能登半島地震の発生から3ヶ月が経過した石川県能登半島で、在日ミャンマー人グループが継続的にボランティア活動を行っている。
東京での街頭募金に始まり、現地のボランティア受け入れ態勢が整った後には、被災家屋の片付けや炊き出しなどをしてきた。
3月24日には、東京などで暮らすミャンマー人の有志が、珠洲市でミャンマー料理の炊き出しを行った。
まだ断水が続いている地域もあり、食料の支援が必要な被災者が多くいる一方で、炊き出しの数は減っている。炊き出しをしたミャンマー人らに、被災者からは「ありがとう」との声が掛けられた。
あたたかい料理で元気を。届けた思い
ミャンマー人有志のグループは珠洲市の道の駅すずなりで、ミャンマー料理「オンノ・カウスエ」を約150杯調理し、被災した人たちに提供した。
オンノ・カウスエは、鶏肉や玉ねぎが入ったココナッツミルクをベースとしたスープに、卵などをトッピングした、あたたかい麺料理。
調理中もココナッツミルクのスープの香りが立ち込め、炊き出しを求めてやってきた人たちが「いい匂いだね」「どんな食べものなの?」と笑顔で話しかけた。
ミャンマー料理に親しみがない人たちも食べやすいように、ココナッツミルクは通常の半分にして牛乳を入れ、麺も焼きそばの麺を使った。
「ミャンマーラーメン炊き出し中」と横断幕を掲げると長い列ができ、被災者からは「おいしいよ」「ありがとう」と声をかけられたという。
まだ肌寒い珠洲で、炊き出しに並んだ人々は、あたたかいオンノ・カウスエで体を温めた。
炊き出しにかかった費用は、在日ミャンマー人コミュニティーに呼びかけ、寄付を募った。今回は炊き出しに参加できなかったミャンマー人たちも「本当は一緒にいきたかった。支援金だけでも」と寄付してくれたという。
企画の中心となり、珠洲市との調整役などを担ったキンゼッヤーミンさん(42)を含む複数人は、東日本大震災の際にも被災地でミャンマー料理の炊き出しをした経験がある。
能登半島での地震発生を受け、「故郷の味で元気を届けたい」と今回も企画した。
炊き出しの参加者の多くは、ミャンマーで多数の犠牲者が出たサイクロン被災地支援のクラウドファンディングに携わっていたメンバー。寄付をしてくれた日本の人たちにもお礼がしたいと能登支援を企画した。
炊き出しには、ミャンマー人12人と、ミャンマー支援などに携わる日本人3人が参加した。
キンゼッヤーミンさんは「感謝の思いを込めて炊き出しをしました」と話す。
「日本とミャンマーは、これまでも互いに助け合ってきました。日本は、ミャンマーがまだ貧しい時代から人道支援を続けてくれていて、私がミャンマーにいた頃も、井戸や発電所などのインフラにも、日本政府からの寄付で建設されたと書かれているのをよく見ていました。
できることは限られているかもしれませんが、来日してからは、自分にできることを探してきました。日本とミャンマー、東京と能登は遠く離れているけれど、心は近くにあると伝えたいです。必要な時はお互い、助け合っていきましょう」
続く断水、減る炊き出し
今回は、珠洲市に連絡を取って炊き出しの場所や日時などを調整した。市の担当者は、地震発生から3ヶ月が経った今も断水が続く地域が少なくなく、日々の食事をつくることもできない人が多くいる一方で炊き出しの数は減っていると、キンゼッヤーミンさんに話したという。
「東京などの都市部から距離があることもあり、炊き出しを申請するボランティアの数も少ないということでした。少しでも次に来る団体の役に立てばと思い、持参したテントや机は寄付してきました。私たちも継続的に来たいと思っています」
報道でも復興支援の遅れが指摘されているが、キンゼッヤーミンさんも道中で、被災時のままになっている多くの被災家屋を目にして驚いたと話す。
在日ミャンマー人コミュニティーが継続的な支援
能登半島地震の発生直後、1月7日にはミャンマー人約30人が東京・JR高田馬場駅前で募金活動を実施。集まった20万831円を石川県の能登半島地震災害義援金に送っていた。
2月25日には、石川県七尾市で有志44人が、避難生活を続ける高齢者らの被災家屋の片付けなどを手伝った。このグループは、4月にも現地でボランティア活動を実施する予定だ。
街頭募金と片付けのボランティア、炊き出しはそれぞれ主催者は別だが、それぞれの活動に連続して参加した人もいた。
地震発生から時間が経過すると共に、世の中の関心も低くなっているが、ミャンマー人グループは「継続的に支援を続けていきたい」と語っている。
(取材・文=冨田すみれ子)