法律上、同性同士の結婚が認められないのは憲法に反するとして、複数の性的マイノリティの当事者らが国を相手取り損害賠償などを求めている「結婚の平等」訴訟が11月30日、東京地裁で判決を迎える。
2022年6月20日の大阪地裁判決では、現行の規定は「合憲」とし、原告側の訴えを退けた。違憲判決を言い渡した1年前の札幌地裁と判断が分かれた。
なぜ両地裁で判断が分かれたのか。東京都立大教授で憲法学者の木村草太さんに聞いた。
ーーまず、「結婚の平等」訴訟はどのような裁判なのでしょうか?
婚姻というのはかなり複雑な制度です。まず、当事者同士で「婚姻の効果」を得ましょうと合意をし、その2人の間で婚姻が成立する要件です。
この「婚姻の効果」とは一つではなくて、たくさんあります。同居や協力して相互に扶助する(助け合う)という義務、相続分の設定、共同で子どもの親権が持てる、在留資格、遺族年金、犯罪被害者給付金、公営住宅への入居、DV保護ーー。遺留分という、遺言によっても奪えない「強い」相続分もあります。
「結婚の平等」訴訟では、同性カップルは婚姻のどの効果の平等まで要求できるのかというのを常に考える必要があります。なので、婚姻にたくさんの効果があることを念頭に置くことが重要です。
ーー法律上同性同士で結婚できないことに対し、札幌裁判所は2021年に「違憲」、大阪地裁と「合憲」と判断しました。各裁判所はどのような論理をたどり、なぜ判断が分かれたのでしょうか?
まず、「憲法が同性間の結婚を禁止しているか」という論点があります。もし同性婚が禁止されていれば現行の規定は当然合憲になりますが、現状では国や原告側、裁判所も共通して、憲法が同性婚を禁止しているという見解をとっていません。
二つ目の論点として、憲法24条1項は当事者の合意があれば、それだけで婚姻の成立を認めてもらえる権利を保障しています。これは厳密に言うと自由権ではなく、婚姻制度利用権と位置付けるのが正確ですが、一般に「婚姻の自由」と呼ばれます。
これが同性カップルにも適用されるかどうかが問題になります。原告側は、適用されると言っています。憲法の文言は「両性の合意」となっていますが、過去の最高裁判例には、憲法上の権利規定を、条文そのままでは適用されないはずの対象に類推適用した例などもあり、(原告側の訴えは)十分成り立つ解釈です。しかし国側は、婚姻の自由は異性カップルに関する条文であって同性カップルには適用されないのだと主張しています。
第三に、憲法14条1項が保障する「平等権」の論点になります。平等権を主張するには、区別があることが前提になるので、まず現在の法律が、性的指向によって婚姻の取り扱いについて区別をしているかという論点です。
国側は、同性カップルの結婚を認めないのは、性的指向による区別ではないと言っています。「同性愛者も異性愛者も異性と結婚できる点で同じ扱いをしていて、法律は、同性愛者かどうかで婚姻について区別しているわけではない」と、屁理屈のようですが、区別がないのだから不平等でもない、よって平等権侵害ではないと主張しています。
これに関して大阪地裁と札幌地裁は共通して「性的指向による区別はある」と認めています。性愛の対象が法律上の異性であるか同性であるかによって区別が起きていることは否定できないと。そうすると、この区別の理由は何なのかというところが争点になります。
2021年3月に違憲判決を言い渡した札幌地裁は、婚姻の目的は「親密関係の保護」として、同性カップルも親密関係を結ぶ以上、同性婚の否定は平等権侵害だという論理をたどりました。
一方、大阪地裁は、婚姻の目的は「生殖関係の保護」とし、生殖関係のない同性カップルは婚姻できなくても不平等ではなく、合理的な区別だと判断。現行の規定は合憲だと判断しました。
札幌地裁も大阪地裁も最後の論点まで同じ判断をしているのですが、婚姻制度の目的について、親密関係の保護とするのか、それとも生殖関係の保護なのか、というところが判断が分かれたポイントということになります。
専門家の間では、「裁判所が合憲判決を出すには、婚姻制度の目的は自然生殖関係の保護だと言わざるを得ないだろう」と考えられていました。ただ、この「生殖関係保護説」というのは、「子どもを産まないカップルは結婚できなくて当然」ということ。子どもを産む産まないという、非常にセンシティブで、個人の尊厳に関わるような事柄で明確に差別をするということです。
裁判所もそれを言いにくいのではと思われていたところ、大阪地裁はそれをはっきりと言ってしまった。原告の方々を非常に傷つける切り方をしている内容になっています。
また、生殖能力がない人や、子どもを産む予定のないカップルの婚姻を、婚姻制度を目的外に不正利用するものと位置付けるわけですから、同性カップルとは別に生殖関係なき異性カップルの尊厳も傷つけます。
「婚姻の目的」について、札幌地裁のように「親密関係保護説」、あるいは大阪地裁のように「生殖関係保護説」を取ったとしても、いずれも先述の「婚姻の効果」の全てについて違憲または合憲という論点を裁判所は考えなくてはなりません。
