つい最近、執筆中のエッセイの日付を確かめるために1985年の手帳を本棚から取り出しました。
内容に引き込まれ、80年代と90年代、2000年代の手帳を全部引っ張り出してしまいました。
机に広げられた25年以上の月日を眺めるうちに「なぜこんなにたくさんの手帳がたまったのだろう?」と思いました。
元々、手帳を保存しようと思っていたわけではなく、手帳を見ながらコーヒーを飲む毎朝の習慣から全ては始まりました。
リストに目を通し、やり終えたタスクに線を引き、予定やリマインダーを追加する――そうすることでほんの少し自分の人生の舵を取ることができているように感じていたので、新しい年を迎えても、12カ月をともにした小さなモレスキンの手帳が捨てられなかったのです。
日記もつけているのですが、手帳(スケジュール帳とも呼ばれる)からは別のものが見えてきます。
過去の手帳を開くのは、子ども時代にガラクタが入った台所の引き出しを探し回ることに似ています。
様々なメモや、大量のタスク、買い物リスト、覚えておくべき誕生日、図書館の返却期日、コーヒーを飲む約束(相手を覚えている場合も、いない場合もある)、暗号のような覚え書き。
1989年の手帳には、今となっては意味がわからないメモもあり困惑しました。「40ポンドの豚を注文する」。どういうこと?「もっと箱を増やす。本、椅子、皿を入れる」。どの引っ越しだろう?
1993年2月15日には「アムトラックの列車のチケットを買う」と書かれていて、2週間後にも同じメモがありました。私はどこへ行くつもりだったのだろう?
4月まで読み進めると、4カ月後に初めての出産を控え、最後の一人旅(ワシントンD.C.へ)を計画していたことがわかりました。
かなり古い手帳まで遡ると、今ではもうない習慣や用事が書かれています。レンタルビデオ屋にビデオを返す、タイプライターのリボンを交換する、原稿を入れた返信用封筒を郵送するために切手を買う――信じられないことに、1983年の個人情報ページには、自分の社会保障番号まで書いていました。
見返してみると、恥ずかしくなるようなメモもあります。20代の手帳には、毎日のカロリー消費量の合計や、週ごとのリーバイスのフィット感評価(きつい/普通/ゆるい)、返事をくれない男性からいつ手紙が届くのか、届くべきなのかなどが書かれていて、思わず顔をしかめてしまいました。
それでも、恥ずかしさを忘れてしまうような嬉しい発見もありました。
例えば2007年の手帳から落ちてきた黄色い付箋には、母の楽しそうな筆跡で「あなたが来るのを楽しみにしています!」と書かれていました。
2006年7月30日には、失読症だった当時10歳の娘が「私の誕生日!」と書き込んでいました。
引用や日記風のメモも出てきました。高校3年生の私は、詩人ディラン・トマスの「間近にある神聖な闇に向かって言葉を発し、そして眠った」という一節を1978年のアドレスページに書き写していました。何を思ってこの言葉を書いたのでしょうか。
1985年の5月第1週は、絶望にあふれていました。
「不確実なことがあまりにも多すぎる。もう一生分のリスクを冒した」
この年、私は平和部隊(政府のボランティアプログラム)に入れず、落ち込んでいました。山のような肯定的な言葉や、勇気をもらえる引用、カウンセリングの予約がそれを物語っていました。
ほとんどの年に物語がありますが、特にドラマチックな年もありました。
一家でニューヨークからノースカロライナへ引っ越した2009年は、ToDoリストが2月から8月までのページを埋め尽くしており、9月から12月にはその影響が見て取れました。手帳には、ゾロフト(抗うつ薬)を再度処方してもらうためのリマインダーや、家族のためのセラピー、落ち込んだ10代の娘たちの週1回のグリーフ・カウンセリング予約が残されていました。
時計は常に前に進むものですが、手帳は過去へ戻る道を作ってくれます。時間を進めたり戻したりでき、画面を指でスワイプするよりも満足感が得られます。
それに気づいたのは、2021年の初めにGoogleカレンダーだけで予定を管理しようとした時です。新型コロナウイルスの影響で2020年の手帳がほとんど空白だったので、2021年もあまり書き込むことはないだろうと思ったのですが、結局2月半ばには新しいモレスキンの手帳を手にしていました。
なぜ手帳のような必要不可欠なツールでアナログにこだわるのかと、不思議に思われるかもしれません。
効率的なGoogleカレンダーを使うこともあります。しかし、いつまでも時間を無駄にしてしまうというアプリの特性を考えてみてください。先延ばしにしていたタスクをようやく終えて、線を引く満足感を考えてみてください。空白の日付部分で、即興のブレインストーミングをしたり、日記をつけたりもできます。そして忘れてはいけないのが、後世に残ること。手書きのメモが、あなたのわずかな一部を時代を超えて保存するのです。
過去の手帳をめくっていると、自分自身を見つめ直すことができます。
私はどんな風に時間を使ったのだろう?なぜその仕事やプロジェクト、関係に時間を無駄にしたのだろう?ああ、私はこんなことを成し遂げたのか!
