1999年以来の大地震の台湾。「921大地震」(台湾集集大地震)からの教訓や変化

今回の地震は、1999年に台湾中部で起きた地震以来の大規模地震だという。

台湾東部沖で4月3日午前に起きた震度6強、マグニチュード7.2の地震で、これまでに9人が死亡し、800人以上がけがをしている。

現地メディアは、地震によるビル倒壊などの被害の様子を報じている

共同通信によると、今回の地震は1999年に台湾中部で起きた地震以来、25年ぶりの大地震だという。

1999年の地震は「921大地震」「台湾集集地震」と呼ばれている。地震が起きた9月21日は「国家防災の日」に指定され、過去の教訓から学び、災害への備えを確認する日になっている。

921大地震の教訓「反省と変革の契機に」

全国治水砂防協会によると、地震が起きたのは1999年9月21日午前1時47分。台湾中部の南投県集集付近で、マグニチュード7.7という大規模地震だった。

台湾の月刊誌「台湾光華雑誌」のウェブ版などによると、地震による死者は2415人、1万1000人以上が負傷。全壊・半壊した家屋は数万〜10万戸規模にのぼったという。

建物・道路の倒壊や土砂災害なども甚大で、戦後の台湾におけるもっとも被害が大きい自然災害とされている。

日本地震学会の広報誌(2000年3月)によると、震源地の地名をとって、「台湾集集地震」と名付けられた。

発生20年の2019年、 台湾国際放送(Rti)が921大地震当時を映像で振り返っている。

大きな揺れの様子や火の手の上がる建物の映像のほか、倒壊した建物から被災者が次々に救助される様子が捉えられている。

台湾光華雑誌は921大地震について「102秒に渡って大地が大きく揺れ続けた。大地震は台湾に大きな悲しみをもたらしたが、これはまた、反省と変革の契機にもなった」とも伝えている。

震災が、台湾の山地開発や僻遠地域の整備、政府の災害対応システムといった課題を浮き彫りにしたからだという。「これらに関する現在の概念は921以降に確立されたものと言える」と説明している。

Taiwan Todayによると、その一つが、2000年に結成された「国家級災難医療救護隊」(国家災害救助医療チーム)だ。重大な災害が起きた際、発生6時間以内に指定された被災地に入り、医療活動を正常に保つ役割を担っている。

加えて、自前の災害(捜索)救助犬の訓練開始といった救助体制の強化や、地震警報システムのいっそうの整備も進んだという。

台中市霧峰区の「921地震教育園区」には、震災の脅威を語り継いで教訓や学びとするため、震災の遺構が残されている。地震が発生した断層のずれや校舎の倒壊、河床の隆起などが全て保存されているほか、博物館が併設され、震災について学ぶ場となっている。

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