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日本サッカー協会(JFA)の新しい会長に、Jリーグのガンバ大阪やヴィッセル神戸でプレーし、日本代表としてW杯にも出場した宮本恒靖氏の就任が決まった。
1977年生まれの47歳。NHKの報道によると、元JリーガーでW杯に出場経験がある人の就任は初めてだという。
宮本氏は3月23日に記者会見し、所信を表明。会長就任にあたって立てたマニフェスト(公約)が「八つほどある」と語り、その一部を明らかにした。
一つは日本代表の強化。男子に関しては「サムライブルーがワールドカップで最高順位を取るということにつなげていきたい。(これまでで最高の)ベスト16という壁を越えて、さらにその先にいけるようにサポートしていく」と語った。
女子の「なでしこジャパン」についても「再び世界一を目指す。ワールドカップだけではなくオリンピックもチャンスがあると思う」と述べた。
二つ目は女子サッカーの振興。「世界的な投資の流れがあるとFIFAのインファンティーノ会長も話している。そこも意識しながら2031年の女子W杯の招致を目指していきたい。WEリーグの地位向上が必要。たくさんの女子選手がプレーできるような環境を作っていきたい」と語った。
三つ目はJFAの魅力をさらに高めること。「日本サッカー協会が持つコンテンツ的な価値を今以上に高めるようなチャレンジや試みをしていきたい」と述べ、収入増を目指すことやパートナー企業との連携強化、「サッカーを通じた社会課題の解決」を目指すと話した。
Jリーグでは通算337試合に出場し8得点。日本代表では国際Aマッチに71試合出場し、3得点というキャリアを持つ。ヨーロッパでのプレー経験もある。2018〜21年にガンバ大阪の監督を務め、その後、JFA専務となっていた。
サッカーを始めたのは、小学4年生の時にテレビでマラドーナ選手の活躍を見たのがきっかけで、それまではソフトボールをしていたという。
15歳でガンバ大阪ユースに入り、1993年にはFIFAのU-17世界選手権に出場、ベスト8進出に貢献した。Jリーグではガンバ大阪の主力選手として活躍し、日本一の栄冠にも輝いた。
宮本氏の輝かしい戦歴の中でも、最も記憶に残るのは2002年の日韓W杯での活躍だろう。
大会直前の大学生との練習試合で相手選手と接触して鼻を骨折。出場が危ぶまれたが、鼻をかばう黒いフェースガードを着け、キャプテンマークを腕に巻いて試合に出た。その印象的な風貌ゆえに、欧米メディアから「バットマン」と呼ばれ、日本代表サポーターの仮装スタイルとしても定番の一つになった。
トルシエ監督の下で、日本代表はグループステージでロシア、チュニジアに勝利して決勝トーナメントに進出。母国開催となったW杯で日本代表として初の勝ち点、勝利、グループステージ突破を達成した。
この時に達成している「ベスト16」を超えるというのが、宮本新会長の抱負の一つなのである。
就任記者会見でも、サッカー界で仕事をしようと決意したきっかけとして日韓大会での経験を挙げ、「自分ひとりだけではなかなかできないこともある。たくさんの人を巻き込みながら日本のサッカーをよりよくしていきたい」と語った。