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「社長直轄特命担当」
本格タイカレーで知られる醤油メーカーのヤマモリ(三重県桑名市)に、大手自動車メーカーから2021年9月に転職してきた髙木雄太さん(30)の名刺に書かれている肩書きだ。
まったくの異業種から転職して2年も経たないが、社長の右腕として奮闘する日々だ。世界でも名が知れた自動車メーカーを20代で飛び出し、ヤマモリに移ったのは、いつかは自分でビジネスを始めるという幼い頃からの夢にさらに一歩近づくためだ。
業界トップ企業に入社
京都大学で学生生活を送っていた髙木さんが就職先の企業選びで掲げた絶対条件が、「自分自身が成長できる環境に身を置くこと」だった。そこで経験を積むことが、「1つの分野を極めるプロになる」と「自分でビジネスを立ち上げる」という抱いていた2つの夢のどちらを選ぶにしても役立つはずだからだ。
人材の面でも社内での仕組みづくりの面でも水準が高い、業界トップ企業こそが社会人生活を始めるには最も良い場所だと考えた。
「勉強も部活も基礎が大事で、その土台が役立った。社会人としてから最初の3年が肝心だと思った」と髙木さんは話す。社員の独立が珍しくない人材サービス大手との2択で最後まで悩んだ。人材サービス大手への就職は起業への近道かもしれないが、プロにじっくりと指導してもらえるという誘いに心が動き、「自分でビジネスをする」という気持ちにいったん蓋をして、2016年4月に自動車メーカーで新社会人としてのスタートを切った。
配属先の希望は、経営判断と密接に結びつく経理部門。希望がかない、車の原価を管理するチームの一員になった。自動車は部品数が多く、原価管理は複雑だ。エンジン車は約3万個、EV(電気自動車)は約2万個の部品からできている。資材の高騰など変動する外的要因にも左右される。実勢の相場に過去の実績や未来の予想が絡み合うため、さらに複雑になっていく。エクセル上で数字と格闘する日々だった。
学生時代から数学は得意な方だった。しかし、入社4年目に入って任される仕事が増えていくにつれ、「本当に経理に向いているんだろうか」という疑問が頭をもたげ出した。会社の戦略を考える上で要となる経理部門では、100%正しい数字を弾き出して初めて及第点がもらえる。仕事が増えると、不注意からミスをした。同僚は優しく、助けてくれた。心の中では「やっぱり経理は得意じゃなかったんだ」という思いが膨らんでいった。
そんな時、年2回実施される上司との定期面談の時期がめぐってきた。今から振り返ると、これが転職に踏み切るきっかけとなった。
定期面談で、「どんな人生が目指したい?」
「どんな人生を送りたいのか」
社会人生活4年目に入った髙木さんは上司から定期面談でこう聞かれた。想定外の質問だった。何を答えたのか思い出せないほど、当たり障りのないことを答えたと思う。すると、上司は「本質的じゃないな」。尊敬する上司の言葉の影響力は大きい。「この面談が人生について考え直すきっかけになった」と髙木さんは話す。
考えて気づいた自分の人生観は、「幸せだったなと思える人生にしたい」だった。最終ゴールが明確になると、どういうことに幸せを感じるかを具体的にしていった。
家族や友人と一緒に過ごすこと。それから、ヨットやランニング、スノーボード、映画鑑賞などの趣味を楽しむこと。そして、自分の頑張りが誰かの役に立っていると実感できること。その上で、ある程度のお金が稼げたらうれしい。自分にとっての幸せがはっきりした。将来、ビジネスを手がける自分になるという夢と同時に実現したいことだと気づいた。
このまま同じ会社に勤め続け、経理の分野だけで経験を積むことが夢と幸せの実現につながるのか。2020年秋ごろ、転職について考え始めた。
求める環境が、ここにある
環境を変え、幅を広げたいーー。
2020年末に母親に転職を考えていると打ち明けた。心配した母親からは「正気か」と反対された一方で、飲食店を展開する経営者でもある父親は「ええやん」と背中を押してくれた。
「独身で子どももいなくて身軽な28歳。タイミングは今だ」。すぐに転職エージェントに登録した。転職先として想定していたのは、幅広い仕事を任せてもらえるイメージがあったベンチャー企業だった。だが、職務経験は自動車メーカーでの5年ほどの経理分野だけ。ベンチャー企業が求めていたのは即戦力であり、提示された業務は決算だった。
ミスマッチに悩んでいたところ、登録した転職エージェントの一つ、JACリクルートメントの担当者から連絡が入った。「すごくおもしろい役員がいる食品メーカーがある。面談を設定しましょうか」というものだった。希望の業種を絞っているわけではなかったが、食品は想定もしていなかった。
それがヤマモリだった。履歴書を送ると、2021年1月、本社での面接に呼ばれた。面接の相手は、当時専務だった三林圭介社長だった。通された会議室で待っていると、「君が髙木君か」と元気いっぱいに入ってきた。三林氏はトヨタ自動車や広告大手の博報堂を経てヤマモリに入った熱血の営業本部長だった。1889年に醤油メーカーとして創業した老舗企業であるヤマモリで、ベンチャースピリットで変革を起こそうと引っ張っている人物だ。
30分の予定だった面接時間は、気づけば2時間半にもなっていた。何でもやらせてほしいと思うままを訴えた。三林氏は「いいね。めちゃくちゃ仕事ができないやつじゃない限り、右腕として働いてもらいたい」と応じた。髙木さんは「求める環境がここにある。心が動いた」と振り返る。
対面にこだわり、トイレまでついて行く
9月にヤマモリに入ると、さっそく営業トップでもある三林氏の取引先との商談に同行する日々が始まった。年が明けて三林氏が社長に昇格することが決まると、スケジュール調整など秘書としての役目を任されるようになった。社長との面談を希望する社内外の要望をまとめ、交通整理する仕事だ。
「社長にしかできないこと、付加価値を高められることに集中してもらう環境をつくる」。トップのスケジュール調整には会社の方向性を決めるほどの重みがあると感じている。「間接的にでも、会社の収益と成長に貢献したい」。
電話やLINEのメッセージでやり取りすることもできるが、できれば対面で話したい。常にメモ帳を持ち歩き、トイレまで一緒について行く。目を見ながら、社長の考え方や傾向を読み取っていく。そうやって意向を汲み取り、戦略策定に反映させていくのも髙木さんの仕事だ。
奮闘する髙木さんについて、同僚は「愛されるキャラ」と話す。今では各部署の中心人物の方から声をかけてくれるようになった。
話を聞きながら、社内で進行する取り組みを把握する。各所と社長の会議を設定する時、「その目的ならこの部署のあの人にも参加してもらおう」と提案して最大の効果を狙うのに役立っている。
心動く時を待つ
「主体的になれ」「何かを達成するために、やりきれ」という社長の号令の下、社内にはさらなる高みを目指そうという機運が高まっている。
「三重県内で売り上げトップの企業を目指そう」という全社員にとってわかりやすい目標の下、社内のそれぞれの部門が達成のためにできることを考えている。求められる水準は高いが、食らいついている。
髙木さんはヤマモリで、経営を間近で学べるチャンスをつかんだ。飲食店を経営する祖父や父を見て育ち、「何かビジネスをやる」という幼い頃から描いてきた自分の将来像を持ち続けている。起業への準備が整うのはまだ先のようだが、タイミングはこれまで大きな節目でそうだったように心が動いて教えてくれるはずだ。