「地震、大丈夫だった?」福島に住み、何の被害にも遭わなかった男性。だけれど「大丈夫なんて絶対に言えない」【東日本大震災13年】

福島県の被害が少なかった地域の出身だという明典さん。「ニュースの中の福島と、目の前の光景は別世界でした」と当時を振り返ります。
津波に襲われ、倒壊した家屋(2011年3月12日、福島県南相馬市)
津波に襲われ、倒壊した家屋(2011年3月12日、福島県南相馬市)
KAZUHIRO NOGI via AFP

「地元を出た瞬間、『出身どこなの?』と、ほぼ必ず聞かれるようになりました。僕はいつも、答えにためらってしまいます。福島出身だと言うと、ほぼ必ず『地震、大丈夫だった?』と聞かれるからです」

東日本大震災から13年。あの日から、東北3県は「被災地」と呼ばれるようになった。だが3県の中にも、大きな被害に遭っていない人もいる。東京都の会社員・明典さん(29)=仮名=もその一人だ。

「この13年、『大丈夫』って何なんだろうって、ずっと考えて生きてきました。僕の身の回りには幸いなことに、直接的で大きな被害は、何もありませんでした。でも『大丈夫だった』なんて、簡単には言えません。友人はいとこを亡くして泣いていました。命を落としたり、原発事故などによって地元を離れたりする人がたくさんいることも知っています」とした上で、こう語る。

「 『地震、大丈夫だった?』と言う直前に、東北3県や被災者が置かれる現状について、一度想像してもらえたらなと思っています」

(※記事中には被害の描写が含まれています。フラッシュバックなどの心配がある方は注意してご覧ください)

◆テレビの中と、目の前の「福島」は別世界だった

明典さんは、福島県内で生まれ育った。自身の子ども時代を「野球とか漫画が好きで、どこにでもいるような、あまり『特徴』がない子だったと思います」と振り返る。

2011年3月11日午後2時46分。明典さんは当時高校生で、野球部の練習中だった。大きな揺れを確認し部活は中止に。明典さんの住んでいた地域は震源地から遠く、県内では被害が小さかった。地震直後は「それなりに大きな地震」だと思っていたが、学校の先生から、県内の東側を中心に津波などの甚大な被害があったと伝えられた。

帰宅後にニュースを見て、身震いがしたことを今も覚えている。津波が街を飲み込んでいく映像に、「本当に、同じ福島なのかな」と信じられなかった。その後、余震などで怖い思いはしたものの、身の回りで大きな被害はなかった。全国ニュースで見る福島と、目の前に広がる光景は、全く違うものだった。

ある日、仲の良い友人が「明典も会ったことある俺のいとこ、覚えてる?あの子、亡くなったんだ…」と打ち明けてくれた。また、3.11で津波に家をのまれた被災者が、明典さんの近所にある親戚の家に仮住まいしていると聞いた。

後に、原発事故のニュースとその人が置かれる実情が重なっていることに気付き、「画面の中にあった出来事が、別世界のことではないんだと、少しずつ実感が湧いてきました」と振り返る。

◆「大丈夫って、何だろう」

福島のために何かがしたいと思い、高校時代は立候補して募金活動に取り組んだ。その後、進学で関東に行くことを決めた。大学ではすぐに、ある種のカルチャーショックに直面した。

「どこ出身なの?」

新しいクラスやサークル、アルバイト先…。地元では一切聞かれたことのなかった質問をされるようになった。「福島だよ」と返すと、ほぼ必ず「地震、大丈夫だった?」と聞かれた。

「俺は大丈夫だったよ」と答えるたびに、どこかもどかしさが募っていった。今まであまり特徴がなかった自分。だが言葉が正しいかはわからないが、「福島出身」は3.11後、他の人から見ると特徴なのかもしれないと感じた。

「大丈夫って、何だろう」。自分は確かに大きな被害は受けていない。幸いなことに、父も母も弟も自分も、みんな元気だ。それは恥ずべきことではないことはわかっている。ただ東日本大震災で、亡くなったり、もしくは大切な人の命を失った経験をしたりした人が、地元・福島にはたくさんいる。

「今こうやって、幸せに生きていることに、後ろめたさがあるのかな」「でもこの感情こそ、エゴというのかもしれない」など、頭の中でいろんな意見がぶつかり合った。答えは出なかったが、ただ1つ、明確に言えることがあった。「自分は大丈夫だったよ」だけで済ませたくないということだ。

それからは、地元のニュースを意識的にチェックするようになった。そして、「地震大丈夫だった?」と聞かれるたびに、「最近防波堤の議論が進んでいるみたいで…」「この前、原発事故で地元に帰れない方のニュースを見て、いろいろ思うことがありました」といった、リアルタイムの話をするようになった。

だが、「へえ…」「そうなんだ」といった反応が多い。それをみる度に「何のために、『地震、大丈夫?』と聞くのだろう」という思いが募る。

「もちろん、雑談の1つということはわかります。でも自分にとっては、雑に話せるような話題ではないんです」

◆「地震大丈夫だった?」の先にある現状を想像してほしい

明典さんは「この13年間、『地震、大丈夫だった?』という問いに、言葉にしにくい感情を抱いてきました。もし、僕が誰か大切な人を亡くしていて、正直に答えたら、聞いた人はどう思うのでしょうか」と問いかける。

「聞くのをやめてほしいわけではないんです。むしろ聞くからには、その問いの先にある実情について、想像してほしい。大丈夫じゃなかった人もたくさんいます。僕みたいに、直接的な被害はなくとも、故郷を思うと大丈夫とは言えない人だって少なくないはずです」

「一方で、福島=かわいそう、というイメージにも違和感があります。災害でつらい思いがあった人ももちろんいますが、少しずつ前を向いて、今楽しく生活を送っている人だってたくさんいます」

この13年間、さまざまな災害報道があった。だが後世に残すべき課題や思いが「風化」しているという指摘もある。だが明典さんは「風化」という言葉自体に違和感が2つあるという。

「そもそも、震災の後もいろんな変化があります。それをしっかりと伝え続ければ、風化している暇はないんじゃないかと思うんです」

「それに風化以前に、そもそも自分ごととして捉えたことがない人も少なくないんじゃないかなと感じています。偉そうなことを言っていますが、僕も福島出身でなければ、同じだったかもしれません。ただまわりに、もしかしたら災害で大切な人を失った人がいるかもしれません。そういった想像を日頃からすることで、ほんの少しでも生きやすくなる人がいるのは確かだと思うんです」

※2022年3月の記事を再取材、加筆・修正した上で掲載しました。

<取材・文=佐藤雄(@takeruc10)/ハフポスト日本版>

注目記事