「そうだ、ヘアドネーションしよう」
そう思い立ったのは、新型コロナの感染が広がり始めた2020年春ごろだった。
美容院に行く頻度がだんだんと低くなり、髪を伸ばすのにいいタイミングだと感じたからだ。
「ヘアドネーション」は、病気やけがなどで髪を失った子どもたちに、寄付で集められた本物の髪の毛でつくったウィッグを贈る活動のこと。新聞やテレビなどで「いいこと」としてたびたび報じられ、その存在は知っていた。自分の伸ばした髪が少しでも役に立つなら──と思って伸ばし始めた。
だが、その後、私は「本当にヘアドネーションをすることがいいことなのだろうか」と思い悩むことになった。
それは、2009年に日本で初めてヘアドネーション活動を始めたNPO法人「Japan Hair Donation & Charity(JHD&C、ジャーダック)」の代表理事、渡辺貴一さんのあるインタビュー記事を読んだことがきっかけだった。
2022年5月に配信された記事のタイトルは「ヘアドネーションという罪。『いいこと』がもたらす社会の歪みについて」。つづられていたのは、大多数の人には髪の毛が生えているこの社会で、髪の毛のないマイノリティの人々に対してウィッグを提供することが、「ウィッグが必要だ」「髪の毛があることは素晴らしい」といった”無意識の押し付け”になっているのではないか──と自問する渡辺さんの言葉だった。
髪の提供が、「髪が生えている」マジョリティ側の自分から、「髪がある方がいい」という“無自覚の思い込み”を押し付けることにもしかしたらつながるかもしれない。
もちろん、今ウィッグを求めている人もいる。ウィッグを必要とすることはいけないことなのか──。
悩んでいても髪は伸び、ジャーダックに寄付するのに最低限必要な長さである「31cm」も十分に超えてしまった。悩みながらも、やはりヘアドネーションをしようと決めた。今必要としている人たちに届けばと思ったからだ。
そして、ジャーダックの渡辺さんに、自分が悩んだことをぶつけ、その思いを聞いた。
「ウィッグだけ渡しても結局解決にはならない」
──ヘアドネーションについて調べる中で、私自身が「髪の毛があるマジョリティ」であり、自分の中にある無意識の偏見に気づきました。渡辺さんは2009年から活動をしていますが、こうした「無意識の偏見」は当初から感じていたのでしょうか?
この活動はそもそも、困ってる子どもたちや髪の毛がなくて“かわいそうな”子どもたちのためにスタートしたものではないんです。
僕自身が美容師で、今も美容室を経営しています。髪の毛を切って、髪の毛を捨てることで生計を立ててきました。
大量に捨ててきた髪の毛への「恩返し」のような気持ちで、それをアップサイクルして、価値をつけて、必要な人に渡すということから取り組んでみたらどうだろうかと思いました。
一緒に活動を始めたメンバーと話をする中で、アメリカではすでに取り組みの始まっていた「ヘアドネーション」がいいんじゃないかということになったんです。
だから、社会貢献したいという意識があったわけではないんです。ニューヨークで働いていた経験があったので、チャリティーが自然と行われるような文化に触れたことは大きかったとは思います。
活動を始めて5、6年目くらいから、「ウィッグだけ渡しても結局解決にはならないんだな」ということには気づいていました。
新型コロナの感染が広がる前は、ウィッグを必要とする方1人ひとりに直接お会いしてフルオーダーでウィッグを作っていました。
ある時、「これ地毛だよね?」と思うほどリアルな髪の毛をした女の子が、お母さんと来られたんです。聞くと、「つけたまま泳げるウィッグ」だったんです。
外さないと採寸ができないので、「外してください」と言うと、肌にビタッとくっつく特殊な両面テープでついていました。水の抵抗を受けても脱げないためだそうです。一苦労して剥がすと、その子の頭はテープでかぶれて、真っ赤に腫れ上がっていました。
「うちのウィッグはパッと被るだけなので、外れることもありますよ」と伝えると、お母さんはこうおっしゃったんです。
「私もこの子も疲れちゃって。毎日これを貼って…だからどうしても脱げたくないときだけこのウィッグをして、普段はもう少し楽なものでと思って申し込んだんです」
それまでヘアドネーションについて伝える記事や番組では、ウィッグによって子どもたちが笑顔になった──というものがほとんどでしたが、ウィッグをつけるということが無条件に「笑顔につながる」という伝え方は、僕からすれば、ただただ「?」としか感じられませんでした。
もちろん、ウィッグを受け取った人たちはありがたいと思っているし、喜んでいるんです。ただ、「髪の毛がない」人が、ウィッグを身につけて社会に馴染むことで、一旦は髪の毛がないことが「見えないもの」になる。
次に起きる問題は、毎日のつけ外しの大変さや、夏だと熱中症になるほどの暑さ、水泳、鉄棒やマット運動、修学旅行のようなお泊まりの時の苦労──などの不便さです。
こうした髪のない人たちの日々の”負担”に、髪のあるマジョリティ側の人の多くは気付かないのではないでしょうか。当たり前に髪の毛がある人にとっては、想像しにくいものだと思います。
──2009年から10年以上活動する中で、「ヘアドネーション」という言葉は広まったと思います。一方で、「ヘアドネーションさえすれば解決する」わけではない、という認識も少しは広がってきたでしょうか?
