10月12日の水曜日、私はイスラエルを出国した。心配してくれていた人たちは、私の無事を知り安心している。
私がカナダに戻ったことを知り、家族や友人は今夜、安心して眠れるだろう。彼らは私を心配し、私がどうしているか、どう感じているのか、何か助けることができるかと尋ねてくれた。心からの哀悼の意を示し、状況に共感し、全てが大丈夫になると言ってくれた。
こんなにも愛してくれる人たちがいることに深く感謝している。
私は現実から遮断された無知の幸福の中に安全に包まれているが、安全を感じていない。
下の写真は私のボーイフレンドであるアヴィハイ・レファエル・ソファーだ。
彼はテルアビブの郊外で暮らす29歳のユダヤ人イスラエル市民だ。働き、学校に通い、友人たちと遊び、未来に対する希望と夢を持っている。彼は何百万人もの中の1人。イスラエル人であろうとパレスチナ人であろうと、これまで安全を感じたことがない(今後も感じることがないかもしれない)他の人々以上でも以下でもない。
私たちは2020年の後期、新型コロナ感染拡大の初期にネット上で出会った。彼は約1万7000キロ離れた場所から、私が「優しそうな顔」をしているといって、ゲイのマッチングサイトで私に声をかけてきた。
その後、私たちは気軽ながらも親密なやり取りを始め、それは数年続いた。彼は明るく、面白く、遊び心があり、とてもハンサムで、頭が良く、年齢以上に賢かった。彼がオーロラを体験したいと切望していること、カナダのモントリオール、トロント、バンクーバー、ハリファックス、ケベックシティ...そしてカルガリー...を訪れたいという夢について私たちは語った。彼がカナダの広大さをイスラエル(ニュージャージー州と同じくらいの大きさ)と比較して完全に理解したとき、全てを見るには1度以上訪れる必要があると話したりした。
それは簡単だった。彼はそこに住んでいて、私はここに住んでいた。それは夢だった。
時間が経つにつれて、私たちのやり取りは恋愛関係に変わり、それほど簡単ではなくなった。それは現実で、現実の方が難しいものだ。
常にメッセージを送り合い、何時間もFacetimeで話し、遠く離れまだ直接会ったことがないにもかかわらず、私たちは狂ったように恋に落ちていた。
私は9月6日にイスラエルへのチケットを購入し、10月6日から10月15日までの「天国の9日間」を計画した。私たちはちょうど1カ月後に会う予定だった。
アヴィハイは、彼の故郷で最も美しいバケーションを計画してくれていた。テルアビブとエルサレムを訪れ、ネゲブの中心で星空の下キャンプし、北部のハイファとゼファトで時間を過ごすこと。でも私は彼に、詳細は何でもいいと伝えた。一緒に彼の部屋に閉じ込められて、ただ一緒にいるだけで、9日間を過ごすことができれば幸せだとーー。それが残酷で不吉な予兆となってしまった。
10月6日の金曜日午後8時に、私はベン・グリオン国際空港に着陸した。アヴィハイは私が今まで見た中で最も明るい笑顔で待っていた。私たちは抱き合い、泣き、お互いの目を見つめ、2人の関係はまた簡単になった。
車で彼の家に行き、待ち望んでいた9日間の冒険について興奮して話し、私は世界の頂点にいるように感じていた。
アヴィハイは豪華なシャバット(安息日)の夕食を用意してくれ、私たちは思う存分食べた。恐れることは何もなかった。やっと一緒にいるのだ。
10月7日の土曜日、私たちはとても遅く目覚め、彼の家族や友人からの38件の未受信電話と何百通もの未読メッセージを見つけた。何かあったのだが、私のヘブライ語の理解力が乏しく、何が起こったのかは全くわからなかった。アヴィハイが未受信の電話を返し始めると、私はスマホを開いて見出しを読んだ。
「ネタニヤフ首相が『我々は戦争状態にある』と宣言」
アヴィハイの手が私の肩に触れ、彼が「いくつかのことについて話さなければならない」と言うのを聞くまで、それが現実だと感じることはできなかった。
彼はまず、全てが大丈夫になる、と約束した。私たちは直ちに危険にさらされているわけではないと。そしてズボンを履くように言った。戦闘の大部分が彼が住んでいる場所から南に70kmのガザであるか、またはその近くで行われていると説明した。彼は涙を流しながら、私たちが眠っている間に起こった惨事を語った。発射されたロケット、破壊、恐怖、何百人ものイスラエルの人々が殺され人質に取られたことをーー。
彼は、これからもっと多くのロケットが来ると話した。そして、空襲警報が鳴ったときは、90秒以内に彼のアパートの地下にある防空壕に向かう必要があると言った。攻撃を待ち、警報が鳴り止み1分が経ったら、部屋に戻ることができる。その日の残りの時間はアパート内で避難し、状況がどのように進展するか評価する。外には出ない、と。
彼は私に理解したかどうか尋ね、私は理解したと答えた。
私は嘘をついた。
何が起こっているのか全く理解できなかった。どうしてこんなことが起こっているんだろう?私の恵まれた生活では、こんな事態に備えることなどなかった。空襲警報?ロケット?休暇は?私たちの楽園のような9日間はどうなってしまったのか?
