時差ボケからか、興奮からかーー。朝6時前なのにもう目が覚めた。
外はだんだん明るくなってきている。
町はまだ静かだが、すでに開いているサーフショップがあった。1日15ドル(約2200円)のサーフボードをレンタルし、石畳の小道を数十メートル歩くともうビーチだ。
玉石のビーチの先には太平洋が広がり、沖からはパーフェクトなライトの波(海にいるサーファーから見て右に割れていく波のこと)が割れている。サーファーの人数はそれなりにいるが、混雑はしていない。
待ちきれず入水すると、水は濁っている。雨季(5月から10月)で昨夜も大雨が降っていたためだろう。しかし水温は真夏の湘南のように温かい。
そして、波は...。
最高だ。
サイズは胸の高さくらいだっただろうか。日本ではなかなか経験できないような良質な波に1本乗っただけで、飛行機で計約20時間の長旅の疲れから解き放たれていくのを感じた。
そう、ここは日本から1万2000キロ以上離れた中米の国、エルサルバドルだ。
太平洋に面するラ・リベルタ県、エルトゥンコにある有名なサーフポイント、エルスンザルに私はいる。
海からビーチを振り返ると、生い茂るヤシの木の合間にホテルが点在し、海岸線を縁取っている。周りにいるサーファーたちはローカルをはじめ、世界各国から来たであろう顔ぶれで、数年前に訪れたバリを彷彿させた。
エルスンザルは、すぐ隣にあるラボカナというポイントとともに、オリンピック出場権の選考も兼ねた2023 ISA World Surfing Gamesが開催された有名なサーフポイントだ。東京オリンピックで銀メダルに輝いた五十嵐カノア選手は、パリオリンピックの条件付き出場権をこのビーチで獲得している。
一方、サイズが小さければ初心者でも楽しめるポイントで、実際にその日も、岸側ではサーフスクールが行われていた。
またエルサルバドルの多くのサーフビーチで言えることだが、ほとんど雨の降らない乾季には水質が改善し、全体的に波もサイズダウンするため、雨季とはまた違った顔が見られるという。
ちなみに、海の中のサーファーたちはいたって平和的で、波を逃して悔しがる私を見て「もっと力強くパドルしなきゃ!」なんてアドバイスをくれたおじさんもいた。ハワイなど、ポイントによってはよそ者が入りづらいイメージもあるが、そういった雰囲気はここにはない。
それもきっと、海岸線のいたるところで良質の波が通年ブレイクし、混雑を避けられるという「強み」のおかげかもしれない。
エルサルバドル:「危険」なイメージからの脱却を目指して
エルサルバドルと聞いて、すぐ浮かぶイメージは何だろうか。
コーヒーの産地として知名度は高まってきた。
歴史的には、1990年代まで10年以上続き、約7万5000人以上の犠牲者を出した激しい内戦でも知られる。
朝日新聞によると、さらにその後は、ギャング集団が横行し、2015年には人口10万人あたりの殺人件数が世界最悪の水準に達した。在エルサルバドル日本大使館が安全の手引きで、「かつてエルサルバドルは世界で最も殺人事件が多い国として注目を浴びていました」と紹介するほどだ。
そのため、エルサルバドルといえば「治安が悪い」とのイメージを持つ人も多いだろう。
しかし、2019年に現職のナジブ・ブケレ大統領が就任してからは、状況は変わっている。
ブケレ氏は現在42歳。治安対策や大型インフラ案件を進め、ギャング構成員らを次々と拘束して治安を大幅に改善させた。
「逮捕状なしの拘束など人権侵害が起きている」として、国際人権団体からの批判もあるが、日本外務省の海外安全情報では、エルサルバドルの大部分の危険レベルは9月14日現在、「レベル1(十分注意してください)」にとどまり、サンサルバドル市の特定地域など一部が「レベル2(不要不急の渡航は止めてください)」となっている。
これはフィリピンやインドネシアと同等のレベルだ。
そんなエルサルバドルが治安改善と共に今力を入れているのが、数多くある魅力的なサーフビーチをアピールし世界から人を呼び込もうという国家戦略「Surf City(サーフシティ)」プロジェクトだ。
「サーフシティ」へようこそ
エルサルバドルは太平洋に面し、300キロを超える海岸線がある。そしてそこには数多くの良質なサーフポイントが点在している。
