現代人は、自分の話を誰かに聞いてもらう機会が少なすぎるのではないか。
世間話をするにも、都市では隣に誰が住んでいるかがわからない。オンラインで会議をしたあとは通話がブツっと切れて、気軽な雑談もしづらい。心がつらくなるニュースが飛び込んできても、つらさをわかち合う場がなければ、ひとりで抱え込んでしまう。
精神科医・鍼灸師の森川すいめいさんは『その島のひとたちは、ひとの話をきかない 精神科医、「自殺希少地域」を行く』(2016年、青土社)で、自殺希少地域(自殺で亡くなる人が少ない地域)でのフィールドワークの過程を記した。その分野で知られる岡檀さんの研究に触発されてのことだった。
そこでは、右へ倣えを嫌う、人間関係は「疎で多」、助け合いではなく「助けっぱなし、助けられっぱなし」などの示唆深い考察がまとめられている。そして、本の最後でその可能性が見出されていたのが、オープンダイアローグ(開かれた対話)である。
それから4年後の2020年、森川さんはオープンダイアローグ発祥の地であるフィンランド・ケロプダス病院などで学び、日本人医師として初となるオープンダイアローグのトレーナー資格を取得。著書の『感じるオープンダイアローグ』(講談社現代新書)、『オープンダイアローグ 私たちはこうしている』(医学書院)などでその理念や対話の型を詳しく伝えてきた。
「開かれた対話」オープンダイアローグはなぜ「心」に効くのか? 医療の現場ではない日常生活で、その知恵を取り入れることはできるのだろうか? 森川さんに聞いた。
「心」は他者との関係のなかにも存在する
オープンダイアローグとは、近年注目を集めている対話ミーティング(treatment meeting)である。患者、医療者、支援者、そして家族などが集まり、輪になって対話をする。そこでは「水平の関係性」が重視される。参加者全員が対等に、話したいことを話すのだ。
発祥の地・フィンランドで行われた調査によると、精神病状を有した相談者のうち8割が精神病状の残存がなく、学業やフルタイムの仕事に復帰したそうだ。
開かれた対話が、なぜ「心」に効くのだろうか。森川さんの答えはシンプルだ。「心」は自分のなかだけにあるのではなく、他者との関係のなかにも存在しているからだ。
「オープンダイアローグにおいて、心は人と人の間にあるという考え方が採用されます。
例えば家族のなかで精神症状のある人がいるとします。家族から患者だけを取り出して、私たち精神科医が診察をして、また家族のなかに戻したとしても、家族の不安は変わらないし、家族関係は変わりません。
だからこそ、家族も対話の場に招いて、一緒に話してみる。家族も実はそれまで本人の話を聞いたことがなかったりするし、『大事に思っているけど実は声の掛け方に迷っていて』と悩みを聞けることもある。対話を通じて、ちょっとずつ誤解が解消されていくことがあるのです」(森川さん)
「その人のいないところでその人の話をしない」。これが、オープンダイアローグにおいて最も大切にされている考え方だ。困っている人がいたら、医師や看護師、福祉支援者、家族などがみんなで集まって対話をする。そのとき、事前準備はしない。すべてを本人のいるところで話すのだ。
つまり、まず自分が話を聞かれることでしか、プロセスは始まらない。これは歴史の反省に基づいている。もともと「話を聞かれていなかった人たち」がいたのである。
「本人のことなのに、本人のいないところで意思決定されてきたのが、医療、学校、上司と部下、親と子、そして政治もそうだと思います。
例えば精神医療では、『薬を飲むかどうか』『入院するかどうか』を意思決定する権利は医療者の側にありました。また、患者の話を聞くにしても、医療者が聞きたいことだけを聞きます。
そうではなくて、本人のいないところでは意思決定をしないどころか、本人の話をするのもやめましょう、と。必要なら、本人と何度も会って話を聞けばいいという考えを大切にしているのがオープンダイアローグです」(森川さん)
話し切る、聞き切る、そして対等である
オープンダイアローグの知恵を、私たちが日常生活に取り入れることはできるのだろうか。
発祥の場所であるフィンランドのケロプダス病院では、「どんな場だとより対話的になるか」を40年以上もの間、工夫してきた。そこで見出された実践時の知恵やアイデアは、状況によって使い分けなければならないものの、医療の外でも参考にできるだろう。
