1月1日に発生した能登半島地震では、キリコ祭りをはじめとした伝統行事にも被害がおよび、一部では再開や継承を不安視する声も上がっている。
過疎化や人口減少を背景に、地域の伝統行事はこれまでも担い手不足などの課題を抱えてきた。その一方で祭りや芸能は、2011年に起きた東日本大震災のように、災害時に地域の人々を励まし、コミュニティー内外のつながりを作り直すきっかけになったとも報告されている。
祭礼行事や民俗芸能といった無形民俗文化財が被災するとはどういうことか。またその再生支援は、地域社会の復興においてどのような意味を持つのか。
東北の被災地でフィールドワークを重ねてきた、東北大学の高倉浩樹教授(社会人類学)に聞いた。
復興の象徴となった伝統行事
ーー東日本大震災では、地域の民俗芸能や祭礼行事をめぐってどのようなことが起きていたのでしょうか。
東日本大震災で特徴的だったのは、祭りや芸能といった地域の伝統行事に注目が集まり、復興の象徴として捉える見方が広がったことです。発災から数ヶ月という早い段階から、犠牲者を悼むために各地の民俗芸能が次々に再開され、そうした「復活劇」に復興への希望が重ねられました。
たとえば、宮城県東松島市の大曲浜地区は、津波で壊滅的な被害を受けて全面移転を余儀なくされました。この地に約350年前から伝わる「大曲浜獅子舞」(市の指定無形民俗文化財)は、道具の大半が流されるなどして当初は存続が危ぶまれたのですが、支援を受けて獅子頭を新調。2012年の正月に仮設住宅などで再開を果たします。これがメディアに取り上げられると各地から声がかかり、県外だけで1年間に18回の招聘公演が行われました。慰霊や復興祈念といった新たな役割をまとい、人々を元気づける存在となった事例の一つと言えます。
ーーこうした中、行政の側ではどのような動きがあったのでしょうか?
行政の側では「災害公営住宅の整備」や「宅地の耐震化」とともに、「無形民俗文化財の再生支援」が復旧期の具体的な施策の一つに組み込まれました。岩手、宮城、福島の3県が策定した復興計画ではいずれも、民俗芸能などの伝統文化が文化財保護の対象であるだけでなく、暮らしの再建や地域コミュニティーの再構築につながるものとして位置付けられたのです。
3県はそれぞれ文化庁の補助事業を活用し、地域文化の復興プロジェクトを立ち上げました。背景には、未曾有の災害によって各地の文化が一挙に失われてしまうのではないかという危機感もありました。被災した無形民俗文化財の調査が行われることになり、東北大学に所属していた私は、宮城県からの委託で2011年11月から他の研究者とともに沿岸部での調査を始めました。
ーー無形民俗文化財の被災調査とはいかなるものでしょうか?
美術工芸品や建造物といった有形の文化財と異なり、無形の民俗文化財には「形」がありません。それはすなわち、担い手が亡くなる、道具や場所が失われる、さらには基盤となる地域コミュニティーが離れ離れになるなど、多様な被災パターンがあることを意味しています。
調査では、地元の教育委員会の協力も得て、主に民俗芸能の伝承を担う保存会や地域住民の方々にお話を伺いました。行事が震災前にどのように営まれていたのかを聞き取り、被災状況を確認し、必要とされる支援や再開の過程について具体的に記録していきました。各地域の調査記録はインターネットで公開し、冊子としても配布。その後、分析編として研究者らの論考を収めた書籍も刊行しています。
ーー民俗芸能などに対しては、どういった支援が行われたのでしょうか?
練習や公演の場を提供する、記録を残すなど、さまざまな形の支援がありますが、なかでも失った道具を取り戻すにあたって、民間の財団や基金が大きな力を発揮したことは指摘しておくべきでしょう。日本財団の「まつり応援基金」や企業メセナ協議会の「百祭復興プロジェクト」などの枠組みを通じて幅広い資金援助が行われ、面や衣装、太鼓、神輿などさまざまな道具が修復・新調されました。
また、被災調査それ自体の「副産物」として、伝承を促進する効果が生まれたことも重要だと考えています。とりわけ東北沿岸部には、国や自治体の指定や選択を受けていない、いわゆる「未指定」の文化財が数多く伝えられていました。研究者が訪れることで、「自分たちが守り伝えてきた祭りや芸能は、外から見ても価値があるものなのだ」といった気付きが生まれ、保護団体や伝承者のモチベーションになった部分もあるのです。調査など外部の人と関わる中で、再開に向けて動き出した方も少なくなかったと思います。
もちろん、再開しない/できないと判断した団体もありましたし、再開しても完全に元通りとはいかない中で、たとえば「誰のために舞うのか」といった色々な葛藤があったといいます。その意味でも、全て再開すればよいというわけではないし、支援は当事者の意思に沿った形でなされるべきという前提を忘れてはいけないと思います。
傷ついたつながりを結び直す
ーー実際のところ、民俗芸能などの伝統文化は、地域社会の復興に寄与したと言えるのでしょうか?
