「過疎地でも連綿と続いて来た文化があります」
能登半島地震をめぐって石川県珠洲市出身の女性が投げかけた投稿に、SNS上で大きな共感が広がった。地元が誇る伝統行事「キリコ祭り」への思いをつづり、人口減が続く「田舎」にも大切に育まれてきた固有の文化があると訴えたものだ。
一連のポストには、4万超の「いいね」がつき、「何年かかっても復活して欲しい」といった声や、祭りの思い出や写真が続々と寄せられている。
能登に受け継がれる豪快な祭り
1月1日に発生した能登半島地震から2ヶ月。最大震度7を記録し、甚大な被害がもたらされた石川県の能登半島では、今なお多くの人が避難生活を強いられている。地形上の制約など多くの難題が立ちはだかる中、現地では懸命な復旧作業が続く。
その能登半島で、地域の誇りとして長く受け継がれてきたのが祭りの文化だ。
珠洲市出身のtoffeeさんは1月15日、自らが生まれ育った地域について知ってほしいと、自身のX(旧Twitter)にキリコ祭りの思い出を投稿した。
キリコ祭りとは、夏から秋にかけて半島各地で行われる一連の祭りの総称。
「キリコ」「ホートー」などと呼ばれる大型の切子燈籠や山車が町内や海辺を勇壮に練り歩くのが特徴で、祭りの数は全部で約200にのぼるとも言われる。
toffeeさんの地元で毎年7月に開かれる「飯田町燈籠山祭り」もその一つ。張子の人形を掲げた巨大な「燈籠山」が町をにぎやかに巡行し、江戸時代から400年もの歴史をつないできた。
「田舎の僻地でロクな娯楽もなく、金沢まで出ようと思ったら車で3時間半もかかるケばかりの土地で育った」
そうつづるtoffeeさんにとって、地域住民が世代を超えて力を合わせ、巨大な燈籠山を曳き回す祭りは「何よりもダイナミックで心踊るもの」だった。町全体が活気で満ちる年に一度の機会は「それこそハレの日」。豪華で勇壮な祭りが、能登育ちの自慢だった。
小学生の時には、街角に設けられた舞台で「手踊り」を披露。「田舎でその時だけ主役になれたような気分」が誇らしく、思春期を迎えると、朝まで山車を曳き回す大人たちに加わって「背伸び」した気分にもなった。太鼓、笛、鐘の音に、「ヤッサー、ヤッサ」の力強いかけ声……今でもその音を聞くと胸が高鳴り、「肉体に刻まれた祭りのDNA」が疼き出すという。
能登では毎年、祭りの季節に親戚や友人同士で招き合って、それぞれの地域の祭りをともに楽しむのが慣わしだ。そうした時間が人々にとってかけがえのない生活の一部なのだと、toffeeさんは言う。
「田舎であればあるほど、このような祭り文化と人々の暮らしは切っても切れない」「それを失うことは、その人のアイデンティティをも失うことに他なりません」
「固有の文化まで切り捨てないで」
今回の投稿を思い立ったのは、地震の発生後、「過疎地に国力を注ぐ必要はない」といった一部の心ない主張をSNS上で目にしたからだ。すぐに現地に駆けつけられないもどかしさの中で、少しでも力になりたいと地元の文化について発信することにした。
「どうか、外から発言される皆さん、その土地特有、固有の文化まで切り捨てないでください」
そう訴えた一連のポストは大きな反響を呼び、コメント欄には「お祭りがまた出来るくらい元通りになることを祈ってます」「過疎化が進んでるとはいえ、簡単に無くしていいものだとは思えません」「同じ能登の人間として、ハッとした気持ちになりました」と、共感や励ましの声が相次いだ。
また「我が町自慢のお祭りを思い起こしてみませんか?」と呼びかけると、「青柏祭」「あばれ祭」「石崎奉燈祭」「とも旗祭」といった能登の祭りの名が次々に挙がり、「多彩なお祭りが羨ましい」の声も。「かっこいい!しかなかった」と、過去に見た祭りの写真や動画を寄せる人も現れた。
取材に対し、「一日も早く安心して暮らせるようになることが最優先。その上で、祭りをまたやりたいという人々の思いが、少しでも復興の支えになれば」と語ったtoffeeさん。一連のポストは、次のように締めくくられている。
「今年、来年は無理でも、あの山車が残っていて人々が帰って来たなら、また再び祭りをやって欲しい。切り立った海岸線、日本海の黒々とした波に紅く彩られた山車やキリコはとてもよく映える。その景色がまた見られるように」
津波に流されたキリコも
海と山に囲まれた能登半島は「祭りどころ」として知られ、豊作・豊漁への祈りや自然への感謝を捧げる祭礼が1年を通じて多様に営まれてきた。
一帯には、その土地ならではの暮らしの文化と歴史を伝える数多くの無形民俗文化財が残されており、「奥能登のあえのこと」「青柏祭の曳山行事」「能登のアマメハギ」の三つはユネスコ無形文化遺産にも登録されている。
2015年度には、3市3町の29の祭りを中心とした日本遺産「灯り舞う半島 能登~熱狂のキリコ祭り~」が認定。豪華絢爛にして豪快な祭りの数々は、地域外から人々を迎える重要な観光資源にもなっていた。
今回の震災では、こうした伝統的な行事や生業にも少なくない被害が出ている。
現地報道によると、珠洲市宝立町の鵜飼地区では「宝立七夕キリコまつり」で用いるキリコの保管庫に津波が直撃。大小合わせて5基のキリコが失われた。輪島市中心部の「輪島キリコ会館」でも、展示・保管されている大小のキリコの多くで被害が確認されたという。
例年5月に行われる七尾市の「青柏祭の曳山行事」は、今年の開催を見送ることを決定。山車の被害こそ免れたものの道路の隆起や余震の影響で、安全確保が難しいと判断した。このほか避難生活が長引くなどして地域社会が離れ離れになり、祭りの開催や継承にも影響するのではないかといった懸念も出ている。
こうした中、石川県は2月1日に開いた第1回復旧・復興本部会議で、「創造的復興」に向けた取り組みの一つとして「文化財、祭りなど地域の文化の再生支援」を挙げた。現地では文化財保護の専門機関による被災調査が進められ、再開を望む地元の声に応えようと民間団体による支援の動きも広がり始めている(企業メセナ協議会の「芸術・文化による災害復興支援ファンド GBFund」など)。
復興のシンボルとなった祭りや芸能
2011年に起きた東日本大震災では、住民の強い意志のもと一部の民俗芸能などが早くから再開され、復興のシンボルとして注目を集めたことで支援の輪も大きく広がった。慰霊や復興祈念として各地で披露された神楽や獅子舞は、被災した地域の人々を励まし、コミュニティーのつながりを作り直すきっかけになったとも言われている。
『震災後の地域文化と被災者の民俗誌』(2018年)などの共編著がある東北大学の高倉浩樹教授(社会人類学)は、「伝統的な祭りや芸能には、人々の結束を作り出すほか、震災前の日常を思い出すよすがとなったり、地域社会の歴史的・文化的な誇りを喚起したりする力がある」と指摘する。そのため、その再生支援は地域社会の復興にもつながると考えられるという。
東日本大震災では、祭りや芸能が地域社会にどのような効果をもたらしたのか。また、能登半島地震では今後いかなる支援が必要と考えられるのか。
以下の記事では、東北の被災地でフィールドワークを重ねた高倉教授のインタビューを掲載している。
【インタビューはこちら】祭りや民俗芸能が被災するとはどういうことか。復興における「小さな公共性」の役割