まだまだでしょうね。
ただ、“無意識の押し付け”についての記事が配信された後、「すごく考えさせられました。でも私は自分の考えとして、自分の髪が今悩んでる人たちの役に立つのであれば送らせてもらいます」といった手紙を添えて髪を送ってくれる人が増えました。そうやって理解してくれる人も増えてきているのは、ありがたいことです。
一方で、ウィッグをつけているという方から、「ウィッグはいらないようになった方がいいの?」「私たちにウィッグを脱げと強制する社会になったら困ります」といった声も寄せられました。
僕は「ヘアドネーションをすること」を否定していませんし、もちろん「ウィッグをつけること」も否定していません。
ジャーダックは「必ずしもウィッグを必要としない社会を実現する」という目標を掲げています。
この「必ずしも」という部分が重要で、「選択肢が用意されるべき」という考えです。ウィッグはこの世の中からなくなった方がいいと思ってるわけでも、ウィッグをつけている方に「ウィッグを外せ」と言っているわけでもありません。
「選択肢」を提供できる社会を目指して
──ウィッグをしても、しなくてもいい。そんな「選択肢」が重要だということですね。
僕らはこれまで、600以上のウィッグを提供してきました。その9割が女性です。活動をする中で、ウィッグを使う多くの人たちに出会ってきました。
5歳くらいの女の子が、友達と遊んでいて暑くなったら職員室に行ってウィッグを外して汗を拭いて、またウィッグをつける。ご両親は先生に対して、他の子には、ウィッグをつけていることを言わないで欲しいと思っている。女の子は暑くて何度も職員室に行く──。
なぜこんなことが起きるのでしょうか。女の子が「髪の毛がない」「短髪」だとどんなふうに周りから見られるかを想像してみてください。ジェンダーに基づく役割への紐付けが前提になっていると思うんです。
髪の毛を寄付してもらい、ウィッグを作って渡す活動そのものが、「ウィッグっていいでしょう?髪の毛があることは素晴らしいですよね」という、髪の毛に問題を持たない人たちを中心に作られた社会構造の中に、たまたま髪の毛がない人たちを押し込めてしまう側面が否めないのではないかとずっと悩んできました。
ウィッグを渡せば渡すほど、「長い髪の毛って美しいでしょう?女性らしいでしょう?」という考えを、暗黙に強要してきたと言われても仕方がない側面があると思っているんです。
一方で、脱毛の症状によって「地獄のどん底」にいたけれど、ウィッグによってその状態を脱して社会に馴染んで生活していこうと前を向いた人もいます。だから必要なのは「選択肢」なんです。
ウィッグは夏は暑いし、皮膚もかぶれるし、子どもにとっても負担が大きいし、もう大変だから、何てことない日は帽子やウィッグなしで外出させたいという人もいます。
「ウィッグをつけた生活はもう嫌だ」「なんで女というだけで髪の毛がないとジロジロ見られるの?」などと不満を持っているような、ウィッグを使うことに葛藤を抱く人たちに対して、違う「選択肢」を提供できる社会になっていくべきだ、というのが今の僕らの考えです。
その「選択肢」はどうすれば実現できるのか。そこを語らずにウィッグだけを渡していると、僕らは「髪の毛がない」ということで生まれる「差別」に加担することになりかねない。ヘアドネーションを美談にしてしまうと、無邪気な「いいことをした」だけで終わってしまうことを肯定することになってしまいます。
ウィッグを渡すだけでは問題は解決しないので、社会の側が変わらないといけない。「髪の毛がないことはかわいそう」という、固定観念や無自覚の差別を自覚して、みんなが生きやすい社会にしていかないといけないと思います。
その世の中に近づけば、いずれ僕たちの活動はいらなくなるのではと考えています。
「無邪気」だけじゃダメな理由
──ヘアドネーションをしたいなと思っている人に、どんな気持ちで寄付してほしいですか?
ヘアドネーションをして、「いいことをした」という「無邪気さ」だけで終わらないでもらえたら嬉しいです。
ウィッグを今必要とする人のために、暑い夏に切りたい気持ちや、ドライヤーで長時間乾かす大変さを我慢してくださることには感謝しかありません。
でも、ウィッグを提供することで「差別」を助長する可能性があることも知ってほしい。
また、髪の毛がないことを笑いのネタにしたり、髪の毛がない人をジロジロ見たりする、社会の風潮はなくすべきではないでしょうか。テレビで「ハゲ!」とネタにされ、それで笑う人がいる様子を見て、傷ついている人がたくさんいます。
──ジャーダックが監修した、髪の毛を提供するドナーやウィッグを受け取るレシピエント、賛同する美容師らへのインタビューなどをまとめた書籍「31cm」が2021年6月、出版されました。ウィッグをもらった子がどんな気持ちで過ごしているのかを知ることも一手だと思いますが、髪があってもなくても、あらゆる人が尊重される社会へと変えていくために何ができると思いますか?
ジャーダックとしては、ウィッグをつけている当事者たちの生活や思いをもっと伝えていきたいと思っています。そのために今、色々と準備をしているところです。
一番の敵は「無関心」だと思っています。「自分のことさえよければそれでいい」という人たちと向き合わないといけないんだと思います。だから、まず関心を持ってくれる人に当事者の思いを知っていただくことを地道にやっていくしかないと思います。
あとは、こうした「会話」を止めないこと──くらいしか今のところは言えません。中学生や高校生とヘアドネーションについて話す時には、「ヘアドネ=いいこと」で終わってもいいんですか、ウィッグがなくても自分らしく生きていける世の中の方がいいと思いませんか──などと伝えるようにしています。
最初は「美談」を想定していた子たちも、「偏見や差別がない社会を実現するために私たちはどういうことに取り組めばいいでしょうか?」と柔軟に考えを変えてくれます。
大人が「美談」だと思い込んでいるから、子どもたちもそう受け取ってしまうのだと思いますが、一歩一歩でも伝えていきたい。それが遠回りのようで、一番の近道のような気がしています。