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うちの息子はたぶんゲイで、素直でとってもかわいいのだーー。
ゲイかもしれない高校生とその家族を描いた漫画『うちの息子はたぶんゲイ』が、反響を呼んでいます。
LGBTQ当事者の思いや恋愛をテーマにした作品が増える中で、本作の特徴の1つが、「たぶんゲイ」である息子の母親が主人公であること。
お母さんは息子の姿を通し、社会の「当たり前」について考え、少しずつ価値観をアップデートしていきます。
2月21日に単行本最終5巻が発売されたことを受け、自身もゲイだという作者のおくらさん(@okura_yp)に、約4年の連載に込めた思いについて聞きました。
インタビューは、全2回にわたり掲載。前編はお母さん視点の物語にした理由、物語でゲイを描く上で大切にしていることについて紹介します。
※作品のネタバレが含まれますので、注意してお読みください。
◆『うちの息子はたぶんゲイ』あらすじは?
主人公の知子さんは、夫が単身赴任のため、息子の浩希くん、結理くんと3人で暮らしています。知子さんはある日、「浩希が好きなのは男の人なのかもしれない」と気づきます。
一生懸命隠そうとする浩希くんの姿を通し、知子さんは日常に偏見があることなどに気づき、考え、少しずつ変わっていきます。一方で「うちの息子は、素直でとってもかわいい」という愛情は変わりません。
「ゲイであることは何も、特別なことではない」。そう感じさせられる、愛情たっぷりの物語です。
▼1話はこちら
◆思春期の子にとって、親の存在は大きい。「等身大のゲイを描きたい」
ーーLGBTQ当事者ではなく、「ゲイかもしれない男の子の母親」を主人公にした作品を描こうと思ったきっかけを教えてください。
2018年まで、『そらいろフラッター』という作品の原作を担当していました。ノンケ(異性愛者)の高校2年生の男の子と、「あいつ、ホモじゃん」と噂されている同級生との出会いや恋愛を描いた作品です。
主人公がいろんな「好き」を知っていくストーリーで、今でも自分の中で大きな存在です。連載が終わった後は、ゲイを題材にすることには特にこだわらずに、人気ジャンルのパニックホラーや異世界転生もので新作を練っていました。でもなかなかうまくいかなくて(笑)
ーー今作とは全くの別ジャンルで、すごく意外です。
そんな中で、やはり自分だからこそ描けるものに立ち返ることにしました。振り返ってみると『そらいろフラッター』は、子どもたちだけで考えて解決していく物語で、大人の存在はほとんど描かなかったなと。
セクシュアリティに限らず、思春期の子にとって親の存在って大きいと思うんです。親子関係を描いたことがなかった自分が描いたらどうなるか、挑戦してみたいと考え、1つの家庭を描くことにしました。
ーーおくらさんが、ゲイを描く上で大切にしていることはありますか。
自分が肌感覚で感じている「等身大のゲイ」を描けたらなと思っています。物語の中に出てくるゲイの多くはいわゆるギャグ要員とか、ただただつらいという文脈で語られがちで、自分の感覚とは少しギャップがあるなと感じてきました。
ーーフィクションでは描かれ方が極端だという声も多くありますよね。
エッセイでもつづったことがあるのですが、自分は小学生の高学年くらいにはゲイだという自覚がありました。ですがゲイであること自体に悩んだことはなくて。ただ、世の中に偏見があるのはわかっていたので、まわりには言わないようにしていました。それでも音楽や漫画、ゲームなど、好きなことがたくさんあって、楽しく過ごしていました。
もちろん、ゲイゆえの生きにくさがあるのも事実だと思います。ですがゲイだとしても、人生は苦しいばかりのものではないし、楽しくやっている人もたくさんいるよ!ということも伝えられたらなと。
◆ゲイも、まわりと変わらず普通に暮らしている
ーー浩希くんも、部活や恋愛を楽しんだり、時に進路のことなどで悩んだりする「等身大の男の子」として描かれています。
そうですね。時にひどいことを言われることもあるけれど、どうせなら好きなことをやって楽しく生きたいじゃん!という思いを込めています。
ーー一方で、浩希くんはゲイであることをまわりに隠しているような様子が見られます。
浩希がもし本当にゲイだったら、の話になりますが、作中では彼がそれを隠そうとする理由については明確に描写していないんです。ただ、これまで生きていく中で、彼なりにゲイへの偏見を感じてきて、隠さなくちゃいけない、と思っているんですね。
彼は自身のセクシュアリティ自体には悩んでいなくて。好きな子とか、部活でやっている歌が上手くならないとか、思春期なら誰でもあるような悩みを持っています。ゲイは「特別」だと線を引かれることもありますが、まわりと変わらず普通に暮らしているんだよという思いを込めています。
ーー日常のふとした瞬間に傷つくような描写も多くあります。
時に心ない言葉に傷ついたり、生きにくさを感じたりすることがあるのも事実だなと感じています。多くの人が感じているんじゃないかなということを漫画として伝えられればと思い、盛り込んでいます。浩希を通してお母さんが、社会に偏見があることに気づきます。
時に「ゲイは男女両方の気持ちがわかる」といった誤解みたいなものもあって。それをどうやって作品に入れるかは迷いますし、うまくいっているかはわからないのですが、知子と一緒に気づいてもらえたら嬉しいなと。
ーー知子さん以外にも、登場人物の一人一人にテーマがあるように感じました。
最初から意図していたわけではないですが、描いていくうちに登場人物に自然と役割ができていったのだと思います。最初に明確に決まったのは、「ゲイを隠したいけれど、嘘が下手でまわりにバレている」という浩希のキャラクターでした。彼を起点に、こんな息子ならどんな母親かな?などと、それぞれの人物像や家庭像が出来上がっていきました。
ーーそんな浩希くんはおそらく、同級生の醍吾くんに恋をしている様子が描かれました。
醍吾はいろんなことを隠している浩希との対比で、言いたいことをはっきり言う人として描いています。浩希が自分のことを知られるのが怖いと感じている中で、醍吾はまわりからどう思われるか気にしていません。我が道を行くというか、自分が正しいと思ったことを貫くというか。
醍吾の言動には配慮などが欠けている部分もあります。物事をはっきりと言うことは、時に正しいわけではないんじゃないかというテーマを持たせています。
ーー醍吾くんに彼女ができて、浩希くんが実質的な失恋をしてしまうと読み取れるストーリーは、切なさもありました。
浩希の失恋は、まわりから見たらゲイは恋が叶わないよねという話にも見えるかもしれません。それにゲイであることで、好きな人ができても、思いを伝えることや、恋心を誰かに言うことができないという側面もあるとは思います。だけれど浩希にとってはただ一つの失恋なんですよね。
浩希の恋愛感情は、身近で自分にないものを持っている子に惹かれて、ドキドキしたり悩んだりするという、ごく普通のものです。好きな人に恋人ができてしまうというのを経験したことがある人も一定数いると思います。そういう意味では浩希の経験は特別なものではなくて。恋愛に限らず、作品を通してそのあたりの温度感が伝わったら嬉しいなと思っています。
<取材・文=佐藤雄(@takeruc10)/ハフポスト日本版>