研修医→厚労省→ソフトバンク→起業 医師として異例のキャリア
ヘッジホッグメドテックCEOの川田裕美さん(35歳)は医師でありながら、ユニークなキャリアを持つ。大学卒業後、研修医として働いた後、厚労省、IT企業、ソフトバンクを経て、2021年に起業した。
医療現場を離れることを選んだのは、研修医での経験がキッカケだった。目にしたのは、深刻な症状を抱えた患者の多さだった。自分の担当した患者が回復していく姿にやりがいを感じながらも、「ここまで悪くなってしまう前に受診してもらえていれば、もっと健康でいられたんじゃないか」と思うようになった。
「未病や予防に貢献したい。患者にとっての受診のハードルを下げ、医療を身近にしたい」
医師とは違う道を歩むことを決めた。
厚労省では疾患啓発や難病対策などを担当し、オンライン診療のシステム開発や普及を進めたいと考えIT企業へ転職。その後、ソフトバンクでは、海外のDTx(デジタル治療)企業への投資検討や日本進出のサポートを手掛けた。
日本の制度にフィットした医療が必要だ
9年間で医療、行政、ビジネスの現場を経験した川田さんが改めて感じたのは、日本にフィットした医療であることの重要性だった。具体的には、健康保険が適用されるかどうか、が鍵になる。
健康保険に加入している患者は、保険適用される治療法であれば、保険診療として3割の自己負担で医療を受けられる。
保険が適用されない治療法の場合は、自由診療となる。歯列矯正や美容整形手術などは自由診療でも広く利用されている一方、新たな治療法が自由診療で市民権を得るのはハードルが高い。
川田さんが、IT企業時代に関わったオンライン診療システムがそうだった。保険適用を機に、医療機関の導入が増え、利用する患者数も伸びたという。
「患者さんにとっての金額的な負担が抑えられるだけでなく、保険診療になることで、オンライン診療って本当に大丈夫なの?という認識から、オンライン診療は信頼してよいものに変わったのだと思います。保険が適用されるということが、医療としての信頼感に繋がっているんです」
個々のライフスタイルにあった医療の選択肢を。そのためのDTx
オンライン診療が普及するのを目の当たりにして、川田さんが気づいたことがもうひとつある。それは、個々のライフスタイルにあった医療が求められているということだった。
コロナが猛威をふるい始めた2020年以降、オンライン診療はまたたく間に広がった。川田さんが関わっていたオンライン診療システムを導入する医療機関は2年間で5倍になった。
「コロナ禍によって、実際に病院へ行く以外の選択肢が強制的に求められたということはありますが、もともとあったニーズが顕在化したんだと思います。通院が難しい高齢者、なかなか時間の取れないビジネスパーソンなど、それぞれのライフスタイルにあった病院への通い方として、オンライン診療が定着したんだと思います」
通院方法の選択肢が増えたように、治療法でも個人のライフスタイルにあう選択肢が増えてよいはずだ。そう考え、川田さんが取り組むのがDTxだ。片頭痛の治療用アプリ「頭痛ヘッジ(仮称)」を開発している。
DTxは、デジタルセラピューティクス(デジタル治療)のことで、アプリやソフトウェアなどによって得られるデータに基づく治療法。治療用アプリとも呼ばれる。医師でもある川田さんは、アプリを通じて診察時間以外のデータを蓄積することで、それぞれの患者にあった質の高い診察に繋げられると期待する。
経済損失は2880億円とも。片頭痛に挑むワケ
川田さんが、数ある病気の中でも片頭痛に挑むのは、国内での受診率が3割にとどまるとされるからだ(頭痛の診療ガイドライン2021)。DTxで治療の選択肢を広げることで、受診ができていない7割に働きかけたいと考えた。
「たかが頭痛と思っている方も多いと思いますが、頭痛はれっきとした病気です。早く対処することで、悪化を防ぐことが出来ます。仕事が忙しくて、なかなか病院に行く時間がとれないという人も多い。そんな人たちに気軽に使ってもらえるような治療用アプリを目指しています」
片頭痛の症状を抑える方法は大きく2つある。服薬と、生活習慣などの改善だ。
頭痛ヘッジは、生活習慣の改善にアプローチする。特許の関係で詳細は明かせないとのことだが、頭痛の症状が出にくくなるようなアドバイスを提案するほか、日頃の生活リズムを記録することで、医師がデータをもとに診察できるようにする仕組みだ。
片頭痛の悩みを解決できた時の、社会へのインパクトも大きさも、川田さんの原動力になっている。
世界では10億人が片頭痛を抱え、日本国内の有症者は840万人とされる。頭痛による生産性の低下で、2880億円の損失を日本経済にもたらしているとの試算もある。(頭痛の診療ガイドライン2021)
頭痛ヘッジは、2023年現在、医師の協力を得て検証を進めているところで、臨床試験や厚労省の審査を経て、2026年頃の社会実装を目指している。
日本発DTxで世界を目指す
頭痛治療のDTxは、日本だけでなく、アメリカやドイツにも開発者が存在する。頭痛に限らず、あらゆる疾病に対応するDTxが世界中で生まれている。
デロイトトーマツグループで、世界のDTx動向にも詳しい浦川慶史さんによると、世界のDTx市場規模は2021年から2030年にかけて、およそ45億ドルから200億ドルまで拡大する見込みだ。
そんな中、日本では「国としても事業者らを後押しする仕組みづくりは進めているものの、DTxに対応した審査・承認スキームはまだ確立されておらず、開発が進みにくい」と指摘する。
例えば、ドイツではDTxの承認をスピードアップする制度があり、企業にとっては開発に着手しやすい環境が整っている。また、日本で初めてのDTxが2020年(禁煙アプリ)なのに対し、アメリカでは2010年に2型糖尿病患者向けアプリがリリースされた。医療制度の違いもあるが、社会実装は10年先行している。
一方で、日本ならではの強みもあるという。それが保険診療だ。
保険適用された日本発のDTxであれば、負担額の小ささなどから、海外と比べてより多くの人が利用する可能性が高い。その分、データが蓄積され、改善が進み、より質の高いサービスに繋がりやすいと、浦川さんはみる。
川田さんも、世界への展開を視野に入れる。
「片頭痛は人種差があるような病気でもないですし、10億人が悩みを抱えているという点では、チャレンジすべき課題だと思っています。治療法の選択肢を広げ、日本でも世界でも、患者さんや病気になる前の人も含めて、健康でいられるように貢献できればと思っています」