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「LGBT理解増進法」(正式名称:性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律)が6月23日、施行される。
この法律の最大の問題点は、自民・公明の与党案に維新・国民が修正合意する際に追加した「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする」という第十二条の条文だ。
有識者は「国が、自治体の差別禁止条例や、学校での多様な性についての教育など、LGBTQに関するあらゆる取り組みを抑制できるようになる」と指摘してきた。
この法律ができたことで、社会はどう変わるのか。『台湾同性婚法の誕生──アジアLGBTQ+燈台への歴程』の出版で、2023年5月に第1回日本台湾学会学術賞と第35回尾中郁夫家族法学術賞を受賞するなど、性的マイノリティを巡る法制度に詳しい明治大学法学部の鈴木賢教授に聞いた。
◆LGBTQに関する取り組みにストップをかける
──LGBT理解増進法は一言で表すと、どんな法律でしょうか。「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする」という条文が問題視されています。
LGBTQに関する取り組みについて、だれかが「安心できない」と主張すれば、実質的に、国がさまざま政策などを制限できるという解釈ができる法律です。
性的マイノリティの人たちに積極的に何か支援をするのではなく、「多数派を脅かさないように」取り組みにストップをかけるという性質のものです。
──この法律の議論が今年加速したのは、2月の前首相秘書官の差別発言などがきっかけです。性的指向や性自認に関する差別的取り扱いを禁止し人権を守る「差別禁止法」が求められてきましたが、それとは違う性質の法律だと感じます。
議論の中で当初は「差別は許されない」が「不当な差別はあってはならない」と変更されるなど、後退を繰り返してきました。ですが日本維新の会、国民民主党が「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする」という条文を入れた段階で、性的マイノリティの人たちへの理解を増進するという目的から、その実は当事者への理解や権利回復を抑制するものに変質してしまったといえます。
──法律には当初なかった、「(性的指向・性自認に関して)国民の理解が十分でない状況に鑑み」という言葉が追加されました。各社の世論調査では結婚の平等(いわゆる同性婚)に賛成する人が過半数となっており、違和感があるという指摘もあります。
「全ての国民の安心に留意」という言葉がなぜ入ったのか。それは保守政党に「LGBTQ当事者は性的マジョリティ(多数派)に対し、危害を加える存在だ」という前提があり、本音として、LGBTQに関する取り組みを進めたくないので、「理解が進んでいない」という口実を用意したからではないでしょうか。
理解が進んでいないことは本来、制度を作らない理由ではなく、作る理由だと受け止めるべきです。制度ができることが一番、理解が進むことに繋がりますから。
──学校での教育や啓発についても、 「家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ」という文言が追加されたことも、「LGBTQに関する取り組みを進めたくない」ことの表れでしょうか。LGBTQ当事者の子どもたちは自殺率が高いことなどから、学校では多様な性に関する教育が広がっていますが、そういった動きに今後、影響はあると思いますか。
教育現場は相当萎縮し、後退すると思います。今回「協力を得つつ」という文言が入ったことで、現在行われている教育現場の取り組みにNOを突きつける動きが活発化するでしょう。もともとあった反対意見に、法的な根拠を与えてしまった形です。
実際に、自民党の西田昌司氏(参院京都府選挙区)は自身のYouTubeなどで、LGBTQに関する教育について「規制するためにLGBT法案が必要だ」などと、はっきり言っています。
──国・地方公共団体の施策についても、「民間団体等の自発的な活動の促進」という言葉が削除されました。自治体の取り組みにはどんな影響が出るでしょうか。
LGBT理解増進法を根拠にして、今ある差別禁止条例などを廃止にするべきだと言い出す人は出てくると思います。特に宗教右派の人たちは、いろんな活動をするでしょう。そうした動きに対し、行政は今まで以上に抵抗が難しくなる可能性があります。今回の法律に、「全ての国民の安心に留意する」と書かれていますから。
