第二次世界大戦中、原爆開発を率いた物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの伝記映画「オッペンハイマー」が、3月29日に日本で封切られた。
アメリカから8カ月遅れでの公開で、国内での関心も高まっている。終戦から79年、核の保有により戦争を抑止するという「核抑止論」を正当化する言説が今なお根強い国で作られたこの映画は、原爆や放射能の被害に目を向けさせ、核兵器廃絶への声を高めることに繋がり得るだろうか。
「なぜ原爆が悪ではないのか アメリカの核意識」(岩波書店)の著者、宮本ゆきさんは、「オッペンハイマー」について「アメリカが開発・使用してきた核兵器の歴史について問い直すという視点は見過ごされた」と指摘。「核被害は未来の話では決してなく、すでに多くの被害を生んでいる」と訴える。
《以下、ネタバレには配慮していますが、一部映画内の具体的な描写について言及しています》
「半永久的な自己破壊者」はオッペンハイマーか、アメリカか
オッペンハイマーは第二次世界大戦中、原爆を開発するためにアメリカ政府が進めた「マンハッタン計画」を指揮した物理学者。映画では、原爆の開発から成功に至るまでの過程と、終戦後に水爆開発に反対したことを機にソ連のスパイと疑われ、失脚していく姿を描く。
本作の原案は、2006年にピュリッツァー賞を受賞したオッペンハイマーの評伝で、原題は「アメリカン・プロメテウス」(邦訳は「オッペンハイマー 『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」)。
本書でオッペンハイマーは、天から火を盗み人間に与えたギリシャ神話のプロメテウスにたとえられる。シカゴのデュポール大学で倫理学を教え、「原爆論説」や「核の時代」などの授業を担当する宮本さんは、「アメリカン・プロメテウス」という原題から、もう一つの意味を読み取ったという。
「プロメテウスは『人類に火をもたらした神』であると同時に、火を与えたことで罰を受けるも、不死であるために苦痛を受け続けた『半永久的な自己破壊者』でもあります。映画では、その『自己破壊』というテーマ性が、核を生み出し、後にそのことに苦悩したオッペンハイマー自身だけに集約されてしまっていた印象でした。
本書では言及されていないものの『アメリカン・プロメテウス』という原題からは、核兵器を保有することは、他国への脅威となるだけではなく、自国内で核実験による被害を生み出し、アメリカという国自体が半永久的な自己破壊への道を進むという示唆であると私は感じ取っていました。しかし映画はオッペンハイマーの伝記の範疇で、アメリカが開発・使用してきた核兵器の歴史について問い直すという視点は見過ごされました。これが被害者の不可視化にもつながっていると思います」
映画でオッペンハイマーは、原爆投下の判断を下したのはアメリカ政府であり、「原爆は作ったが、使い方に関する権利や責任は我々(科学者)にはない」と言う。
広島・長崎への原爆投下後には、投下を命じた当時のトルーマン大統領の前で、「私の手は血で塗られた」と語るシーンもある。トルーマンは「投下したのは私だ」と自賛を込めて返すが、その原爆投下により数十万人の民間人が無差別に犠牲になり、またその前段階で行われた核実験に伴う放射能汚染で住民に健康被害をもたらしたことの「責任」について、映画で十分に追求されているとは言い難いだろう。
核兵器とジェンダー表象
オッペンハイマーやトルーマンをはじめ、マンハッタン計画を主導した陸軍将校のレズリー・グローヴスや、戦後に水爆開発をめぐりオッペンハイマーと対立した海軍将校ルイス・ストローズなど、ストーリーの主要人物は、核兵器という巨大な力のもとに集まった、社会的な「強者」の立場にいた男性たちだ。
ワシントン・ポストによると、実際には、マンハッタン計画の地であるニューメキシコ州のロスアラモスでは640人の女性が働き、多くは管理職で科学者だったという。しかし映画では、マンハッタン計画に携わった女性の科学者はごくわずかしか登場しない。
