世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、LiLiCoさんがホンネで語り尽くす本連載。今回のテーマは、「アレルギー」です。
7歳のときから、ナッツやフルーツ、野菜といった食べ物、動物、花粉症など、さまざまなアレルギーに悩まされてきたLiLiCoさん。18歳で来日してからは、スウェーデンと日本でアレルギーの認識に違いがあったことにも驚いたといいます。
日々の食事から仕事まで、アレルギーと共にどう生きてきたのか。「アレルギーは目に見えないからこそ、一人一人が想像力を」と考えるLiLiCoさんに話を聞きました。
7歳で始まった、アレルギーと共に生きる人生
スウェーデンで暮らしていた7歳の時、団地から一軒家に引っ越したのをきっかけに、アレルギーと共に生きる人生が始まりました。
アレルギーとは、原因となる物質によって体内の免疫が過剰に反応すること。かゆみやじんましん、口の中の腫れ、息苦しさのほか、重い場合は呼吸困難や意識障害をともなうなど命の危険にもつながりかねません。
私の場合はまず、スウェーデン人に多い白樺の花粉症を発症し、花粉の時期はひどいくしゃみと鼻水、目や肘・膝の裏などの肌がかゆくなるなどの症状が出るようになりました。
次に発症したのが食物アレルギーです。特定の食べ物を食べると、喘息になったり、歯茎が腫れて全身がかゆくなったりします。アーモンドやクルミ、カシューナッツなどすべてのナッツ類、そして、りんご、洋梨、梨、桃、サクランボ、キウイ、マンゴーなどのフルーツがアレルギーで、野菜もにんじん、ピーマンなどは、加熱されていないと食べられなくなりました。
また、猫や犬などの動物と、ハウスダストのアレルギーもあります。
そんな私より重いアレルギーを持つのが、9歳年下の弟です。赤ちゃんの頃からぜんそくに加え、牛乳、卵、小麦粉、果物、野菜など私より多くの食物アレルギーがあり、アトピーの湿疹も。母乳すら受け付けず、乳を使わない植物性の粉ミルクを飲んで育ちました。
弟は生まれたばかりの頃「3歳までしか生きられない」と言われていたのもあって、面倒を見ていた私は、いつも気を張っていました。弟のぜんそくやアレルギーが出ないように、「香水は禁止」「煙草は禁止」「動物を飼っている人は禁止」といったリストを作って、関わる人を制限していました。ホームパーティーなどでアレルギーを知らない大人たちが弟に渡したクッキーを、横から奪い取ったことも。弟を救うため、将来芸能界に入ってお金持ちになったらアレルギー研究に投資しようと考えていました。
一人で外出する年齢になってからは、私も弟も自分のアレルギーについて書かれたカードを常に身に付けていました。万が一倒れたときに、何が原因かがわかるためなのだと母が話していました。
来日して驚いた、日本のアレルギーへの無理解
私と弟の食べられるものがあまりに少ないので、母は大変だったと思います。弟は私たちとは別の食事をとっていて、フライパンやお鍋は弟用と私たち用の2種類がありました。
弟の子ども時代の食事は、お米と肉だけを丸めてゆでた肉団子というメニューがほとんどだったので、痩せ細っていました。お菓子も「リーマ」というお米を固めたクッキーのようなものだけ。子ども時代の写真で弟はいつもそれを持っています。
私が生まれ育った1970〜80年代のスウェーデンでは、すでにアレルギーについてよく知られていました。早くから乳を使わない植物性のバターがスーパーで売られていましたし、通っていた小学校に劇団が来て、アレルギーについて演劇で学ぶワークショップが開かれたこともありました。
ただ、食べられるものの選択肢が少なかった私たち家族は、子どもの頃、外食をした記憶があまりありません。だから、今年の4月にスウェーデンに帰った時、アレルギー対応メニューのあるレストランで、弟と外食できたのが本当にうれしかった!
