「がんばることやがんばりたいと表明することが、こんなにも卑しいこととされるようになるとは、思いもしませんでした」
いまから7、8年前、当時20代後半だった友人女性が、こんなふうにこぼしたという。焦燥を含んだ彼女の言葉が、ジェーン・スーさんの胸に刺さった。
時代の影響を大きく受けた言葉とはいえ、女性たち自身が自らを抑圧するような価値観は、一体どこからやってきたのだろう?
コラムニスト、ラジオパーソナリティ、作詞家として30代40代女性たちに熱烈に支持されるジェーン・スーさんが、「多くの女性たちが自分を信じられないのは、実用的な技術や方法を示すサンプルが、女性の場合は少なすぎるから。人は、知らないことはできない」と、自分の手で人生を切り拓いた女性たちにインタビューしていく雑誌連載を始めるきっかけになった。
連載は6年にわたり、インタビューエッセー集『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)として1冊にまとまった。本に登場する13人は、美容ジャーナリスト・齋藤薫さん、俳優の吉田羊さん、タレントの田中みな実さん、辻希美さん、スタイリスト・大草直子さん、脚本家の野木亜紀子さん、美容家の神崎恵さん、漫画家の一条ゆかりさんら、年齢も職業も多様な女性たちだ。
最新のジェンダー・ギャップ指数(2022年)が世界146カ国中116位と低いこの国で、「可視化されることや実在の話として知ることで、人の常識はすぐ変わる」とジェーン・スーさんが見出す、女たちへの希望とは。
ジェーン・スーさん
1973年、東京生まれ東京育ちの日本人。コラムニスト、作詞家、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ『ジェーン・スーの生活は踊る』、Podcast番組『ジェーン・スーと堀井美香のOVER THE SUN』『となりの雑談』などのパーソナリティとして活躍中。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』で第31回講談社エッセイ賞を受賞。『おつかれ、今日の私。』など著書多数。
夢なんてなくたっていい。私もないですから
ーー自分の居場所を自分で見出した女性たちのサンプルを、集めていこうと考えた背景や経緯を、教えてください。
私が子どものころは、「がんばれば、何にでもなれる」とか、「夢を諦めない」「努力に我慢はつきもの」と教わりました。私もそれを信じきっていたし、それに対して懐疑的な大人もほとんどいませんでした。
ところが大人になるにつれて、女性にはそうとは言い切れない場面があると気づいたんです。欲張るのは女らしくないとか、家庭のことをきちんとやるのが先決で、それができてはじめてプラスアルファができるといった、ジェンダーバイアスがあることがわかってきて。女の子に生まれたからこう、男の子に生まれたからこう、と性別で役割が振り分けられていたことに、ようやく気づけたんです。
そんな私たちの時代から、20歳~10歳下になるいまの30代は長きにわたる日本経済の停滞により、「何にでもなれるというのは、それはそれでウソ」と、小さいときから認識している人も少なからずいるようです。社会的な成功や、結婚や出産がすべてではないと幸せの選択肢が増えた一方、女性が夢や自分のやりたいことに自覚的になり、それを追い求めることは美徳とはしない世の中は依然として残っています。たくさん欲しがることが、浅ましいというような。
ーー夢を持つこと自体も、叶えるために努力する機会も、削られるようになったと?
性別にかかわらず、夢を持てる人はいいよねと、夢に向かって努力すること以前に、抱くことすら諦めている人が少なくない。私の子ども時代には無自覚だった、「階層」「格差」がSNSなど新しいテクノロジーによって可視化されやすくもなりましたよね。
夢なんて、別になくたっていいと思うんですよ。私もないですから。別に責められることではない。ただ気になるのは、「やりたいことを思いついたって、どうせ私はできないから」「夢なんて、自分には分不相応」といった感情をもってしまうことです。
「自己肯定感」「自分を愛そう」その言葉の正体は?
ーー「できるあなたはいいよね」という類の諦めもありますよね。
そうですね。私の時代は、「がんばりなさい、がんばれることが尊い」という、一方通行な刷りこみしかなかった。そこからいまは、(冒頭に取り上げた)当時20代後半だった友人談のように、がんばれることは隠さないといけないことになりました。「なんだろう、この感じ?」と考えるようになったんです。
自分を含む女性が置かれた環境を考えたとき、誰かが足を引っ張って女のやる気が削がれるのは、ほんとうにイヤなんです。どんなに時代がかわっても、何かに足を引っ張られてしまうのはできるだけ避けたい。
そんな空気感を反映してなのか、「自己肯定感」や「自分を愛そう」といった言葉がよく聞かれるようになりました。けれど、具体的にその正体がなんなのかはあまり詳らかにされていませんよね。
そもそも、自分で工夫して何かを獲得した女性の人生例が少ないのは事実です。であれば、「私だって、ここに描かれている女性たちのように夢を追っても、そんなふうに生きることをしても、いいのかもしれない!」と、顔を上げて進めるような話がたくさん増えればいいと考えました。
可視化されることや実在の話として知ることで、人の常識はすぐ変わりますから。
たとえば少し前までなら、スーパーでシニアの男性がレジ打ちをしているのは珍しいことでした。あるいは、女性の車掌さんが働いていることは、私の子どものときには考えもしないことでした。でも当然ながら、シニア男性がレジ打ちをしていても、女性の駅員さんが増えても、問題は起きません。目にすれば、当たり前の存在にもなっていきます。
であれば、女性が「なりたい自分になって人生を楽しんでいる」様子がわかる例が増えれば、それが常識になる。自分の人生を生きている女性の話が読みたい。ないなら、自分でやろうと始めました。
ーー「自分の人生を生きる」とは、どういう状態だと考えますか?
自分がやりたくないことを主軸にしなくても生きていける、ってことじゃないですかね。
たとえば、性別役割によって不本意なことを振り当てられたとします。その際に、やりたくないけれど仕方がない、私はこれぐらいしかできないからやる、これは女(男)がやるべきことだからやる、ほかにやる人がいないからやるというのは、自分の人生を生き切れているとは言えないと思うんです。自分がやりたくないことと、やりたいことをはっきり区別する。まずそこが最初のハードルかもしれません。
そこから自分で見出したものをきちんとつかみ取り、それを追い求めるところまでできている人が、自分の人生を生きている人なのではないでしょうか。
ーー偉人ではなく、「もう少し親しみを感じられる女たちに話を聞きたい」と著書にありました。著書に登場する13人の共通点は、どこでしょう?
自分の居場所を、自分で作った人たち。みなさん、最初から幸運に恵まれた人たちではありません。加えて、私自身がリアリティをもって、すごく話を聞いてみたいと思える方たちです。
だからこそ、聞けることも伝わることもあると考えたし、実際に話を聞いてみると、なぜこの人がいまここいるのか。はっきりとわかり、納得することばかりでした。
(後編に続く)
(取材・文:平山ゆりの 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)