芥川賞を受賞した九段理江さんの『東京都同情塔』(新潮社)。「全体の5%ぐらいは生成AIの文章をそのまま使っている」という受賞会見での発言がメディアを賑わせたが、その真意は…。
インタビュー・後編です(前編はこちら)。
「人間はなんでこんなにおもしろいんだろう」
九段さんは、自身が巻き起こした「ChatGPTを5%駆使して書かれた小説が芥川賞を受賞した」というニュース、それをめぐる一連の騒動を眺めて「おもしろい」と感じたという。
「『5%』って、本当に一秒で入ってくる数字だから。今回、芥川賞受賞会見で『AIを5%使った』と発言したあと、それに対して擁護する人、『いやいや』と言う人、『いったん冷静になろう』と言う人、それに対して火を投じ続ける人……。『本当に同じ人間なのかい?』と思うぐらい、その同じ文字情報からでも受け取る情報が全然違っていて、おもしろいです。こんな態度でごめんなさい。でも、どうしてもおもしろいと思っちゃいます。人間はなんでこんなにおもしろいんだろう」(九段さん)
それは、今回の騒動の顛末だけに限らない。人間のおもしろさの本質かもしれない。
「偶然や、データが切り捨ててしまうものをおもしろがれる、そういう余裕や遊びの部分が人間にしかないおもしろさだと思いますね。人間が多くなれば多くなるほど、集団が大きくなればなるほど、その偶然の要素が大きく出てきます。
今、ザハ・ハディドの国立競技場が建っていないことだって、もう本当にちょっとした人間と人間とのコミュニケーションのズレみたいなものの積み重ねによって現実が作られてるんだなと、この小説を書きながらも感じました。
ちょっとでも議論する時間的余裕や気持ちの余裕があったら、お金をかけてでもザハ・ハディドの国立競技場を建ててよかったんじゃないかなと。そういう世界線も絶対あったはずで、本当に今見えてる現実が偶然と偶然の連なりでしかないなと思います。そこに人間のおもしろさがあると思います」(九段さん)
『東京都同情塔』に登場する拓人が<何なら人間ががんばって歩いたり、言葉を覚えたり、金を稼いだりしているだけで、もう本当におもしろくていつまででも笑っていられる>と語る箇所を読むと、九段さんがインタビュー中に「こんな態度でごめんなさい。でも、どうしてもおもしろいと思っちゃいます」と笑う姿が、思い出されてくる。「人間はすばらしい」ではなく、「おもしろい」と考える。
「生物の生命維持にとって必要ではないものを生み出すのは、人間固有のことな気がします。他の動物だったら、自分の生命維持に関係がないようなことは絶対しないんですよね。人間だけが苦しい思いをして、何か考えて、そんなものなくても絶対に生きていけるのに芸術行為をしている。睡眠不足になっても、働きすぎで体調を崩しても、創造をやめない」(九段さん)
AIについて考えることは、同時に人間について考えること
<一挙手一投足の労を惜しむ現代では、想像力の支出はかなり億劫な労務支出なのである>(注:旧字体は新字体に修正。以下、同)
九段さんが影響を受けていると言う三島由紀夫は、『小説とは何か』(新潮社、初版1972年)のなかでこのように書いていた。50年以上前から、私たちは変わっていないのかもしれない。言葉を使い、想像力を働かせることが、億劫になってはいないか。三島はさらに、このように記す。
<人は描かれたとおりのものをありのままに信じることができ、小説の中の物象を何の幻想もなしに物象と認めることができる>
<言語芸術においてこそ、われわれは、夢と現実、幻想と事実との、言語による完全な等質性に直面しうるのである>
少し難しい言葉だが、つまりこういうことだろうか。
『東京都同情塔』のなかでは、現実には建たなかったザハ・ハディドの国立競技場が建っている。小説を読むことで、あの幻の国立競技場のなかへと「想像力」が入り込める。新宿御苑を敷地とする「東京都同情塔」も、作中では建つ。「言語芸術」が現実をこじ開け、人間の「想像力」が引き出される。言葉を媒介とする「億劫」なコミュニケーションが、人間や世界のおもしろさを思い出させてくれる。
「私がやっている純文学というジャンルは、正解を提示することではなく、問いを続けることという大きな役割を持っていると思います。純文学だけではなくて、アートはそういうものを目指す。それによって、世界の見え方が豊かになると思っています」(九段さん)
AIと創作については「Computational Creativity(計算的創造性)」とされるテーマで論文が複数提出されている。社会を見渡せば、イラストや映像など他のさまざまなジャンルで議論が起き、とてつもない速度で実践が進んでいる。
さて、AIが出力する言葉には「夢と現実、幻想と事実との、言語による完全な等質性」をつくりだすことはできるだろうか。これからは人間が、「想像力を支出」し、AIとともにつくっていけばいい。
「『東京都同情塔』には、正しい言葉を使い、周りの世界の価値観で行動するという世界線が描かれています。そこで、主人公は『AIが返してくる優等生的・模範的な回答、大多数が言っていることが本当にいいのか』と疑いを持つ。
AIについて考えることは、同時に、人間について考えることになるとも思うんです。この作品を通じて、言葉の向こう側にあるものを考えるきっかけになったらいいかなと思います」(九段さん)
参考:今井翔太著『生成AIで世界はこう変わる』(SB新書)