私の中東政治に対する理解は非常に限られている。多くの人々と同様、私の「ニュース」は西洋メディアから得ている。それは「真実」(それが何であれ)が編集されたバージョンで、今権力を握っている政府の視点に基づいていることが多い。私たちはその地域で何かが起こっていることを知るに十分な情報を受け取るが、多くの人は、それが何か、なぜ起こっているかを正確に理解していない。そして、スマホやテレビを消した後は、その地域の人々が直面していることについてあまり考えずに生活を続ける。
最初の警報は夕方に鳴った。アヴィハイはとても落ち着いて私の手を取り、「スマホと眼鏡を持って。すぐ地下に行くよ」と言った。
彼は私を地下、つまり「防空壕」に連れて行き、抱きしめた。
「全てが大丈夫になる」と彼は約束した。
鈍い音が鳴り始めたときに思った。「それほど悪くない」と。迫撃砲の音が始まり、壁が揺れ、窓がガタガタと鳴り、天井から埃が落ち、体が震えた。私は「これはそんなに悪くない」と自分に言い聞かせた。
私は嘘をついていた。それは酷かった。
今まで経験したことの中で、最悪レベルのものだった。
私は自分自身に嘘をつき、アヴィハイにも嘘をついた。それしかできることがなかったのだ。彼に私が大丈夫だと思ってほしかったから。
今、毎日の警報とロケットの攻撃から遠く離れて、彼も私に嘘をついていたことを理解した。彼もそれしかできることがなかったから。私に彼が大丈夫だと思ってほしかったのだ。
警報が鳴っては止み、アヴィハイの兄弟たちが出動を命じられた。地下へ行き来してる間に、彼の親友が出動を命じられた。時には警報が全くなく、ただ空の静寂が突然の爆発によって破られるだけだった。壁が揺れ、窓がガタガタと鳴り、体が震え、私たちはお互いに嘘をついた。
それがそこでの物事のあり方だった。見せかけ。それは防空壕に集まる人々の顔にも見えた。1度も泣かなかった子どもを持つ女性、長い階段を登るには膝が弱い1階の老婦人、濡れた髪でお腹にタオルを巻いた女の子、隣の建物から来た、手に陶器の乾いた泥がついている少年。
これらは私たちの「一瞬でできた友人」で、笑顔を見せて私を歓迎してくれた。彼らは「イスラエルは美しい国だ」と念を押し、「あなたが戻ってきた時分かるでしょう」と言った。私は彼らの笑顔に応え、「戻ってきたとき分かると思います」と返したのは本音だった。
10月12日水曜日、午前12時40分、4日間と4晩の戦闘の後、私はドバイ行きのフライトでイスラエルを出発した。そしてこの旅を後悔していない。
愛する男性と一緒にいることができた。お互いを強く抱きしめ、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(テーブルトークRPGゲーム)で遊び、音楽を聴き、美味しい食事をし、重要なことやちっぽけなことについて話し、笑い、泣き、生きていることを感じた。私たちは安全ではなかったが、彼と一緒にいると安全を感じた。
私の「バケーション」で最も辛かったのは、アヴィハイの手を離し、彼の美しい茶色の瞳から視線を外し、彼を離れて空港のゲートに向かう事だった。カオスから離れ、カナダに一緒に来るよう頼んだが、家族を置いては行けない、と彼は拒否した。
彼の決定を尊重しているが、同時に憎んでいる。彼と再会できない可能性は現実的にある。一緒にいなければ彼を見守ることはできず、それは恐ろしいことだ。
あなたが人間を支持する人なら、イスラエルとパレスチナの両方を支持することが可能だ。イスラエルは、ガザを破壊することを望む権力者たちではなく、パレスチナもイスラエルにロケットを降らせている集団ではない。私たちは政権と人々を分ける必要がある。同じく、私たちはテロリストと人々を分ける必要がある。
私はイスラエルやパレスチナの人々を代弁するつもりはないし、彼らがこれまでに経験したことや現在経験していることを理解できるとは思っていない。でも、一般的なイスラエル人やパレスチナ人は戦争を望んでいない。彼らは音楽を聴き、美味しい食事をし、重要なことやちっぽけなことについて話し、笑い、泣き、生きていることを感じ、何よりも、安全を感じることを求めている。
彼らは生きたいのだ。
私はカナダに戻り、安全な世界に再び身を置いている。そして、自分や家族、友人の安全を心配する必要のない場所に帰れることが、いかに幸運で恵まれているかを認識している。
でも、安全だとは感じていない。
私が愛する人が安全であるまで、私は安全ではない。
一度も泣かなかった1歳児を連れた女性や、長い階段を上り下りするには膝が弱い老婦人や、濡れた髪で腰にタオルを巻いた女の子や、手に陶器の乾いた泥がついている少年が安全でない限り、私は安全ではない。
パレスチナの罪なき人々が安全になるまで、私は安全ではない。
結局のところ、彼らが人間であれば、イスラエル人であろうとパレスチナ人であろうと関係ない。
今朝、このエッセイを書き終える前にアヴィハイとFacetimeで話した。
彼は両親のいる北部に移動していた。たくさんのサイレンが鳴っていた。彼の妹とその子どもや、義理の兄とその甥や姪も来ているという。
上空は、軍用機の重苦しい音に包まれていた。
彼は、午後の太陽の下、外で歌い踊る家族の短い動画を送ってくれた。
罪なき人々が確実にもっと死ぬだろう。
アヴィハイは彼は大丈夫だと言った。私は嘘を許した。
彼は、10月中旬のバンクーバーでは珍しい晴れの日に外にいる私を見れて嬉しいと言った。
私は自分は大丈夫だと伝え、彼もその嘘を許した。
ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。