「虹だと思っていたものが、ただの蜃気楼だった」
ある韓国のアイドルファンの女性は、ずっと応援していた「推し」が性犯罪者になった時の落胆を、そう表現した。
これは、韓国のドキュメンタリー映画「成功したオタク」の一場面。2018年、韓国芸能界でアイドルや歌手らによる性犯罪事件が起きた。本作は、この事件で実刑判決を受けた歌手のファンだったオ・セヨン監督が、自分と同じく、推しが性犯罪者となり傷ついている友人たちを訪ね、話を聞いたり思いを打ち明けあったりする様子を追う。
「犯罪者のファン」になった私たちは加害者なのか、被害者なのか。犯罪者を「擁護」する時、そこにはどんな気持ちがあるのか。ファン同士の対話を通し、そんないくつもの問いに向き合って、ひとつひとつを紐解いていった。
インタビューでオ・セヨン監督は、カメラを回し始めた最初の原動力は「怒り」だったと語った。
「推し活は安全な空間」。でも推し自身により、それが脅かされた
1999年に釜山で生まれたオ・セヨン監督は、中学生の時から人気歌手、チョン・ジュニョン氏(※)のファンだった。イベントで「オッパ」(女性が兄や年上の男性を呼ぶ際に親しみを込めて使う「お兄さん」という意味の言葉。好きな年上アイドルに対しても使われる)から認知され、テレビ番組で共演するなど「成功したオタク」になった。自分の人生に与えた影響について、映画の中でこう回顧する。
「初めての電車 初めて行ったソウル 初めての外泊 初めて買ったアルバム 初めて好きになった人 たくさんの“初めて”に彼がいた」
だが、次に続くのはこんな言葉だ。
「でも“初めて”の裁判所は必要なかった」
事件が起きたのは、好きになってから7年が経つ頃だった。「失敗したオタク」になったオ・セヨン監督は、チョン・ジュニョン氏の裁判の傍聴にも行った。
2016年の江南駅通り魔殺人事件をはじめ、2010年代後半の韓国では女性を標的にした殺人や暴行事件が後をたたず、デモなどのフェミニズム運動が広がっていた。
高級クラブで起きたバーニングサン事件(※)では、客への性的接待や、女性への性暴力、それを違法に撮影した動画をチャットルームで共有するなど、卑劣な犯行が次々と明らかになった。盗撮動画の共有には、チョン・ジュニョン氏を含む複数の人気アイドルや歌手が関わっており、大きな社会問題になった。
オ・セヨン監督の怒りは、女性をモノ扱いし性犯罪を犯した「オッパ」、そして、彼を擁護し続ける一部のファンに対して湧き上がったものだった。
「社会の理不尽さや抑圧から開放される、安全な空間を求めて推し活にハマる女性は多いと思います。そしてだからこそ、推し自身によってその安全が脅かされた時のショックと怒りが大きいのです」
(※)バーニングサン事件:高級クラブ「バーニングサン」で起きた暴行事件をきっかけに、性的暴行や盗撮、薬物使用などの疑惑が浮上した。クラブの役員で、当時BIGBANGのメンバーだったV.I氏は、売春あっせんなどの罪に問われ、2022年5月に懲役1年6カ月の実刑判決が確定。2023年2月に出所した。
「ファンの責任」を問う報道への疑問
アイドルのファンの中には、CDやグッズ、広告に起用された商品を大量に購入するなど、お金も時間も注ぎ込むことで、その人気を支える人もいる。メディアで推し活が取り沙汰される時、その「過剰さ」が強調されることも多くある。
バーニングサン事件の報道が連日続いていた当時は、そうしたアイドルや芸能という産業を成り立たせる消費者であるファンの「責任」を問う声もあったという。オ・セヨン監督は、それについては複雑な気持ちを抱いたと明かす。
「もちろん被害にあった方を傷つける言動などの二次加害はあってはならず、事件が明るみになった後にファンがどう行動するかは大事です。いまだに『彼は騙されただけ。代わりに罪を着せられた』と主張する人は、裁判で明らかになった事実に目を向けるべきです。
でも、時として、罪を犯した本人よりも、ファンのほうが悪く言われることには疑問があります。特に男性が起こした性加害事件について、女性が大半を占めるファンが責められるのはなぜなのだろう、と」
これまで「ファンは日の当たらない存在」だったが、ドキュメンタリーでは、そのひとりひとりの顔と声に目を向けることが大事だと感じたという。本作には、推しが性犯罪者になった女性のファンが実名顔出しで何人も登場する。
「ファンがカメラの前に顔を出したことで、ようやく人間として扱われた気がします。事件以前から、ファンは、時に『猛烈ファン』と揶揄され、蔑視や軽視をされてきました。けれど、私たちは『愚かなファン』なのでしょうか? ひとまとめにされるファンダムですが、その中にいるのは一人ひとり異なる考えを持った人間であり、一人の中にも複雑で割り切れない感情があります」
「自分が調子に乗らせたのではないか」
推しが犯罪者になったら、ファンも加害者になるのか。罪に加担したことになるのか。この問いに、メディアや世間に「批判される」対象としてではなく、自ら向き合ったのがオ・セヨン監督であり、「成功したオタク」である。
芸能人による性犯罪の多くは、立場や力関係の差を利用したものだ。バーニングサン事件では、地位のある男性たちが女性を「商品」と扱い、それにより財を成していた。
自分の好きなオッパも、その「権力を利用した男性」だったとわかった時、本作に登場するファンたちは、「私たちがアルバムを買ったお金をもとにこんなことを」「自分が調子に乗らせたのではないか」と憤り、思い悩む。
「アイドルや歌手がデビューするまでは自分の実力によるもの。ですが、その人が人気や地位を得てスターになるまではファンの力が欠かせません。オッパに地位や権力を持たせたのは、ファンである自分なのではないかと思いました。
事件が明るみになるまで、私は本当にオッパのそうした一面に気づかなかったのか。目を逸らしていたのではないかと罪悪感を抱くようにもなりました」
オ・セヨン監督はカメラを持って友人たちを訪ね歩く中で、過去の自分とも向き合い始める。
擁護するのは、自分を守りたいから?
