「ニューヨークで働いていた時、僕はミドルマネージャーの立場でしたが、上司3人が全員女性でした。これはまだまだ男性中心の東京オフィスでは考えられないことでした」
モルガン・スタンレー証券で働き、M&A案件の主導や財務アドバイザーとして金融業界の第一線で働いてきた星直人さんは、ニューヨーク本社時代をそう振り返る。
「娘が生まれて特に考えるようになったのは、日本で娘が私と同じ職業を選択した場合、役職に就くというオプションが一般的ではない、ということ。選択肢があって、選ぶ・選ばないが自由なのではなく、そもそも選択肢が存在しない社会って、フェアじゃないなと思ったんです」
モルガン・スタンレーから、保育施設のDXを推進するスタートアップ・ユニファ株式会社の取締役CFOへ、というキャリアは一見、稀有なものに思える。暮らしの中から生まれたさまざまな課題意識に導かれてきた星さんの、「未来を作る仕事」とは?
保育施設に入れない! 100件近くの電話をかけ、結局引越し
──星さんは12年間モルガン・スタンレーで働かれ、2019年に株式会社ユニファの取締役CFOに就任されました。転職にはどんなきっかけがあったのでしょうか?
星直人(以下・星):冒頭にお話ししたように、娘が誕生したタイミングで、「子どもに誇れる仕事がしたい」と思うようになったのが大きいですね。何が誇れると思うかというのは、もちろん人によって全く違いますし、年齢やキャリアの段階で考えることも違うと思います。私の場合はその時、子どもが娘ということもあり、娘の為にも、女性のキャリアに関する社会課題は絶対に解決すべきだ、という思いが強かった。
日本に帰ってきた時、共働きの中、娘が保育施設に入れないという問題に直面しました。当時住んでいたのは都心にある区だったのですが、100件近くの保育施設に電話をかけて、結果的に見つかったのは住んでいたところからは遠くの区にある認可外保育施設。それで、引越しを余儀なくされました。
日本では、子育てというものが、働き続けてキャリアを築くことと両立が非常に難しい社会構造になってしまっている。特にその皺寄せを受けてしまうのが女性です。自分の中で、この社会課題に等身大の手触り感がありました。
──ユニファとの出会いについて、ぜひ教えてください。
星:まだモルガン・スタンレーに在籍していた頃、ユニファ代表の土岐泰之と知人の紹介で会っていたんです。その時、「保育施設のDX」を目指すという事業内容に一人の父親として共感したことに加え、土岐の起業家としてのスタンスにも感銘を受けました。彼は「僕はこの領域に出会えたことが人生一番の幸運だから、一生を捧げる」「シリアルアントレプレナー(連続起業家)にはならない」と言っていて、この領域への圧倒的な情熱や経済性と社会性を両立させようとする姿勢が伝わってきたんですね。
仕事は、何をやるかに加えて、誰と働くかということも重要なポイントですよね。転職を考えた時、土岐をはじめ、ユニファの素晴らしいメンバーと一緒に働きたい、と思いました。
ICT化は子どもも保育者も保護者もハッピーにする
──ユニファさんは保育施設向け総合ICTサービス「ルクミー」で、「午睡チェック」「写真サービス」「連絡帳アプリ」など様々な場面で保育施設のDX化を実現しています。一方保育業界はアナログ管理からなかなか脱せないのが問題だと聞いたことがありますが、実態はどうなのでしょうか?
