第99回東京箱根間往復大学駅伝競走(通称:箱根駅伝)は2023年1月2日、往路のレースの号砲が鳴った。2022年の前回大会で総合優勝した青山学院大学は、大会連覇を目指す。
2015年から18年まで4連覇を成し遂げた経験のある名門校は選手の層が厚く、レギュラーメンバー争いも激しい。今大会も、前回大会1区で好走した選手や主将の宮坂大器選手(4年)も「メンバー外」となった。
原晋監督の近年のチーム作りは、選手の「自主性」を重視し尊重するスタイルだ。選手の練習にも決して付きっきりにならない。目指すのは「超自律」型の集団。日本の学生スポーツ界では“競技の妨げ”というネガティブなイメージを持たれがちな恋愛も、「どんどんしなさい」と伝えているという。
2022年11月に『「挫折」というチカラ 人は折れたら折れただけ強くなる』 を上梓した原監督。“箱根常勝軍団”を率いる指揮官の言葉の真意を聞いた─。
箱根常勝軍団の“自己肯定感”。原監督はどう引き出している?
学生ランナーが憧れる舞台「箱根駅伝」。年始は選手たちの継走に釘付けになるという“駅伝ファン”も多いだろう。選手それぞれの能力だけでなく、チームとしての力が試される。
青学駅伝チームの印象はとても明るい。もちろん、非常に厳しい練習や激しいメンバー争いは常にあるだろうが、どこか「ポジティブ」な雰囲気が漂っている。
2022年の総合優勝を決めたレースの後、選手たちはテレビ番組に出演していた。各々の様子を見ていると、緊張感よりも「自分らしさ」を前面に出して楽しんでいるのが印象的だった。そして、良い意味でよく喋る。「自己肯定感が高い集団なのだろう」と筆者は見て感じた。原監督は何を意識して学生と接しているのか。次のように語る。
やはり、些細なことでも「成功体験」を作らせてあげることは大事にしています。チームでは「個人」の成長と「組織」の成長という両方で見る必要がある。例えば、チームの目標値からは低いかもしれないけど、個人の成長が見られる時もある。そういう時にはちゃんと褒めてあげるということ。
そして、学生が自分自身で頑張ったことは「自分で自分を褒めてもいい」という組織の文化を作っていこうと。だって、個人としての目標の達成を喜んでる時に、リーダーが「そんなことで喜んでいるな。俺たちが目指すところはそんなところじゃない」と一蹴したら、学生たちはもう喜ばなくなりますよ。
成功体験の積み重ねや喜びこそが、自らの原動力。原監督はそのことを深く理解している。
喜ばないところに自己肯定感は出てこないし、テンションも上がってこない。組織に「一番にならないと褒められないのか」と思ってしまう文化や風土があると良くない。だって、なかなか一番にはなれませんからね。箱根駅伝も総合優勝することはとても難しい。大変なことですから。
個人は自分の能力の「半歩先」の成功をつかみ取る。それを積み重ねて習慣にする。指導者は学生の努力を認め、褒めてあげる。そうすれば「みんなが輝ける組織」ができる。
スポーツの世界ではこれまで、ペラペラと喋ることはタブーとされてきました。でもそうじゃない。自分の意見を自分の言葉で言えることは良いこと。そういう雰囲気を作ることが大切だと感じています。
「連帯のスポーツ」に付きまとうSNSでの誹謗中傷。原監督が選手にかけている言葉
駅伝はチームの「連帯色」が非常に濃いスポーツだ。箱根駅伝なら全10区間で10人の選手が襷を繋ぐ。一人の選手の失速が、その後のレース展開にもたらす影響は少なくない。復路では中継所で襷がつながらない「繰り上げスタート」の瞬間を何度も見てきた。
今大会で99回目を数える箱根駅伝。TwitterなどのSNSが普及してからは、ネット上で選手の失速や途中棄権に対し、心無い言葉が飛び交ったこともある。青山学院が4連覇を果たした後は、良くも悪くも「勝って当たり前」と思われるチームになったが、もしチームの選手に言葉の刃が向けられた時、原監督は選手たちにどう声をかけているのか。
SNSが普及した十数年前から、私はこれを使用することや見ることを一切禁止することなく、学生たちに「上手に向き合って」と言っています。
なぜなら、大前提として、陸上部員も社会の構成員の1人に過ぎないからです。陸上があって世の中があるわけじゃない。これから「SNS中心の社会」になるなら、それと上手に向き合えるような学生になりなさいと。
時に、我々のチームの選手が批判されることももちろんあります。そんな時は、「『見えない敵』といちいち対決していてもいけんでしょ」と伝えています。
良くも悪くも、青学の駅伝チームはこれまでの評価や実績があるからこそ注目されているし、「箱根駅伝」という舞台で競技をさせてもらっている。それはとても「恵まれている」ことなんだよと。だからこそ、ネットでの批判にとらわれることなく、「陸上で失敗したことは陸上で取り返すしかない。SNSは気にするな」と選手に話しています。
そして、たとえ失敗したり挫折を経験したりしても、誰一人「価値のない人間」なんていない。誰しもに価値があるんですよ。それを忘れてはならないよと伝えています。
「どんどん恋愛をしなさい」。そう伝える真意とは...