「婚姻の効果」はたくさんあって、「生殖関係」に関係しているように見えるものもあれば、どう見ても関係しない部分もある。
私は、原告が婚姻届を出した時点では、嫡出推定(婚姻中の女性の子は配偶者の子と推定する制度)という生殖関係保護効果の中核とされる効果まで、生殖能力がないカップルにも適応されるとの最高裁判所判例が出ていたため、全ての婚姻効果の適用にあたって、生殖関係の有無によって区別する理由はなくなっていたと考えていました。
これに対し、国は全ての婚姻効果について区別する理由があるとして、全部合憲説を主張しています。
こうした、「全部違憲説」「全部合憲説」の話とは別に、「この部分は合憲」「この部分だけは違憲」などと、「部分違憲説」が、親密関係保存説・生殖関係保存説のどちらを前提にしても、組み立てることができます。
部分的に違憲だとした場合、「婚姻の効果」の一部を同性カップルにも与える制度は作らざるを得ません。この時に、婚姻とは別の法制度ーー判決では「登録パートナーシップ制度」という言葉が使われていましたが、「別の制度で部分違憲を解消できるのか?」という論点が新たに生じるのです。
大阪地裁は「生殖関係保護説」をとり、現行の規定が「合憲」と言っておきながら、解消しなくてはならない問題があること自体は認めています。中身を見ていくと、違憲判決のようなことも言っているような内容になっています。
ーー木村さんは判決が下された当時、内容が「分離すれど平等」だと問題視していました。これはどのような問題なのでしょうか?
大阪地裁判決がいう「別制度で違憲部分を解消する」とは、「『分離すれど平等』を許すか」という論点で、これは非常に問題です。
「分離すれど平等」という言葉は、主に人種差別の文脈で用いられてきました。かつてアメリカでは黒人は白人と平等だと法で認められていたにも関わらず、黒人用の学校と白人用の学校が分けられていたり、鉄道を黒人専用車両と白人専用車両に分けられたりと、差別が温存されていました。これが悪名高い、「分離すれど平等」という仕組みです。
大阪地裁は「同性カップルの不利益を解消する別制度でも良い」ということを言っているわけですが、これも「分離すれど平等」を認めるような内容になっています。
制度を分ける何かしらの必要性があれば良いのですが、理由がないのにわざわざ分けるということは、どちらかを二級市民扱いするということです。受けられる利益は平等になるかもしれないけれども、差別的なメッセージを発信をするという点でこうした制度は憲法に違反します。
合憲の立場に立つのであれば言う必要もなかったのに、あるいは、部分無効の立場でも、こうした部分について是正が必要と言えばいいだけなのに、あえて「差別的な制度を作って良いですよ」と、制度設計にまで踏み込んでしまっているように感じます。
大阪地裁の判決は、生殖関係を保護することが婚姻の目的だとし、現行の規定が部分的に違憲状態であるかのように論じながらも、「分離すれど平等」をしても良いと明示してしまっている。これらの点からして、この判決は差別に対する配慮が全然できておらず、強く批判されるべきだと思います。
ーー「結婚の平等」は、国会が法律を制定しなければ実現できません。大阪地裁の判決は、政治に向けてどのようなメッセージになっているのでしょうか?
大阪地裁判決では、一点だけ評価できる重要なポイントもあります。
「憲法24条1項は同性婚を禁止しているから憲法改正が必要」と主張する人が時々いるのですが、大阪地裁の判決は憲法24条1項が同性婚を禁止しているという解釈をありえないということを、札幌地裁判決以上にはっきり言っています。
憲法というのは国民ではなく、国会や内閣に向けられたルールです。今、国会が結婚の平等の実現のための法律を作っていないことが問題になっていますが、現在の法律で同性カップルの婚姻届が受理されない理由は、「このような婚姻届を受理しなさい」という法律を国会が作っていないからなのです。これは禁止されているということではなくて、制度の利用権が認められていないということです。
「国会はこのような法律を作ってはいけません」と憲法で定められていたら、憲法上作ってはいけないので、国会が法律を作らなくても合憲になります。憲法にそう書いてあるなら憲法を改正しなくてはならないのですが、そうは読めません。
仮に、「国会は同性婚を実現しなくてはいけない」という憲法を作れば、国会は法律も作らなくてはいけません。ただ、憲法改正の発議には衆参両院で3分の2以上の賛成が必要なので、そんなに賛成が多いのであれば立法できるのでそもそも憲法改正も必要ありません。
大阪地裁判決は、憲法は同性婚を禁じていないので、全部国会の責任ということを明示しました。国会に責任を転嫁したとも言えますが、国会の責任は非常に重いのだと裁判所は見ているのだと思います。
「憲法は禁止していないので、早く立法してください」という話なのです。