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文字にならない文字が叫んでいる━━。
名古屋出入国在留管理局で収容中に死亡したスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)の遺族が起こした裁判に、「被収容者申出書」と題する本人直筆の9通の書面が弁護団から証拠提出されている。
ウィシュマさんの文字は、体調の悪化とともに大きく崩れていく。その筆跡の変遷に、入管の内部文書と遺族側代理人による監視カメラの映像メモを重ねてみると、入管の最終報告書では窺えない「密室の不条理」が浮かび上がった。
「もう字ではない。苦痛に満ちた悲鳴そのもの」
まず、ウィシュマさんの来日から亡くなるまでを振り返りたい。
ウィシュマさんは2017年6月、留学生として来日し、日本語学校に入学した。将来は日本で英語教師になることを目指していた。
しかし、アルバイト先で知り合ったスリランカ人の男性と交際するようになり、授業に出席しなくなる。学校がウィシュマさんを除籍にした後、在留資格を失った。
ウィシュマさんは同居男性からDVを受けており、2020年8月に警察に出頭。不法残留の容疑で逮捕され、名古屋入管に収容された。
当初は帰国を希望していたが、収容中に男性から「スリランカに帰れば探し出して罰を与える」という趣旨の手紙が届き、日本に残りたいと願うようになった。
21年1月ごろからは、ストレスによって食べても吐いてしまい体調は急激に悪化。ウィシュマさんは点滴を求めたが入管は対応せず、一時的に収容を解く仮放免の申請も認められないまま、3月6日に死亡した。
遺族が提訴、国は「国賠法上の違法はない」と主張
ウィシュマさんの母と2人の妹は22年3月、国を相手取り1億5600万円の損害賠償を求める訴えを名古屋地裁に起こした。
遺族らは、仮放免された場合は支援者が自宅で受け入れる旨を表明しており、逃亡の恐れはないにもかかわらず収容を継続したと主張。
さらに、ウィシュマさんが収容に耐えられない「飢餓状態」になり、その後も顕著に衰弱していったのに必要な医療を提供せず、生命維持の義務を怠ったことなどの違法性を訴えている。
一方国側は、収容継続は入管法の退去強制手続に従っており、出頭前には所在不明となり逃亡の恐れがあったと反論。
医療提供については、各種検査や詳しい診察で異常がないと確認した上、体調不良が心因的な原因の可能性も考慮して精神科を受診させるなど注意義務を尽くしていたとして、国家賠償法上の違法はないと主張している。
◇「けんさのけっかをおしえてください」(2021年1月27日)
◇「Please I need medical attention doctor check onegaisimasu(お願いします)」(同2月3日)
冒頭の「被収容者申出書」に残されたウィシュマさんの文字は、9月の第3回口頭弁論で法廷のモニターに映し出され、遺族代理人の駒井知会弁護士が変遷を説明した。
「収容された翌月、20年9月時点では、少し丸みがかった丁寧な文字で、自らのフルネームを書いています」
「2月15日付け、文字の激しい崩れ方に戦慄しないでいられる者がいるでしょうか」
(3月3日付けの申出書を示して)「もう字ではない。ウィシュマさんの苦痛に満ちた悲鳴そのものです」
「収容された人が、自分の判断で医療を受けるチャンスを一切奪っておいて、最低限必要な医療すら与えないまま、揚げ句、彼女の心身を極限まで痛めつけて命を奪った施設に、そもそも人間を1人として収容する資格があったのか」
ウィシュマさんは1月20日に体重72キロとなり、収容時と比べて約5か月間で13キロほど減っていたが、1月27日には名前も、ひらがなも書けていた。
だが翌日以降、おう吐や吐血を繰り返すようになる。
2月3日、ウィシュマさんは支援者との面会に、おう吐用のバケツを持って車いすで現れ、「食べても吐いてしまう。歩けない」と訴えた。支援者は命の危険があると、入管と一部メディアに伝えた。
しかし入管が、ウィシュマさんを本当は体調が悪くもないのにやっかいなことを言う存在とみていた様子が、弁護側が証拠提出した入管の内部文書「報道応接完了報告書」(2月4日)から読み取れる。
報告書は、記者から取材があった際に「支援団体から聞いている話では命に関わる状況」との発言があったと記述している。
これに対して、報告書に貼り付けられた処遇担当者作成のメモは「数日前から経口補水液を1日に数本飲んでおり、脱水症状とはほど遠い」と反論。
さらに、「支援者による一方的かつ恣意的に事実無根ともいえる情報で、報道機関には当方に非があるかの如く捉えられかねず」「支援者を通じて自身のことをマスコミに訴えるような被収容者」などと、ウィシュマさんと支援者を非難する内容だった。
2月16日、仮放免申請は不許可となる。理由の一つは、ウィシュマさんが「支援者に煽られて仮放免を求めて執ように体調不良を訴えてきている者」だからだった。
