世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、LiLiCoさんがホンネで語り尽くす本連載。今回は、「お金にまつわる価値観」がテーマです。
幼い頃、母親から「お金は自分で働いて手に入れるもの」だと教わったLiLiCoさん。お小遣いをもらうのではなく、家のお手伝いなどをして、ほしいものを買っていたといいます。
仕事のなかった下積み時代を経て、現在は「稼いだお金を大切に使いたい」「明日死んでもいいようにお金を何かの形で残したい」と考えるように。途上国の子どもの支援や、アレルギー対応食品への出資なども行っています。
稼ぐ、貯める、使う、支援する…人生の中でどう価値観が変化してきたのか、LiLiCoさんに話を聞きました。
「お金は自分で働いて手に入れるもの」母が教えてくれた価値観
洋服、生地、化粧品、ピアス、レコード、音楽雑誌……オシャレと音楽が大好きだった子ども時代、私にはほしいものがたくさんありました。ただ、家族からお小遣いをもらったことはありません。小さい頃の収入源は、国からの子ども手当と家のお手伝いでした。
スウェーデンでは、0歳から16歳までの子どもがいる家庭に、毎月子ども手当が支給されます。当時、その金額は子ども一人につき500クローネ。日本円で8000円~1万円ほどだったでしょうか。現在は1250クローネまで増額したようです。
小学生のとき、母から「子ども手当を毎月貯めて17歳になったときにもらうのと、今から毎月もらうのとどちらがいい?」と聞かれました。そこで私は「毎月ほしい!」と答えたのです。手当がもらえることは子どもたちもよく知っていて、学校でも、「あなたは大人になってからもらう?それとも毎月もらう?」とよく話していましたね。
家のお手伝いは、母がリスト化してくれた仕事をこなすと、1つにつき1クローネもらえる仕組みでした。弟のお世話、植木の水やり、掃除機かけ、庭の落ち葉集め、芝刈りなどをして、1カ月に300~500クローネは稼いでいました。
そのおかげで、私は「お金は働いて手に入れるものだ」ということを学びました。これについては、母にとても感謝しています。たまにきちんとできているか母にチェックされることもあったので、頼まれた仕事は責任を持って完璧にこなすことも覚えました。
そのお小遣いを貯めて、街のアクセサリー屋さんで5000円ぐらいの小さいけれど本物の金のピアスを買ったことは、特別な経験として今でも覚えています。
母は、どんなに少額でもお金を粗末にしてはいけないということも教えてくれました。「落としたお金は1クローネでも探すこと。いつか支払いのときに1クローネ足りなくて『あのときの1クローネがあれば』と思うときがある」と話していましたね。
母がこうした考えになったのは、彼女が働く女性だったからでしょう。スウェーデンの企業で働く母は、優秀でも国籍と性別で差別されて給与が低いとよく愚痴をこぼしていましたが、仕事にはプライドを持ち、楽しんでもいる様子でした。
アート作品から価格以上の幸せをもらう
自分のお金は働いて手に入れるもの。そう母に教わった私は、18歳で来日してすぐに祖母の家の近くにあるお弁当屋さんでバイトを始めました。19歳で静岡県浜松市の芸能事務所に入り、その後5年間車上生活をしていた時期も、祖母の家に戻ろうと思ったことはありません。
30代の後半にテレビに出始めてからは、どん底に戻りたくないという気持ちから貯金や積み立てをするように。2011年の東日本大震災以降は、自然災害や自分自身の病気、怪我に備えて、2年間仕事をしなくても暮らせるお金は貯金しておこうと考えるようになりました。
以前よりずっとお金に余裕が持てるようになった今、貧乏を知っているからこそ大切にお金を使いたいという考えになっています。
例えば、私は今でも、毎月の家賃や光熱費などを現金で支払っています。銀行引き落としやカード払いなど自分の知らないところで自動的に引き落とされるようにしていると、金銭感覚を失ってしまいそうだと感じるからです。
反対に、それほどお金にこだわらずにいたいのは、自分の気持ちを満たすこと。例えば、5000円のモエ・エ・シャンドンを高価だと思う人もいるかもしれないけれど、私は人とおいしいシャンパンを楽しく飲みながら会話する時間が好きだから、そうは思いません。
