健康になろう、と考えたとき何をしますか?筋トレ?ウォーキング?食生活の改善?
世界保健機関(WHO)憲章は1946年、健康を「体」「心」「社会生活」の3つが良い状態(ウェルビーイング)と定義しました。
そう、最近よく耳にする「ウェルビーイング」は、もともと、広い意味での(=WHOの定義における)健康を意味しています。
体づくりのメニューはすぐに思いつくものの、より良い心や社会生活のレシピは、というと、ちょっと戸惑うかもしれません。
ヒントを与えてくれるのが、ウェルビーイングの研究成果です。健康な体づくりへの問いに科学が答えてきたように、心のウェルビーイングに関する研究が、1980年代以降、世界中で行われてきました。
日本では、国内のウェルビーイング研究の第一人者、前野隆司・慶應義塾大大学院教授が、心にフォーカスした、幸せの4つの因子を導き出しています。
心身の健康、心のウェルビーイングにも、科学的根拠に基づくアプローチがある。そのあれこれを教えてもらうべく研究室を訪ねました。
幸せにはシンプルなメカニズムがある
──心のウェルビーイングについて教えてもらえますか?
主観的ウェルビーイングに影響する心的要因、持続的な幸せに関する研究は、海外では1980年代ごろから行われてきました。ただ、体系化されたものは少なく、社会生活に活かすほど一般には知られていませんでした。
私たちは過去の研究成果から幸福に関連する項目を徹底的に洗い出し、日本人1500人にアンケート調査を実施、その結果を因子分析しました。
調査において、収入や環境など外的な要因は除いています。お金やモノなど、幸福感が長続きしないものは除外し、自分でコントロールできるものに絞っています。
そうして幸福を因数分解し、日本人の幸せを形づくる4つの因子を得ました。
📍「やってみよう」自己実現と成長の因子・・・目標のために学習、成長しようとしている。やりがいや強みを持ち、主体性が高い
📍「ありがとう」つながりと感謝の因子・・・周囲との安定した関係、つながりや感謝、利他性や思いやりを持っている
📍「なんとかなる」前向きと楽観の因子・・・前向きで楽観的、ポジティブでチャレンジ精神がある
📍「ありのままに」独立とマイペースの因子・・・他人と自分を比較しない、独立性、しっかりとした自分らしさがある
4因子のうち何が幸福に寄与するのか、その比重には個人差がありますが、すべての因子を満たした方が幸せになります。
幸福には、こうしたシンプルな基本メカニズムがあるのです。
幸せに気をつければ、毎日が生きやすくなる
──心のありようは皆違う、と思っていたのですが…
もちろん人は多様で、幸せのかたちは人それぞれです。「やってみよう」因子でいえば、目標や学びの内容は一人一人違う。
分かりやすく考えるために、体を思い浮かべてください。人それぞれに違っても、5大栄養素の入った食事や適度な運動が大切だ、という基本は同じですよね。インスタント食品ばかりで暴飲暴食をしていたら、健康な体はつくれない。
心についても同じことがいえます。例えば、他人より優位に立つことが大事だと思う人が、その願いを叶えたとしても、そんな「ありがとう」因子と反対の行為は、ウェルビーイングにつながりません。
──誰もがウェルビーイングを目指すべきでしょうか?
(体の)健康を目指さなければいけないのか、と聞かれるのと同じですね。必要だとわかっていても、動きたくない、野菜は嫌いだ、という人はいますから、強要はしません。ただ、運動やバランスの取れた食事に慣れ親しんで、体を動かすのが楽しい、野菜が美味しい、となれば続けられるし、体も強くなる。ですから、健康と同じく、誰もが目指すべきだと思います。
ウェルビーイングを息苦しく感じるのは「できない」と思い込んでいるからではないでしょうか。「やりがいを見つけよう」「繋がりをつくろう」と言われると、お説教されているように感じるのかもしれません。
4つの因子は、武芸の「型」のようなもの。苦手を少しずつ克服して基本の型を身につけ、自分のものにしてしまえば、無意識に、日々の生活の中で実行できるようになります。そこから発展して自分らしさを形づくっていけば、より人生が楽しく、毎日が生きやすくなりますよ。
健康に気をつけるように、幸せにも気をつけてほしい、と願っています。
日本人は幸せ嫌い?
