設備投資にかかる金額の半分(上限500万円)を補助する仕組みだ。
18年度は5件、19年度8件、20年度は10件の利用があった。明治25年創業で塩辛が人気だった老舗水産加工会社も「開き加工」に挑戦するため、魚を自動的にさばく魚類裁割機を導入したという。
温暖化で「爆発的に増えている魚」も
一方で、北海道全体で急激に取れ始めた魚がいる。ブリだ。
榊原係長によると、これも地球温暖化が要因とみられる。ブリは暖かい海を好む。だから、これまでは海水の冷たい北海道まで回遊せず、青森あたりで引き返していた。しかし、海水温が上がったことで、10年ほど前からブリが北海道までくるようになった。
実際、北海道のブリの数量(漁獲時の生体重量)は、1980年は96トンだったが、2013年に初めて1万トンを超え、2020年は1万5457トンになった(北海道水産現勢)。榊原係長は、その増え方を「爆発的」と表現する。
本州以南では、ブリは食生活の中に日常的に登場する魚だ。成長段階で呼び名が変わる「出世魚」の代表格でもある。
それだけ昔から重視され、親しみも持たれていたといえる。各地で養殖されており、富山・氷見産の天然ブリは高級ブランド魚の代名詞となっている。
これだけ人気のブリがたくさん取れるようになれば、不漁になって久しいイカに代わる函館の救世主になれるかといえば、現段階では早計だ。
なぜならば、もともとブリが取れなかった北海道では、ブリを食べる文化も育っていない。函館市市場で販路を担当する木下雄二主査は、「ブリは北海道では馴染みのない魚。スーパーに道南産のブリがあるのを見て、当時はびっくりした」と話す。
データも道内でのブリの人気の無さを示している。
国の「家計調査年報」をみると、ブリの年間消費額(2人以上の世帯、2019〜21年平均)で、札幌市は全国ワースト2の1322円。全国平均(2943円)の半分以下で、1位の名産地・富山市(5956円)とは大きな差がある。
一方、このブリを北海道の食卓に根付かせ、函館のブランド魚に育てようという動きが出てきている。
ブリを北の食文化に根付かせる「じブリショップ」
JR函館駅近くの市場に2022年7月、「地(じ)ブリショップ」がオープンした。
日本財団「海と日本プロジェクト」の一環で、一般社団法人「Blue commons Japan」(函館市)が運営。漁獲量が増えたブリをおいしく食べ、イカの不漁や海洋環境の変化を考えるきっかけづくりにすることを目的としている。
店内では、サクサクとした食感が特徴の「函館ブリたれカツバーガー」や、ブリの出汁がきいた「函館ブリ塩ラーメン」などを味わえる。タレかつバーガーは中高生など若年層にも食べてほしいという思いで、ラーメンは地元に根付いている「塩ラーメン文化」と掛け合わせ、それぞれ開発した。
Blue commons Japanの高木桂佑さんは、「地元の人からすると、『ブリはパサついている』とネガティブなイメージを持つ人が多かった」と話す。
馴染みがない魚のため、スーパーにブリの刺身と切り身が2種類置いてあれば、調理の仕方がわからない切り身が売れ残っていたという。高木さんは、「ブリはまだまだ安く買われる傾向にある。調理法も含めて発信し、函館の食文化として根付かせていきたい」と話した。
Blue commons Japanは22年10月、「函館ブリフェス」を開いた。
今年で3回目の開催で、「ブリたれカツ」などを使ったメニューを飲食店に期間限定で出してもらった。
初開催の2020年に協力してくれた飲食店は20店舗だったが、22年は飲食店40店舗とスーパー19店舗の計59店舗が加わった。
函館魚市場の平松部長は、「函館のブリも冬場は脂がのってくる。定着していけば単価も上がるだろうし、新しい食文化が早く根付くことを願っている」と期待を込めた。