友人、知人とおいしいご飯を食べた後に、お金を細かく計算するのも苦手です。会費が決まっているものなら最初にぴったりの金額を封筒に入れて渡しますし、ご馳走になったら次はこちらがご馳走すればいい、という考えです。
5年ほど前に、古い友人である写真家のヨシダナギさんの作品を購入しました。高いお金を出してアートを買うのは初めてだったけれど、毎日その写真を見て「きれいだな」と心が喜ぶので、私はすでに価格以上の幸せをもらっているんですよね。
社員のケアを大事にする、スウェーデンの企業
先日、スウェーデンに帰国して親友と話していたとき、スウェーデンと日本の仕事観がいかに違うかを実感したことがありました。
日本では、仕事でプライベートが犠牲になるのは仕方のないことで、多少のことがあっても長年同じ職場で勤め上げるような価値観がまだ根強いと感じます。一方のスウェーデンでは、仕事はプライベートをよりよく過ごすためのものという価値観。必要なお金を得ることができれば十分なので、1週間に40時間以上働くことはないそうです。
その意味で、私の働き方は日本寄りの価値観かもしれませんね。仕事がない時代が長かったので、よほどのことがない限りオファーは断らないし、毎日朝7時から夜中の1時まで働くのも日常茶飯事です。
スウェーデンと日本では、企業の福利厚生に対する意識も違うようです。例えば、今のスウェーデンでは企業が、社員が健康でいるためのジムやマッサージ代を全額、または一部負担してくれるのが当たり前だそう。スウェーデンの若者は、就職の面接でそうした福利厚生があるかを自ら確認し、満足いかない場合は就職しないこともあると聞きました。
そのとき思い出したのは、私も10歳から母の勤める会社にあった日焼けサロンに行っていたということ。当たり前すぎて忘れていましたが、スウェーデンには昔から企業はいい仕事をしてもらうために社員の身体をケアするという文化があったんですね。
途上国の女の子4人を支援。アレルギー対応バターに出資も
45歳を過ぎた頃から、「明日死んでもいいようにお金を何かの形で残したい」と考えるようになりました。
私には子どもがいませんから、養子縁組を検討した時期がありました。スウェーデンでは養子縁組制度が珍しいことではなく、身の回りにも外国からスウェーデンに養子に来た子どもがたくさんいました。
そこでここ10年ほど私がしているのが、途上国の子どもへの支援です。コンゴとウガンダの女の子4人が適切な教育を受けられるよう、食費や教育費を支援しています。支援を女の子に限定しているのは、家庭環境によって児童婚させられてしまうことがあるからです。
途上国などで学ぶ子どもたちとその先生たちを追ったドキュメンタリー「世界のはしっこ、ちいさな教室」(2022/フランス)には、学校で勉強しているある女の子のところへ母親が来て、先生に「娘には勉強なんかより結婚させたいんだ」と文句を言うシーンがあります。この映画を通して、たとえ深刻な貧困状況でなくとも、児童婚が当たり前とされている環境があるのだと知り、現在はもっと多くの子どもを支援したいと思っています。
2023年には、レストラン「エピキュール」の藤春幸治シェフが豆乳から作られた植物性の「フジハルバター」を開発したと聞き、株主として出資もしました。これは重篤なアレルギーを持つ弟の世話をしていた子ども時代から、将来アレルギー研究に出資したいと考えてきたから。弟を救いたいという夢が形になり、幼い頃の私も救われるような気持ちです。
大切なお金を分けたことでだれかが喜んでくれたら、なによりのご褒美だなと思います。
こうした支援について公言するようになったのは、もちろん目立ちたいからではありません。私の話を聞いた人に、余裕がある時は誰かを支援をするという選択肢もあると伝えたいから。
支援しているコンゴとウガンダの子どもたちとは文通をしていますが、実際に会いに行きたいですね。途上国に小学校を建てることにも興味があって、いつか現地まで赴いて場所を決めたり、打ち合わせなどにも立ち会ったりして、しっかりと責任を持って学びの場を作れたらいいなと考えています。
(取材・文=有馬ゆえ、写真=川しまゆうこ、編集=若田悠希)