主な女性の登場人物は、オッペンハイマーの妻で生物学者のキティと、かつての恋人で結婚後も関係を持ち続けた精神科医で共産党員のジーンの2人だ。その描かれ方を、宮本さんはどう感じたか。
「キティとジーンは科学者と医師であり、当時の『知識層』にいた女性。オッペンハイマーとの関係以外の部分でも様々なバックボーンがあったはずですが、そこはほとんど省かれていました。キティはマンハッタン計画の指揮者の妻ということで、夫を支えるために専業主婦となり、そうした『役割』への抗いも感じるキャラクターではありました。しかし、2人の女性は精神的な不安定さが印象付けられ、男性に対して付加価値をつける女性ではなかったという描かれ方で、彼女たちの内面は見えづらくなってしまっていたと思います」
広島と長崎に投下された原爆に「リトルボーイ」と「ファットマン」という男性を表すコードネームが付けられたように、核兵器とジェンダー表象の問題は密接だと宮本さんは指摘する。「力を持つこと」と男性性が紐づけられた一方で、核抑止論の基盤が作られた1950年代には、原子力と女性を重ね合わせ「手なずける」対象として表現された。こうした核をめぐる旧来的なジェンダー規範は、男性の科学者や軍人をメインに据え、女性を周縁化する映画の構造にも垣間見える。
核兵器は「いつか起こり得る脅威」なのか
「オッペンハイマー」では、彼らが行った核実験や原爆投下のもとで、命や健康、土地を奪われた人たちについても深くは掘り下げられていない(詳しくは、前編記事を参照)。
このような映画の作りは、アメリカ社会で「核兵器による被害者が不可視化」されてきた構造が、そのまま反映されていると、宮本さんは考える。その「被害者」には、原爆の犠牲者、核実験で引き起こされた放射能の被ばく者、実験場のために土地を奪われた先住民なども含まれる。
現在、世界には九つの核保有国があり、アメリカはロシアの6375発に次いで2番目に多い5800発を保有している。1945年、広島に原爆が投下される3週間前の「トリニティ実験」以降、これまで1000回以上の核実験を行ってきたが、その深刻な健康被害や環境汚染は十分には知られておらず、満足な補償を受けられていない人も多数いる。核実験は人口密集地を避けて行われ、元々は先住民族の土地や旧植民地であることが圧倒的に多い。
被ばく者が社会から見えにくくなっているため、現代において核兵器の脅威が語られる時、「すでに起きている被ばくは認識されにくい」と宮本さんは指摘する。さらに、「冷戦期の旧ソ連との対立の文脈で、“いつか起こり得る脅威”として語られる傾向が強い」という。
「映画では、核兵器によりこの先地球が滅亡しかねないと暗示するようなシーンが繰り返されます。そうした表現は今の世界情勢に対し、核の恐怖を訴えるという点では大きな力があるとは思いますが、映画の作り手・受け手ともに、すでに核の被害者がいるということを認識しているのかという懸念も抱きます。核被害は未来の話では決してなく、すでに地球環境を破壊し、人間の命と心身に深刻な影響を与える人権問題として多くの被害を生んでいるのです」
アメリカの市民の間で、被ばく者の存在が認識されにくいことの背景には、原爆投下直後から、放射能の人体への影響を隠してきた米軍の影響も大きい。
「マンハッタン計画に参加した医師は、戦後に広島・長崎を訪れ、原爆の被ばく者らが放射線の影響を受けていることを、マンハッタン計画の責任者だったレズリー・グローヴスに報告しました。しかし、グローヴスは、その後の連邦議会で、原爆投下が人体に及ぼした放射線の影響を隠蔽しました。また、医師らも、自身に放射線障害らしき症状があったことを資料に書き残していましたが、症状と放射線の関連を自覚できずにいました。その経緯は、医師の一人だったジェームズ・F・ノーランの孫で、ウィリアムズ大学社会学教授のジェームズ・L・ノーラン氏の『原爆投下、米国人医師は何を見たか』でも記されています」
広島の被ばく者が特典映像で紹介されるが…