ヒントのひとつは、1対1で話さないことだ。
「1対1の対話は難しいことがよくあるので、第三者が入って1人ずつ話をするのがいいでしょう。
1対1で話していると、矢印が相互に向かい合って、その矢印が痛くなってしまう。でも、第三者がいればその第三者に向かって話すようになって、より対話的になります」(森川さん)
対話の場になったら、話し切ることと聞き切ること、そして対等であることが大切だ。近年、1on1ミーティングを積極的に取り入れる企業は多く、話を聞くことが大切にされ始めている。そうした場でもオープンダイアローグをヒントにすることができる。
「人が話しているときは、話し切るまで聞き切ることです。聞き手だった人が次に話すときには『次は私が話していい?』などと確認します。
上の立場の人は、まずよく話を聞き切り、アドバイスを求められたときにだけ『これが合ってるかわからないけど、私はこう思う』『あなたが選択することであり、これはあくまでも私の意見だよ』と伝える。すなわち、対等な関係です。意思決定権のあるほうの人が場を対等にする調整をしなければなりません」(森川さん)
質問は意図と一緒に伝えることも大切だ。なぜなら、質問をされた人は、脅威に感じてしまうこともあるからだ。
「なんで質問されたのかわからないと、攻撃だと感じるんですよね。特に、気持ちが落ち込んでいるときには。
だから、『私があなたを心配に感じているから聞きたい』などと、質問する側の意図や気持ちを伝えます。
とてもつらい状況にある人に質問をするときには『話していて体調は大丈夫?』『つらくなったら話す時間を止めよう』とこまめに声かけをすることも大切ですね」(森川さん)
そして、対話を続けていくことも大切だ。オープンダイアローグでは、必要があれば対話の場を連日開くこともある。
「オープンダイアローグに参加する患者やその家族が、『あの対話の場があるから大丈夫だと思える』とよく言います。何かあったらまた対話の場に行って、輪になって話す。対話の場が続いていくと信じられている状態が、患者や家族を支えてくれます」(森川さん)
人を人として尊重した、ただの対話
「病、市(いち)に出せ」。ある自殺希少地域で、昔から大切にされてきた教訓だ。困ったこと(病)があれば、対話の場(市)に出してみんなで話す。オープンダイアローグに通じている教訓と考えることもできる。
一方で、「市に出す」ことを恐れている人もいるだろう。例えば、家族と関係が悪くて話すことができず、精神科に行っても話を聞いてもらえない。友人に話してみたら強く否定されてしまった、といった経験を積み重ねてしまうと、対話の場に出ていく勇気が出ないかもしれない。
そんなとき、解釈されない場所に行ってみることから始められるかもしれない。
「自分が話したとき、相手から勝手に解釈や分析、批判をされてしまうとしんどいですよね。
例えば私がフィールドワークをした自殺希少地域の人たちは、対話に慣れていて、解釈をしてこない人が多い。だからこそ『いつもよりもたくさん自分のことをしゃべっていたな』とあとから感じることもあります。そうした地域を訪れてみると、対話を始めやすいかもしれません。
ほかにも、体を整えていって、その過程でちょっとした会話が生まれるといいですね。海や山などの自然に触れに行き、途中でお店に入ったときには店員さんと一言交わす機会があるかもしれない。もし元気があればスポーツジムで体を動かすのもいいですね。スタッフの人と挨拶程度の会話をしたり、その中でちょっと親しい人ができたりする。
話を聞いてもらえていない段階は、ネガティブな自分と対話し続けている状態なので、心がどんどん苦しくなっていきます。そこにちょっとでも対話が入り込んでくると、回復が始まって、次はさらに良い対話ができるかもしれません」(森川さん)
森川さんは著書で、オープンダイアローグを「人を人として尊重した、ただの対話」と記した。話を聞かれていなかった人々の話にまず耳を傾けることから、対話は始まっていく。関係性に目を向け、みんなで対話の場をつくる。そして権力関係に敏感になり、対等な関係を作る努力をする。
合理化され、スピードが求められる今の社会で、立ち止まり、輪を作って対話をするオープンダイアローグの知恵から学べることは多いだろう。