弁護団は、おう吐、吐血、血尿、発熱、全身の痛み、血圧上昇、我慢できないほどの腹痛と、症状が次々出た2月初めの時点で、入管の非常勤医師が検査もせず脱水状態にないと判断したとして批判している。
「やっかいな人」「体調に問題ない」という決めつけ。その「不条理」は、悲劇の伏線となっていく。
点滴を求める訴えも認められず
◇「Please doctor…(以下、判読不能)」(2月15日)
◇「Please…(同上)」(2月17日)
◇「Please…(同上)」(2月22日)
2月15日の筆跡は激しく歪んでいる。かろうじて日付と「R.L.Wishuma」「Please doctor」が読み取れる。実は、この日は重要な転換点だった。尿検査の結果、ウィシュマさんに「飢餓状態」を示す異常値が出たからだ。
弁護側が証拠提出した医師の意見書は、「水分・栄養の絶対的摂取不足による生命の危機が迫っている事実を明確に示す」と最大級の警鐘を鳴らし、「経口的にではなく、経静脈的に水分や栄養の補給を行う対処方法を取るべきであった」と指摘している。
入管の最終報告書によると、看護師は異常値を非常勤医師に伝えたが、医師は「結果を把握したかどうかの記憶は定かでない」と述べたとある。命を預かる責任は感じられない。
監視カメラの映像を見て走り書きした駒井弁護士のメモには、2月23日、ウィシュマさんが点滴を求める様子が記されている。
ウィシュマさんは右手を動かして手振りで「セーライン、セーライン(注・saline、生理食塩水のこと)」と訴えている。だが、職員は「あー、お医者さん…」「ボス(注・上司と思われる)に話してあげるから」と言うだけだ。
「午前4時16分18秒」の文字から始まる、2月24日の映像について記した駒井弁護士のメモは、読むだけで胸を締め付けられる。
ウィシュマさんは「担当さーん」「担当さーん」と何度も繰り返し、「おぇ、あぅ」と苦しんでいる。
<吐いている。絶え間なく吐き気に襲われている…、担当が全然来ない…、「あー」「あーー」「あーーー」、ずっとうなっている>(駒井弁護士のメモより)
午前7時台、職員の「トイレ行く」という言葉がある。
<抱きかかえて車いすに移す…>
<大きな叫び、「あーー」、痛がっている声。車いすがどこかに引っかかっている?部屋からうまく出せず、「あーー」、ひときわ大きな悲鳴、介護の素人が過度の苦痛を与えているようにしか思えない>
同じ場面を指すのかどうかは不明だが、入管の最終報告書では「トイレへの移動の際、A氏(ウィシュマさん)は、自力で立ち上がることができず、看守勤務者1名に抱きつくようにして体を支えてもらい、その状態でトイレとの間を移動した」とのみ記されている。
点滴を求める訴えも悲鳴も無視され、文字はさらに乱れていく。
◇「(すべて判読不能)」(3月3日)
この日も「Please」で書き始めようとしていたのだろうか。入管側の「『薬をください』旨記載」の手書き文字と「投薬継続」に付けられた丸印が、凍てつくように冷たい。
3月5日午後2時半過ぎ、最終報告書が「リハビリテーション」と表現した行為は、代理人弁護士の目にどう映ったのか。
<「はいてー、吸って-」>
<「はいもういっぺん、おなかに空気入れて」、「あーー」、鋭い悲鳴、看護師は笑いながらおなかをさする。聴診器で「おなかの動きと心臓の動きを見ますよ」>
<(看護師)「動いてはおります、はい」、バイタルを計ろうとする時、「あーー」悲鳴、「痛い?」、「あーー」>
<右側もマッサージ、足もマッサージ、ウィシュマさんは痛がって悲鳴、(何の意味のあるマッサージなのか?)、「睡眠を取ってよくなりますよー」、「あーー」と悲鳴、それなのに看護師は笑っている(なんで?)>
駒井弁護士は「虐待でしかないと感じた」と語った。
国側、裁判に映像の一部を証拠提出へ
3月6日、ウィシュマさんは朝から「あー」と声を出すだけで無反応な状態が続く。そして午後、息を引き取る。救急搬送が要請されたのは、脈拍が確認されなくなり、血圧が測定不能となった後だった。
「やっかいな人」とみなし、「飢餓状態」を示す検査結果に危機感も抱かず、瀕死の人の横で笑う。だが、それらの不条理はウィシュマさんの身に起きた絶望を示すほんの一端にすぎない。
9月の口頭弁論で裁判長は、ウィシュマさんが死亡するまでの監視カメラ映像295時間分のうち、証拠保全手続きで遺族側がすでに確認している5時間分の映像について国側に提出を勧告していた。そして11月14日、国側は「必要なマスキング措置を講じたうえで、証拠として提出する」と回答した。
ウィシュマさんの筆跡、内部文書、そして遺族側代理人による監視カメラ映像メモから見えたのは、入管の最終報告書の内容を超えた密室での「不条理」だ。
真相を映す監視カメラ映像そのものの開示によって、その全容が明らかにされなければならない。
(取材・執筆=神田和則・元TBSテレビ社会部長、編集=國崎万智・ハフポスト日本版)