タレントのタモリさんが5月31日、放送文化の向上に貢献した番組や個人・団体を表彰する「第60回ギャラクシー賞」(主催:放送批評懇談会)の贈賞式に出席した。タモリさんは、懇談会60周年記念賞に選出され、その際に語ったスピーチが話題になっている。
「ほぼ半分は非難の歴史でした」
作品としてはギャラクシー賞の受賞が過去にもあったというタモリさん。今回は、個人として受賞したことについて、こう語った。
「作品とするなら、それに関わったということで、私ひとりの力じゃないんですが、今回はお前よくやったぞということですから。これちょっと意味が違うんですよね。私、この世界に入りまして、ずっと活動したんですけども、ほぼ半分は非難の歴史でした」と始めた。
続けて、「まず最初にテレビでサングラスをかけるな、ということから始まって…まあ、酷いことやってました。白いブリーフ1枚でイグアナやったりなんかして。まあ、非難は当然だと思うんですよ。ようやくここいらで褒められ始めて、ちょっと気持ち悪く思っているんですけども」とコメントし、場を和ませた。
東京の坂道に興味を持ったきっかけとは?
司会の長野智子さんがタモリさんについて、多趣味・博学と伝えた上で、タモリさんが詳しいとされている渋谷の坂道について話を投げかけた。
すると、タモリさんはまず多趣味という言葉について自身の考えを述べた。「多趣味というのは、これまた過大評価で、確かにいろんなことやってるんですけど、僕はあれ自分では絶対言わないんですよ、なぜかというと挫折の歴史なんですよ。根性がないんで、これが面白いな、とその分野に行くと先人たちのすごい人たちがいっぱいいるんで、すぐ諦める。で、また次に行って、全てがやることなすこと中途半端ってやつですから」
そして、渋谷について聞かれたタモリさんは、坂道に興味を持ったきっかけについて「九州から学生でこっちに出てきて、友達と一緒に地下鉄銀座線に乗ろうと思ったんです。で、当時は渋谷は銀座線しか地下鉄がなかったんですけど、あらゆる地下の入り口に行っても、地下鉄の乗り場がないんですよ。で、ふとみたら空中を地下鉄が走ってる。地下鉄って空中を走るの?という驚きから東京の坂道に興味を持つことになったんです」と話し、「青山通りの地下を走ってたのが、渋谷という谷に差し掛かると空中になるということが、すごいこんな起伏を富んだ東京っていうのは素晴らしいなと思って坂道に興味を持ちました」と興味を持つきっかけになった出来事を語った。これが、知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫るNHKの人気番組『ブラタモリ』につながることになった。
ファンからは、「ただひたすら、タモリさんが好きなことを話すだけの番組が観たい」「自分のおかげでとか思ってないのが素晴らしいと思う」「だれからも尊敬されてる」などと熱いコメントが寄せられている。