はい。それらが果たした役割として大きく三つを挙げられると考えています。
一つは、傷ついた地域のつながりを結び直し、人々の結束を生むこと。祭りや芸能の再開までには、そもそも実施すべきかどうか、道具は買うのか自分たちで作り直すのかなど、多くのことが話し合われ、いろいろな人が集まる過程で新たに関係が作り直されたと言えます。集団で受け継いできたものだからこそ、自分ひとりの意思で終わりを判断することはできない。そうした「小さな公共性」とも言える側面がコミュニケーションを生み出すきっかけにもなったのです。
二つ目は、震災前の日常生活を思い出すこと。災害から復旧・復興へと向かう時間の流れは、被災者にとっては非日常の連続で、経験したことのない判断や選択を次々に迫られます。そうした中で、祭りや芸能は、震災前までの日常を思い出すための大切なよすがとなっていました。式次第を守り、型どおりに舞う。こうした儀礼的な側面も、震災前とのつながりを感じさせるところがあったのではないでしょうか。「これだけは変わっていない」と。
最後は、アイデンティティーの維持や強化に関わるものです。その土地で長く伝えられてきた歴史や文化は、地域社会にとっての象徴になります。津波や原発事故によって移転・離散を余儀なくされた人々にとって、祭りや芸能は、離れ離れになった住民同士がふたたび集まるきっかけを提供するだけでなく、地域への帰属意識をつなぎとめる機能も担ったと言えるのではないでしょうか。
これら三つは、場合によっては他の娯楽イベントなどによっても代替可能かもしれません。ただし祭りや芸能の場合、その場一回限りのものではなく、数年に一度などの周期を伴って長く世代間で継承されてきたという特徴があります。地域の歴史や文化を受け継ぎながら、同時に新たな社会的つながりを作り出していくことができる。この点においてこそ、地域社会の復興に独自の貢献ができると考えられるのです。
ーー今回の能登半島地震では、祭りなどの再開に向けてどのような対応が必要だと考えますか?
行政の支援という意味では、地域社会の復興と文化財保護の二つの視点から考える必要があります。民間からの資金援助に加えて、報道などで外からの注目が集まることも力になるでしょう。また東日本大震災の時のように、行政主導で研究者らの調査が行われるのが望ましいと思います。
「変わらない伝統はない」という考え方も重要です。そもそも震災前から、担い手不足などの課題は続いていました。東北の被災地でも、外部の人を新たに巻き込むなど、ある程度の変化を受け入れながら存続を目指す動きが見られました。私自身、二つの小学校が統合する過程で、両地域の神楽を一つにミックスしていくような動きを目にしましたが、このように自ら主体的に変化していくプロセスもまた、無形民俗文化財の継承には必要な要素なのではないかと感じました。
無論、無形民俗文化財の再生がただちにコミュニティーの再興をもたらすわけではなく、インフラや雇用の回復が急がれることは言うまでもありません。それでも地域社会の復興を考える上で、祭りや芸能が果たしうる役割は決して小さくないと私は思います。
プロフィール
たかくら・ひろき 1968年生まれ。東北大学東北アジア研究センター教授。専門は社会人類学、シベリア民族誌。震災関連の共編著に『無形民俗文化財が被災するということ——東日本大震災と宮城県沿岸部地域社会の民俗誌』(高倉浩樹・滝澤克彦編、新泉社、2014年)、『震災後の地域文化と被災者の民俗誌——フィールド災害人文学の構築』(高倉浩樹・山口睦編、新泉社、2018年)、『災害〈後〉を生きる——慰霊と回復の災害人文学』(李善姫・高倉浩樹編、新泉社、2023年)など。
(聞き手・構成 西田理人)