星:連絡帳など、手書きならではの良さがある、と信じていらっしゃる方も多いですし、その考えを否定するつもりも一切ありません。私たちが意識してお客様(保育施設側)にお伝えしているのは、ユニファは「保育や子育てそのものをDXしようと言っているわけではない」ということ。
僕の娘の時も手書きの連絡帳だったのですが、僕の方がだんだん書くのに余裕がなくなってしまって……何十冊も書いている保育者の方は相当大変ですよね。書くことが「目的化」してしまったら本末転倒のはず。連絡帳は親御さん2人で共有することも多いので、片方が持っていたら片方は確認できないという物理的な制約も出てきてしまいます。
機械が得意なものは機械を利用することで、保育者さんが子どもとの触れ合いにもっと多くの時間を費やすことができます。すると子どもたちも、保育者さんも、僕のような保護者もハッピーになれる。目指しているのは、まさに三方良しの世界観です。
利用していただいている園から、「ルクミーを導入しているおかげで、人材不足とは無縁です」と言っていただけることもあり、大変嬉しいです。
──「保育施設のDX」の業界は今、活性化しているのでしょうか?
星: 国としても少子化対策が待ったなしという状況の中で、最近ようやくこの分野への課題意識が非常に高まり、産業としての規模も大きくなってきています。2017年ごろから、保育施設のICT化に国から補助金が出るようになりました。また、コロナ禍の影響で非接触で済むデジタル化が求められたこともあり、世の中の動きが一気に加速しました。
現在日本には約6万5,000の保育施設がありますが、その運営形態は様々で、補助金が出ている地域と出ていない地域でICT化への温度差があるという状態です。子どもはどの地域で育っていても同様のケアを受けられるべきですから、より広く普及させていくため、国にも訴えかけていきたいと思っているところです。
また、ユニファはインパクトスタートアップ協会の創始にも携わっていて、社会にポジティブなインパクトを生み出すスタートアップの仲間たちとの連携も行なっています。一社でできることにも限りがありますので、同じ目標を目指している仲間たちがいるのは心強いですね。
「全員が偉人にならなくてもいい」星さんのキャリア観の原点
──前職と比べると、経済規模、事業領域、共にかなり違うお仕事をされていると思います。学生時代はどんなキャリアを想定されていたんですか?
星:僕はモラトリアム(猶予期間)が長かった人間なんですよ。大学時代でやりたいことが明確に見つからず、結局、大学院に進むことにしました。
僕は、高卒で共働きをしながら僕を育て上げてくれた両親を一番尊敬していて、なぜかというと、二人がとても楽しそうに人生を生きているからなんです。そういった人間になるためには、自分の価値観がしっかり定まっていないと、どんな仕事をしても無意味だと思いました。
──「何をしたいか」ではなく、「どう生きたいか」に焦点を当てられていたから、就活に違和感があったのかもしれないですね。
星:そう思います。なんとなく、世間体的な視点から、いい大学に行って、いい企業に就職して、という流れがしっくりこなかった。
それで、大学4年生の卒業旅行に一人でインドに行きました。遠藤周作の『深い河』や安藤忠雄の『建築を語る』にとても感銘を受けていたので、ガンジス川に行けば何かが見えてくるんじゃないかと思ったんですね。
衛生状態の良くない川なので入るのにも迷いがあったんですが、暑い中、沐浴をするのは単純にとても気持ちが良かった。その時に思ったのが、「壁は存在しているわけじゃなく、僕が勝手に作っていたんだ」ということ。それでふと楽になって、帰国してからも、素直に自分の心が動く仕事を探すことができました。
それから、マザー・テレサが設立した「死を待つ人々の家」にも行ったんです。僕は、自分もいつかマザー・テレサのように人から尊敬される素晴らしい人間になりたいと、どこかで思っていたのかもしれません。でも、自分の器はそんなに大きくはないと思い知りました。
漠然と世界をより良くしたい、というアプローチではなく、僕は自分の身の回りの両親や、友達、家族の幸せのために何かできるようになりたいと思いました。それをみんなができるようになれば、結果的に世界がより良くなることにもつながりますよね。方法論やアプローチの違いだと思うんですが、全員が偉人にならなくてもいいんです。
誰もがそれぞれ、自分のやりたいこと、やれることの中で、自分らしく結果を出せばいい。それ以上でも以下でもない、と気づけたという点で、大きな意義を持つ旅でした。思い返せば、あの旅が自分の人生や仕事の原点になっているのかもしれませんね。
(文:清藤千秋 編集:中田真弥)