晴天が続くと、気持ちがいいですね。まさにさわやかな五月晴れ(さつきばれ)の日々です。
……と、ここまで書いて、厳密に言うと、あるいは、かつては、この文章は間違いであることに気がつきました。
さて、どこが間違っているのでしょうか。
「さわやかな5月」はおかしい?
「晴天が続くと、気持ちがいいですね。まさにさわやかな五月晴れ(さつきばれ)の日々です」の中には“間違い”が2カ所あります。
一つは「さわやか」です。
この「さわやか」は「五月晴れ」にかかります。
五月晴れは、5月に関することです。
しかし、じつは「さわやか(爽やか/爽か)」は秋の季語にもなっているのです。
〜爽やかに屈託といふもの無しに〜
これは俳人で小説家の高浜虚子(1874~1959)の一句です。
心中にこだわりが何もないことを、秋の季語「爽やか」を使って表しています。
この時分、虚子は、屈託なく、爽やかな秋のような心持ちだったのでしょう。
しかし、現代では「さわやか」を春や初夏などの気候に使うのも、間違いではないでしょう。
ただし、俳句などを詠むときは、秋の季語であることに注意したいものです。
その「五月晴れ」はどっち?
もう一つの“間違い”は「五月晴れ」です。
「五月晴れ」を辞書で調べると「梅雨の間の晴れた天気。梅雨晴れ」と「すがすがしい5月の晴天」といった意味が載っています。
しかし、やや古い辞書や書物には「すがすがしい5月の晴天」のほうは「誤用から広がった」「本来の意味からは誤用」などと解説してあるものもあります。これはどういうことでしょうか。
これには「五月」を太陰太陽暦(旧暦)でとらえるか、太陽暦(陽暦/新暦)でとらえるかが、関係しています。
本来「五月晴れ」は太陰太陽暦の「五月」に対して使われていた言葉です。
太陰太陽暦を太陽暦に直すと、およそ1ヵ月、後ろにずれるため、太陰太陽暦の5月は6月ごろになり、梅雨の時季に重なります。
そのため「五月晴れ」は「梅雨の間の晴れた天気。梅雨晴れ」の意味で使われるようになったのでしょう。
ところが、現在の5月は春から初夏にかけた時季で、すがすがしい晴れの日も多くあります。
これも「五月晴れ」と言うようになって、今はこの「五月晴れ」の意味も辞書に載っています。
「五月晴れだね」と言ったり聞いたりする場合、話の流れなどから判断することが求められそうです。
「五月雨(さみだれ/さつきあめ)」は、今の5月に降る雨ではない
「五月晴れ」は太陰太陽暦と太陽暦の意味が辞書に載っていますが、「五月雨」は太陰太陽暦の意味だけを載せている辞書が多いようです。
「五月雨」を引くと、多くの辞書に「陰暦(太陰太陽暦)5月ごろに降り続く長雨。梅雨」といった意味が載っています。
ということは、現在の5月に降る雨に対して、「五月雨」とは通常言わないのですね。
〜五月雨をあつめて早し最上川(もがみがわ)〜
これは俳聖と謳われる松尾芭蕉(1644~1694)が詠んだ一句で、『奥の細道』にも収められています。季語は「五月雨」で、夏です。
梅雨の時分の長雨が山形の山野に降り注ぎ、最上川に集まっているのでしょう。急流の最上川が水量を増し、猛烈な勢いで滔々(とうとう)と流れているさまが眼前に広がるようです。
「五月蠅い」はなぜ「うるさい」と読む?
「五月」の使い方では、ほかにも興味深いものがあります。
その一つは「五月躑躅」。読み方は「さつきつつじ」で、「太陰太陽暦の5月に花が咲くツツジ」であることから、この名が付けられました。
もう一つ、「うるさい」も紹介しましょう。「うるさい」は漢字では「煩い」「五月蠅い」と書きます。
五月の蠅(はえ)がどうして「うるさい」のでしょうか。
この「五月」も太陰太陽暦の5月で、ジメジメした梅雨の時季に飛び回るようになる蠅が不快で、うっとうしく感じたのではないでしょうか。それで「うるさい」を「五月蠅い」と書くようになったと考えられます。
「五月」でイメージする季節感は、今と昔では、かなり違うようですね。
現在の5月はさわやかな……ではなく、すがすがしい日が多いです。好きな月を尋ねたアンケートでは、5月はいつも上位に入ります。
旧暦5月に入る前の新暦5月のすがすがしい日々を満喫しましょう。
参考資料など
『ホトトギス新歳時記 改訂版』(編者/稲畑汀子、発行所/三省堂)、『俳句十二か月』(著者/稲畑汀子、発行所/日本放送出版協会)、『鑑賞俳句歳時記 秋』(編著者/山本健吉、発行所/文藝春秋)、『覚えておきたい芭蕉の名句200』(編集/角川書店、発行所/KADOKAWA)、『俳句の花図鑑』(監修/復本一郎、発行所/成美堂出版)
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