クリストファー・ノーラン監督は、日本公開に伴い、新聞や放送局など日本メディアの取材に応じているが、広島と長崎の被害については言及していないとみられる。NHKのクローズアップ現代は、「被爆国・日本へのメッセージを求めましたが、『映画をどう見てほしいか明言したくない』などとして回答は得られなかった」と報じている。
アメリカではすでにパッケージ版も販売されており、特典としてオッペンハイマーのドキュメンタリー「To End All War: Oppenheimer & the Atomic Bomb」も付属。映画を配給したユニバーサル・ピクチャーズと同じくNBCユニバーサル傘下のNBC News Studiosが制作した。
このドキュメンタリーには広島の被ばく者も登場しているが、映画では描かれなかった原爆の被害について補完する内容と言えるのだろうか。宮本さんは視聴した上でこう指摘する。
「ドキュメンタリーには、広島で被ばくし、広島平和大使も務めた田村秀子さんが出演されています。原爆投下前の広島の街や自身の被ばくについて話していますが、全体で90分ほどある映像のうち、田村さんの証言は2〜3分程度。多くはオッペンハイマーの青年時代からレッドパージまでを追う構成で、原爆や核実験の歴史を補完したり、その被害を十分に伝えたりする内容とは言い難いでしょう」
一方で注目したのは、被ばくで皮膚がケロイドになった人々の映像が挿入された点だ。これは科学者たちが観た原爆の被害を写したフィルムのひとつだといい、映画ではオッペンハイマーが目を逸らすシーンとして描かれた。
アメリカで原爆投下が伝えられる時は、キノコ雲や被爆地で破壊された建物の被害がほとんどで、人的被害は伏せる傾向にあるといい、「被害の実態を伝えようとする姿勢も感じられた」と話す。
核への肯定的な言説に、対抗するために
原爆投下から2025年で80年が経とうとする今、アメリカで広島や長崎の原爆被害が急速に忘れられていることに、宮本さんは危機感を募らせてきた。日本国内であっても、被ばく者は高齢となり、後世に語り継ぐ人たちは少なくなっている。原爆の被害に遭いながらも、国の指定地域外にいたなどとして「被爆者」と認められていない人々もいて、認定をめぐる訴訟は今も続いている。
国連の核兵器禁止条約は2021年に発効されたが、核保有国に加え、日本も批准していない。アメリカは禁止条約に反発しており、日本も、同盟国であるアメリカの核兵器が抑止力となり、「核の傘」によって自国が守られると考えるためだ。
核兵器廃絶を世界に向けて呼びかける一方で、日本政府は禁止条約には否定的な姿勢を見せている。こうした状況に、市民レベルで何ができるのか。アメリカの学生たちと広島・長崎を訪れ、日本の被ばく者団体が訪米した際には交流の場を設けるなどの活動をしてきた宮本さんは、被ばく者たちの連帯に、被害の可視化と核廃絶に向けた議論の活性化の可能性を感じているという。
「昨年11月に長崎の被ばく世代・2世・3世の方々と、アメリカで交流会を行いました。3世の大学生は、核の被害を伝えるため『Do you know HIBAKU-SHA?』と書かれたバッジなど作成していて、若い人たちとの架け橋を作ってくれた。
もちろん、一言で被ばく者と言っても決して一つに括れるものではなく、被害のありようや補償の有無、核の認識の違いなどがありますし、『語らない』という選択肢もあります。それらに留意した上で、アメリカ、日本の広島・長崎、マーシャル諸島など各地の被ばく者と繋がり、何が起きたのか生身の言葉で語ることは、核抑止論のもとで核兵器を正当化する言説に対抗するものになりえるのではないでしょうか」
(取材・文=若田悠希、國﨑万智/ハフポスト日本版)
【宮本ゆきさん】
広島県出身。シカゴ大学大学院で修士・博士号を取得。被ばく被害と倫理に関する研究を行い、デュポール大学(シカゴ市)で20年以上にわたり倫理学の講義を受け持ち、「原爆論説」や「核の時代」などの授業を担当している。2005年以降、学生たちと広島・長崎を訪れる短期の研修プログラムも行っている。