11月20日開幕のサッカー・ワールドカップカタール大会で、選手たちのほかに、ピッチを駆けることが期待されている“もうひとりの日本代表”がいる。
大会を支える主審候補として、日本から唯一選出された山下良美さんだ。男子W杯史上初めて選出された、3人の女性主審のひとりでもある。
「男性の試合を女性の審判員が担当することを当たり前にする」
この目標を掲げて、これまでJリーグやAFCチャンピオンズリーグといった男子のハイレベルの試合でも主審を務めてきた。
今大会もその目標に向けた延長線上にある大事な機会のひとつ。数々の「女性初」の道を切り開いてきたこれまでのキャリアや、審判という役割の魅力について、詳しく聞いた。
4歳でサッカーに夢中。W杯は「夢の舞台」だった
36人いる主審候補の1人に選出されたと知った時、真っ先に込み上げてきたのは嬉しさよりも「正直言って驚きというのが最初の感情でした」と笑顔で明かす。
ただ、驚いたのは“最初だけ”。日を追うごとに、大会に臨む準備や心構えは整っていく。
日本の審判として、アジアの審判として、そして女性の審判として━━。「3つの責任を強く感じて、ぐっと身が引き締まっています」と意気込む。
4歳でサッカーを始めた山下さん。サッカーに関わる多くの人と同様に、W杯は「夢の舞台」だったという。
2歳上の兄の影響でサッカーに親しみ、幼少期は男子と一緒にボールを蹴った。高校ではサッカー部がなくバスケットボール部での活動に打ち込んだ。大学ではサッカー部に入り、再び夢中になった。
審判の資格を取ったのはその大学時代。「最初はどちらかというと『やっても良いかな』ぐらいの気持ちでした」と打ち明ける。
意識が大きく変わったのは、日本女子サッカーリーグの副審など、全国レベルの大会に関わることができる「2級」の資格を取ってからだ。
さらに「女子1級」を取得し、「日本サッカーに何か貢献したい」という思いが強くなっていったという。
男性の試合を女性の審判員が担当すること「当たり前になるように」
以来、なでしこリーグなどで経験を重ね、2021年には女性審判員として初めてJリーグ(J3)で主審を担当。
翌22年にはJ1の試合で笛を吹き、アジアのクラブチームチャンピオンを決めるAFCチャンピオンズリーグでは史上初めて女性として主審を務めた。
「女性の審判員が男性の試合を担当することを当たり前にする」。山下さんがこれまでインタビューなどで繰り返し語ってきた目標だ。
W杯のようなハイレベルの試合で審判を務めるには、審判員として高いレベルのスキルや体力が求められる。
だが、「女性審判員だから務められない」ことはないと、山下さんは言う。
男女双方のカテゴリーの試合で審判を務めてきた自らの経験が、そのことを裏付けている。
「男性の試合を女性の審判員が担当しても別にいいじゃないかって。これまでそういう機会がもっとあって良かったと思う。私自身ができるのは、それが当たり前になるよう全力で臨むことだと思っています」
ジェンダー平等は途上のサッカー界
サッカー界におけるジェンダー平等の実現は途上だ。
日本サッカー協会は「2030年までに登録女子プレーヤーを20万人にする」という目標を掲げている。女子選手の登録者数は、2011年になでしこジャパンが女子W杯で優勝したことを契機に増加傾向にあったが、2014年頃から頭打ちとなり、5万人前後を推移。世界トップ10の国々と比べても日本の女子選手は人口比が低いことがわかっているという。
一方で、2021年に初の女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」が誕生し、サッカーに関わる女性の活躍の場を広げる機運は高まっている。
国外に目を向けると、女子サッカーの強豪で選手数も多いアメリカでは2月、女子代表と男子代表の待遇格差に関する訴訟が和解。全ての国際試合や大会で男女で同一賃金を支払うことで合意し、画期的な一歩を踏み出した。
ジェンダー平等に向けて、山下さんは「まずは女性の選手がもっと増えたらいいな、サッカーの面白さがもっと伝わったらいいなと思います」と裾野を広げる必要性を指摘する。
そして、プレーヤーから審判へと視野を広げた自身の経験から、「サッカーにはいろんな関わり方があることを知ってほしい」とも語った。
「サッカーをしていると、やはり近くにいるのはコーチや選手たちになる。でも、試合を運営する方など、いろんな関わり方があります。観客もそうですし、サッカーに関わる女性が確実に増えていっているという実感はあります」
審判の世界では、山下さんが「女性初」と冠がつくことが多いが、本人にとっては、道を切り開いてきた先輩たちの存在が大きかったという。
実際に、JリーグやJFLなど、男子の全国大会レベルの主審や副審が務められる「1級」を取得した女性は山下さんが4人目だ。
前述のAFCチャンピオンズリーグで副審を務めたのは、坊薗真琴さん、手代木直美さんという仲間たち。坊薗さんは、山下さんを審判の世界に誘った大学の先輩でもある。
「全国には、男性の試合をたくさん経験してきた女性審判員たちもたくさんいます。そういう審判仲間が積み重ねてきた『信頼』が、いまの状況を作り出しているのは間違いない。そのことをまず伝えたいですね」
開催地カタール、人権の観点で厳しい視線
カタールで主審を務めることについて、山下さんは「女性活躍や女性進出という意味で、少しでも伝わるものが何かあればもちろん嬉しいです。審判員の立場としては、同じアジアでカタールの女性審判員にお会いしたことがないので、ぜひ今後は一人でも増えて、一緒に活動できる女性審判員の仲間ができたらいいなと思っています」と話す。
「サッカーの魅力を引き出す」審判の役割
インタビューを通して、山下さんの言葉から滲み出てくるのは、「サッカーが好き」という率直な思いだ。
「審判員の目標の中に『サッカーの魅力を最大限に引き出す』というものがあります。最初はただ知識として知っていただけだったんですが、その意味に気づいたときがあって」
「審判員っていう役割が、自分がこんなにも好きなサッカーの魅力を引き出すこと、それを目標にしているということに、すごく引き込まれました」
山下さんにとって、世界最高峰の大会で主審候補に選ばれた意味とは何か。
「性別に関わらず、全ての審判員がW杯という夢を持てる。その可能性を伝えられることが嬉しいし、意味があると思っています」