──ウェルビーイングを耳にする機会が増えたのは、なぜですか?
元々は1946年にWHOの健康の定義で登場し、それ以来、医学や心理学など研究分野で使われてきた言葉です。
ここ数年、日本で急速に広がっているのは、ビジネスの力が大きいでしょうね。幸せな職場は生産性や創造性が向上して企業価値も上がる、という海外の研究結果などに、企業が注目し始めた。
経済的なモチベーションは牽引力が強いんですよ。
幸福や幸せではなく「ウェルビーイング」という言葉が使われているのは、日本人は外来語が好きということに加えて、学術用語だからかもしれません。
僕は自分の研究を「幸福学」とも言っていますが、ウェルビーイングが広まる前は「怪しいなぁ」と、変わり者のように言われることがありました。日本人が「幸せになります」と言うのは結婚の誓いの時ぐらいで、あまり使いたがらない言葉なんだな、ということは実感としてあります。
──ウェルビーイングな社会は実現可能でしょうか?
僕たちの研究グループで「ありがとうの最大化」と「利益の最大化」を目指す、2つのビジネスゲームをしたことがあります。紙製のケーキ屋さんごっこのようなもので、50人ほどの参加者が、イチゴ屋、ロウソク屋、皿屋などのグループに分かれて売買をし、完成したケーキを市場で売るとお金をもらえる、というワークショップ。「ありがとうの最大化」でウェルビーイングになると予想していましたが、それ以上の結果を得ました。
相手を思いやって工夫をすると、皆がウェルビーイングになる上に、売買が素早く進んで市場が活性化。全体の利益も最大化したのです。一方「利益の最大化」を目指したときは売り惜しみが起きて雰囲気は悪化。市場も硬直化しました。
現実社会でも、現在の資本主義システムは、地球環境、紛争、貧困などの社会問題を解決できずに、限界を露呈しています。
お金よりも「みんなのウェルビーイング」を最優先に考える、ウェルビーイング資本主義社会の形成が、解決のカギです。地域や企業、小さなコミュニティからボトムアップして、社会全体に広がっていってほしい。
甘いキャッチコピーには騙されないで
──ウェルビーイングとは何か、という共通認識も必要ですね
義務教育にウェルビーイングを加える、偏差値競争じゃなくてウェルビーイング競争をするなど、幼少期からウェルビーイングに触れていれば、周りを大切にして自分も幸せになる考え方が、自然に身につきます。大人になってから「その考え方じゃウェルビーイングになれませんよ」と知らされると、大変ですよね。
ウェルビーイングの認識が広がるにつれ、今後、ニセ医学のように、ウェルビーイングと似て非なる、実体のないものが出てくるかもしれません。「これ一つですぐウェルビーイングになれる」といった安易なものには近づかないようにすべきでしょう。
甘いキャッチコピーに惹かれる気持ちは分かります。科学は人の心に寄り添わず、事実は時に冷酷ですから。藁にもすがる思いで幸せを求めるときに、4つの因子を1から身につけていくなんて、やってられない、と思う人もいるでしょう。だからこそ普段から、ウェルビーイングに気を配るべきなんです。
ウェルビーイングは予防医学でもあります。科学的エビデンスのないものに騙されないよう、ウェルビーイングのリテラシーを身につけておくことが大切です。
【前野隆司さんプロフィール】慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授、ウェルビーイングリサーチセンター長。キヤノン、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授などを経て現職。著書に「脳はなぜ『心』を作ったのか」「幸せのメカニズム」「ウェルビーイング」など。博士(工学)。
(取材・文=川村直子/ハフポスト日本版)