一方、来日した頃の日本はアレルギーについての理解が浅く、驚きました。祖母にも説明しましたが、あまりわかっていなかった気がします。ハムの製造段階で卵を使ったり、カレールーにピーナッツやりんごが入っていたりと、日本独特の加工方法にも驚きました。白樺の花粉症がなくなった代わりに、日本ではスギの花粉症に悩まされることにもなりましたね。
来日してしばらくは、食べられないもの、触れてはいけないものの名前を日本語で覚えるのに、スーパーでひらがなを読んだり、おばあちゃんに聞いたりして必死に勉強しました。
「好き嫌い」とは違う。正しい知識を
大人になり、動物のアレルギーは軽くなり、花粉症はほとんどなくなりましたが、食物アレルギーだけはいまだにあります。
食物アレルギーを持つ人たちは、家の外で作られたものには注意を払う必要があります。私の場合、特に注意しているのはケーキやパン、オイル、ドレッシング、ソース類。どれもナッツ類が目に見えない形で入っていることが多いのです。
日本で暮らしていると、アレルギーへの配慮の少なさを残念に思うことがよくあります。例えば、レストランのサラダにどんな野菜が入っているのか、何が入ったドレッシングを使っているのか、メニューに書かれていることはまれです。
過去には、こちらが確認したのにお店の人が原材料をきちんと把握していなくて、レストランでサラダを食べて唇が腫れてしまったり、ケーキ屋さんで買ってきたケーキを食べて倒れたりしたことがあります。
こうした経緯から、私はあまり洋菓子を食べず、ナッツ系のオイルが多く使われる中華料理のお店も積極的には行きません。
お店の販売員やウェイター、場合によってはシェフでさえも、扱っている食べ物に何が入っているか把握していないことが多いのも、危険だと感じます。お客さんの身体に入るものなのだから、そうした職業の人たちはアレルギーの知識を付けて安全に配慮してほしいです。
食物アレルギーのある人に「好き嫌いはよくない」といった的外れなアドバイスをする人がいるのも残念に思います。自分の意思とは関係なく、食べたくても食べられないのがアレルギーなのですから。
アレルギーは「見えないハンディキャップ」
10年ぐらい前、バラエティ番組の打ち合わせでヒヤッとしたことがありました。「口に入れた食べ物を当てるクイズがある」と言われ、食物アレルギーのことを説明したのですがなかなか伝わらず、押し問答をしてやっと教えてもらったら、なんとリンゴ! うっかり食べていたら発作を起こすところでした。
食物アレルギーで番組や飲食店に迷惑をかけると申し訳ないので、私はロケの番組はあまり出ないことにしています。バラエティ番組などでも、オファーの時点で事務所からアレルギーについて伝えるようにしています。
最近は、食べる機会のある番組の収録前には、必ずアレルギーなどがないか聞かれるようになりました。ただ不思議だったのは、収録の時にスタッフさんから「LiLiCoさんの分はピーマン抜いておきましたよ!」と耳打ちされたこと。アレルギーはいけないことでもタブーでもないのだから、そんなにコソコソしなくても、と思うのです。
だから自分のラジオ(俳優の稲葉友さんとともにパーソナリティを務めるJ-WAVEの「ALL GOOD FRIDAY」)では、何か食べるときにアレルギーのものがあれば、「これはアーモンドが入っていて、私はアレルギーがあるから稲葉くんに任せるね」といった感じで話すようにしています。当事者が口に出さないと、アレルギーの人がいないと思われてしまいますから。
うちの母がそうだったように、アレルギーの子を持つ人は悩むことも多いと思います。でも、アレルギーは遺伝要因と環境要因の組み合わせで発症するものですから、自分を責めないでほしいです。今は日本でも乳を使わないバターや生クリーム、卵、乳、小麦粉を使わないケーキなどもあるはずだから、検索してみてほしいですね。
スウェーデンではアレルギーは「見えないハンディキャップ(障害)」と呼ばれます。日本にもスギの花粉症の人、そばや甲殻類のアレルギーを持つ人は少なくありません。目に見えなくても、隣にいる誰かも何かに困っているかもしれないという想像力を持ち、互いに配慮していけたらいいですね。
(取材・文=有馬ゆえ、写真=川しまゆうこ、編集=若田悠希)