去年、AKB48などいわゆるアイドルの世界では「恋愛禁止」という“暗黙のルール”の存在が物議を醸した。一部の人からは「もう時代遅れだ」などと指摘され、会話が広がった。
学生スポーツ界では、より競技に集中する(させる)ために恋愛に対して否定的な見方もある。例えば、中学や高校の強豪校などでは部員は恋愛禁止とされていることも珍しくはない。
一方で原監督は、「どんどん恋愛をしなさい」と伝えている。
今大会は、前回大会で総合優勝した青学の連覇を阻止しようと、どのチームも死に物狂いで「打倒・青学」を掲げて勝ちにくるはずだ。駅伝に集中してもらうため、恋愛は控えてほしいという気持ちが芽生えてもおかしくなさそうなものだが、そこには、原監督なりの考えがあった。
そもそも、「人を好きになるということ」はとても良いことだと私は思っています。人の気持ちがわかるようになる。あるいは、人に好かれようと思ったら、自分を磨く必要が出てくる。そのための努力をしないといけない。
無論、恋愛にのめり込んで陸上がおろそかになるようでは話になりません。「陸上に打ち込むその姿に共感してくれるパートナーを作りなさい」というのが、正しい表現かもしれません。だってウチのチームにいたら、「練習ばっかりで私のことを見てくれない」とか、箱根駅伝前にもかかわらず「クリスマスはどこか旅行に行きましょう」とか、そういう人との交際はどうしたって難しいはずなので。
だから、自分から「今はレース前だからデートは箱根の後にしよう」と言えて、その意図を理解してもらえて「今は陸上に集中してね」と言ってもらえるような関係性が理想です。でも、そんな関係を築くことは決して容易ではないでしょう。
双方を理解して尊重しあえないと成り立たない関係だからこそ、そんな関係を築けたら必ず力になるわけです。だから「恋をしなさい」っていうこと。スポーツっていうのは、やはり自分1人のパワーというのは、たかが知れているんです。
「誰か」が応援してくれるから、あるいは「誰か」のためにあるから、自分のパワーが生まれてくるし、プラスアルファの力が出る。「こんなに応援してくれているんだから期待に応えるために頑張ろう」というエネルギーになる。
広い意味では、恋愛じゃなくていい。家族のため、かつての恩師のため、友人のため、クラスメイトのため...。
「誰かのため」に走る方がよりパワーが生まれる。そのうちの1つが恋愛であっても別にいいと私は思っています。自分の原動力になるのであれば、どんどん恋愛すればいいんじゃないですか。
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“箱根の常勝軍団”には、良い意味で「締め付け」がない。SNSや恋愛を禁止することもなく、指揮官は日々の練習の中で程よい距離感で選手を見つめ、選手それぞれが、自らの努力を肯定できる組織と雰囲気を作り上げている。レースに勝利するためにはチームの目標タイムをクリアすることはもちろん重要だが、原監督の思考と言葉にこそ、揺るぎない強さの一端を見た。
(取材/文:小笠原 遥)
【書籍情報】
『「挫折」というチカラ 人は折れたら折れただけ強くなる(マガジンハウス新書)』
著書:原晋(青山学院大学陸上部監督)
発売日:2022年11月24日
価格:1,100円(税込)
出版社:株式会社マガジンハウス