チョン・ジュニョン氏は、バーニングサン事件の数年前に性的な映像の不法撮影容疑などで捜査を受けていたが、嫌疑不十分で不起訴処分となっていた。
オ・セヨン監督は、当時を「オッパは絶対そんなことをする人ではないと信じていた。彼の考え方や人柄、好きな音楽に食べ物、全部を知っているつもりになっていた」と振り返る。
映画では、疑惑を報じた記者にも会いに行った。その記者は「性犯罪者と決めつけた記事を書いた」として当時ファンから責められ、オ・セヨン監督も「悪者扱い」していたという。記者に謝罪をして事件時の心境を互いに語り合い、「長年の友人のような」関係を築いた。
「推しを擁護したい気持ちは、自分を守りたい気持ちから起こるのではないでしょうか。ファンは、自分の顔を鏡で見るより、モニターの中の推しの顔を見る時間のほうが長いですよね…。だからなのか、自分と推しを同一視してしまいます。
自分が一度信じたものを否定するのは難しい。『あの人は間違いを犯した』というだけではなく、自分の選択が間違えていたと認め、自分を責めることになるから。でも大事なのは、その人は『私ではない』と気づくこと。そして、他人のことは100%はわからないと理解すること。時間がかかる人もいると思いますが、この2つから、現実を見つめることができるのではないでしょうか」
推しを庇おうとするファンへの怒りを感じていたため、映画を撮り始めた当初はそうしたファンに会いに行き、問い詰めようと考えていた。しかし、それはやめることにした。
「最初はこれだけひどい性加害をして、まだ擁護するファンはおかしい、理解できないと思っていました。しかし映画を撮りながら、私がもっとも向き合うべきなのは自分自身だと考えるようになりました。自分も、かつてオッパを擁護した。その気持ちは知っているし、自分から切り離してジャッジする立場にはない。誰かを傷つける必要はないとわかったのです」
フェミニズムと推し活
本作の冒頭には、事件を受け「もう誰のファンにもならない」と独白する監督のナレーションが挿入されている。
性加害ではなくとも、女性に対する差別的な言動が問題視されたアイドルや歌手は、これまでも多くいた。「残念だけど、これからも起きるかもしれない」とオ・セヨン監督は言う。
「自分の中では、フェミニズムを追求することと、アイドル、特に男性アイドルを応援することを並行するには、矛盾を感じる瞬間が多すぎます。男性優位な社会を変えたいのに、自分は男性のアイドルや歌手が好きで、その人気を支えていることに葛藤してきました。心の奥で常に注意深くなり、彼らが何か問題を起こさないかハラハラしているというか…。でも、その矛盾を考えること自体が大事だと今は思っていて、友人たちとも、よくそういう話をしています」
オ・セヨン監督自身に今は推しがいないという。興味を持っても疑う気持ちが芽生え、「事件の影響は否定しきれない」と苦笑いを浮かべた。
一方で、友人たちの中には新しい推しを見つけた人もいる。推し活に没頭する姿を見て、「怒りや失望が消えたわけじゃない。だから以前とまったく同じではないけれど、心から幸せそうに見える」と感じている。
「もう誰のことも好きにならないと心に誓っても、誰かを好きじゃないまま生きていくことは難しい。この人は問題を起こさなそうだから、安全そうだから…と選んで好きになれるわけでもありません。
撮影にかけた2年間、ソンドク(成功したオタク)とは本当はどんなファンのことを言うのか考え続けました。母が言っていた『好きになった過程が重要』という言葉も、それを考える支えになりました。
今は、推しに顔を覚えてもらったりサインをもらったりすることにあまり興味がありません。でも、時間はかかるかもしれませんが、私はまたソンドクになりたいと思っています。その時は、『私はその人のすべてを知っているわけじゃない』という気持ちを忘れないでいたいです」
(取材・文=若田悠希/ハフポスト日本版)