作家アニー・ディラードの「日々の過ごし方は、人生の過ごし方でもある」という有名な言葉があります。
数年前、実家の屋根裏を整理していた時に、父が1965年に使っていたカレンダーを見つけました。
保険代理店からタダでもらったそのカレンダーには、投票の日付やバーバーショップ・カルテット(アカペラ四部合唱)の練習、教会の夕食、コインコレクターの集まりなど、さまざまな予定やメモが書き込まれていました。
たくさんの落書きもありました。8という文字の中に描かれた灰色の楕円を見つけたとき、長電話中の時間つぶしだったのだろうかと思いました。
カレンダーをめくるうちに、7月22日のところに「7:30 貧困プログラム、市役所」と、父の特徴的な筆跡で書かれているのに気づきました。
1965年は私はまだ4歳で、当時の大統領リンドン・B・ジョンソンが取り組んだ「貧困との闘い」を知るには幼すぎました。
何十年も後に、アルツハイマー病が父の記憶に影響を与え始めた頃、家族の友人から、父が私の故郷であるルイジアナ州ジェニングスで「ヘッドスタート(「貧困との戦い」キャンペーンの一部として始まった子ども支援)」の地元支部立ち上げに関わったことを教えてもらいました。
元々プロジェクトヘッドスタートと呼ばれたこの取り組みは、8週間のサマープログラムとして始まり、その後連邦政府による低所得層の子どもたちとその家族の支援プロジェクトになりました。
1965年のカレンダーは、父がこのプログラムとの関わりを持っていたことを伝える資料になったのです。
この発見から、私は一見平凡なメモが過去と現在をつなげ、私たち想像するよりもはるかに大きな意味を持つものだと考えるようになりました。
空白部分に、毎日、毎週、毎月小さな出来事が積み重ねられていくにつれて、手帳は人生そのものと同じくらい雑然とした、過去を映し出すコラージュへと姿を変えていくのです。
20代の自分の手帳を見ると、やることリストを作りすぎ、世界を救いたいと願い、摂食障害になりかけてにいた若い女性の物語が浮かび上がってきます。
いつか娘たちが私の手帳を見た時に、20代の私の中に60代の私の面影があることに気づくはずです。自分たちがまだ小さかったときに、母親である私が計画した逃避行を微笑ましく思い、ボロボロのイーセン・アーレンのソファが2004年11月8日に我が家にやってきたことを思い出すでしょう。
しかし彼らは、私に泥沼のような感情で過ごした時期があったことに気づいてくれるでしょうか?
電話やディナーの約束、誕生日のリマインダーを通して私が深い友情を育んだことが伝わるでしょうか?
彼女たち(あるいは誰か他の人)が何を見つけるにせよ、手帳は私が何をしていたのかだけでなく、私がどんな人間で、時間とともにどう変化したかを伝えるでしょう。この先の人生でも、手帳は私にアニー・ディラードの賢明なアドバイスをいつも思い出させてくれます。
だからこそ、2024年を迎えた今、私は手帳を使うよう皆さんにお勧めしたいと思っています。数年後に、あなたもしくは他の誰かが、日々の些細な出来事の中から、輝く何かを見つけるかもしれません――落書きや散らばったメモから、あなた自身やあなたの生き方を伝える何かを。
あなたはまだ、それは知ることはできません。なぜなら、まだ手帳に書かれていないのだから。
ハフポストUS版の寄稿を翻訳しました。