また、昨今のトランスジェンダーバッシングを受け、「ジェンダーフリートイレ」を作る動きにも待ったをかけることができるようになってしまうと思います。ただ私は、ジェンダーフリートイレがなぜ「安心じゃない」と言われるのか、理解できません。例えば台湾には、入り口が一個で奥に個室がたくさん並ぶトイレがたくさんあります。
一方で、パートナーシップ制度については、根拠を持って「安心できない」と主張するのは難しいので、影響はないと思いたいです。ただ、行政はクレームを嫌がります。これまでもパートナーシップ制度の制定の過程などであった、「批判されるのが嫌だから、やめよう」という動きは強まるかもしれません。
──行政以外が実施するLGBTQに関するもの、例えば企業の社内外取り組みや、当事者の権利回復などを目的に全国で行われている「プライドパレード」への影響は考えられますか。
企業の取り組みについては、基本的には止められないと思います。従業員研修やLGBTフレンドリーな取り組みは不可逆的なところまできていて、この法律ができた後も、進んでいくと思います。
一方でプライドパレードについては、公園や道路などを使う以上、行政の許認可が必要なため、影響が出る可能性はあります。もし行政に対して、「安心が確保できない」と言う地域住民がいると、許可が降りないというケースはあり得ます。
──実質的に、LGBTQ当事者の発信などを抑制する法律ですが、憲法などには違反しないのでしょうか。
実質的には抑制する法律ですが、はっきりとそれが明文化されてはいないので、違反はしないでしょう。ですがLGBTQ当事者の人権を認めたくない人が悪用する心配はあります。「安心できない」といろんなところで主張し、LGBTQに関するあらゆる取り組みをやめさせるという悪用です。
──「イベントや教育が抑制された」ことについて、当事者団体などが訴訟を起こすケースは考えられますか。
あり得ます。例えば、プライドパレードなどについて、地方自治体などがこの法律をもとに、公園の使用許可を取り消し、イベントができなくなるようなケースです。その場合は、処分の取消しを求めて、行政訴訟に発展することはあるかもしれません。ただ日本の場合は当事者同士で妥協点を見出すことが多いとも思います。教育については、そういった訴えがしにくいため、訴訟にはなりにくいでしょう。
──この法律の議論の上で、「差別は許されない」という言葉に反対意見が出たのは、「訴訟が乱発されかねない」という意見からでした。ですが、その文言がなくなっても訴訟はあり得るのですね。
この法律自体は、差別を禁止する実効性のある法律ではなく理念法ですから、差別的取り扱いについての訴訟が起こることはないでしょう。ですがそもそも、「訴訟が乱発されかねない」という議論自体がおかしいと感じています。訴訟が起きることは何も悪いことではありません。それにより、権利が救済されることもあるのですから。
差別を禁止する法律ができて、それに基づいた訴訟が行われることで権利の救済が行われていけば、差別は減っていきますから、やはり差別禁止法が必要といえます。
──この法律について、評価できる点はありますか。
唯一良かったのは、LGBTQが、国会という場で議論されたことです。正式に、政治的なイシューになったことが、唯一のメリットといえます。
当事者の人権を守る法律ではないので、これで打ち止めするのはいけませんが、政治問題化していけば良い。今後も別の課題が議論されていくと思うので、アジェンダ設定をされたことだけは、評価できる点です。
──法律面以外で、この法律が社会に及ぼす影響として懸念されることはありますか。
この法律自体がLGBTQ当事者を敵視し、危険をもたらす存在だという認識が前提になっているため、トランスヘイトなどを勢いづかせて、当事者に対する暴力や、トイレを巡るトラブルが起きるのではないかという心配があります。
今回の法律により、LGBTQ当事者の存在そのものの正当性が下げられているんですよね。だからこそ、何をしても良いと思う人が出てきます。ある意味で、国のお墨付きを得たことになり、ヘイトスピーチはもっとひどくなるでしょう。生きづらさを加速させ、子どものいじめや自殺にもつながるかもしれません。
こうした法律を悪用する動きに対しては、しっかりと目を光らせ、悪用にはおかしいぞと声を上げ抵抗していくことが、今後大切になってくると思います。
<取材・文=佐藤雄(@takeruc10)/ハフポスト日本版>