「サーフシティ」プロジェクトは5つのフェーズに分かれており、第1フェーズとして開発されたのが、ここラ・リベルタ県のエルトゥンコを含むエリアだ。
先ほど述べたISA World Gamesの他にも、世界最高峰のサーフィン大会であるWSLチャンピオンシップツアーも開催されており、新たなサーフデスティネーションとしての認知が高まっている。近隣のアメリカや中米諸国の近隣国、南米ブラジルはもちろん、ヨーロッパなど世界中から多くのビジターが訪れているという。
整備された道路、ボードウォークのあるビーチ、そして街には複数のサーフショップやホテル、レストランが並ぶ。しかし多くの日本人が知るワイキキのような「リゾート」ではなく、まだまだラフさが残る「スモールタウン」感がある。
ホテルも、大型の高級ホテルというより小さな「宿」もしくは「ブティックホテル」といった感じだ。そうした宿にはたいていレストランやプールがあり、1日20ドル(約2900円)ほどで日帰り利用もできる。週末にはたくさんの家族やカップルたちが楽しむ姿が見られた。
ビーチだけではない。近くには小さな遊園地やシーフードマーケット、様々なアウトドアアクティビティが楽しめる国立公園もあり、このエリアだけでサーフィン以外の観光も存分に楽しめる。
そして寄る先々のトイレなどの設備も綺麗だ。
地元の人々の思いは
整った設備や豊富なアクティビティーー。訪れる側にとっては嬉しいことばかりだが、地元の人々はここ数年で続く変化をどう感じているのだろうか。
私が宿泊したホテル「パパヤ・サーフガーデン」のオーナーでサーフボードシェイパーのハイメ・デルガドさんは、このプロジェクトをおおむね歓迎しているようだ。
現在50歳のハイメさんは、エルトゥンコで生まれ育った生粋のローカル。7歳からサーフィンを始め、1997年にはエルサルバドルのサーフチャンピオンになったという輝かしい経歴を持つ、このエリアが輩出したプロサーファーの元祖のような存在だ。今ではサーフボードのシェイパーとして活躍し、複数のサーフホテルやショップを経営している。政府の支援で海外のサーフタウンの視察にも行ったという。
「サーフシティの政策が始まって、ここでサーフィンの国際試合が開かれるようになったり、外国人が多く来たり、経済が良くなったことを嬉しく思う」と話す。しかし何よりも大きな変化を感じたのは「安全面」だと言う。
「以前はここエルトゥンコだけが安全だったんだ。でも今はラ・リベルタ全体が良くなって、広い範囲に人が来るようになったよ」
しかし開発が進むにつれ、懸念もある。
「雇用が増え経済が良くなったことは素晴らしいことだと思う。でも、自然が一番大事。バランスが保たれる限り歓迎だよ」と述べ、理想とするのは開発と自然のバランスのとれた「ハワイのノースショア」だと話した。
実際にこの「サーフシティ」戦略では、設備やインフラ整備の他に、「サステナビリティ」も重視している。インフラが整い地域が活性化するのは素晴らしいことだが、その代償として自然や文化が失われないことを望むばかりだ。
サーフシティプロジェクトは現在フェーズ2が進行中だが、フェーズ5が終わる頃どうなっているのか。ぜひともまた戻ってきたい。
遠いからこそ行きたい。サーフパラダイス
私が訪れた今の「サーフシティ」は、まだ変化の途中にある。しかし旅行先として十分なインフラが整備され、必要なものは揃い、何よりも安全と感じられる。
前日早朝から開いていたサーフショップが翌日は閉まっていたり、ホテルに温水シャワーがなかったりと、ちょっとした不便さはある。でもそれこそが愛おしく、「ちょっと足を伸ばして来た秘境の地」らしさが感じられるのだ。
そして何より、1年を通して水着でサーフィンできる最高の波がある、夢のようなサーフパラダイスだった。
確かにエルサルバドルは日本からは遠い。
でももし、バリでもハワイでもない新たな冒険を探しているならーー。
ここエルサルバドルこそが、あなたが探している次なるデスティネーションかもしれない。
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ハフポスト日本版は、駐日エルサルバドル大使館より招待を受け、現地の取材ツアーに参加しました。執筆・編集は独自に行っています。