2022年上半期にハフポスト日本版で反響の大きかった記事をご紹介しています。(初出:3月26日)
ハリウッドでは長い間、社会的マイノリティの人たちが排除された状況で、映画作りが行われてきた。近年は、その機会の不平等を是正しようとする動きが広がりつつある。
2022年のアカデミー賞で作品賞を受賞した『コーダ あいのうた』には、メインキャストとして3人のろう者の俳優が出演し、そのうちの1人、トロイ・コッツァーさんは助演男優賞も受賞した。
一方の日本映画では、聴者の俳優がろう者を演じることがほとんどだ。この背景には何があるのか。また、非当事者が演じることに、どんな問題があるのか。
東京国際ろう映画祭を主催し、自身もろう者である映画監督の牧原依里さんは「ろう者の俳優が少なく映画作りに携われないのは、ろう者が何か足りなかったり劣っていたりするからではありません。機会や情報保障がなく、十分な場を得られていないから」だと指摘する。
「ろう者役には、ろう者の俳優を」監督と俳優の強い意志により実現
『コーダ あいのうた』の主人公は、家族で唯一の「聴者」の高校生で、耳の聞こえない「ろう者」の両親と兄をもつ。タイトルの「コーダ/CODA(Children Of Deaf Adultの略)」とは、聞こえない親をもつ聞こえる子ども=主人公のことを指す。
「ろう者役には、ろう者の俳優を」
これは、シアン・ヘダー監督の強い意志で実現した。
へダー監督によると、当初関わっていた大手映画会社は、家族役には著名な聴者の俳優をキャスティングするよう求めたという。しかし、「耳の聞こえない人の役があるのに、耳の聞こえない優秀な役者を起用しないのは考えられない」と考え、それを断った。
へダー監督は手話を学び、ろう文化や歴史に詳しい専門職である「DASL(ディレクター・オブ・アーティスティック・サイン・ランゲージ)」を導入し、インディペンデント映画として『コーダ』を制作した。
へダー監督が早い段階で声をかけたのが、母親役のマーリー・マトリンさんだ。『愛は静けさの中に』(1986年)でろう者として初めてアカデミー賞主演女優賞に輝いたマトリンさんは、かねてからろう者の俳優が活躍できるよう、映画・テレビ界で発信してきた。『コーダ』でも、「自分以外の家族を聴者が演じるのであれば、作品には出ない」と表明した。
権利保障が、映画作りにも影響
『コーダ』の他にも、近年はヒット映画『クワイエット・プレイス』や『エターナルズ』などにもろう者の俳優が出演する。大規模な作品でろう者が活躍できるようになった背景を、牧原さんはこう分析する。
「今のハリウッドでは、当事者が演じるのが当たり前だという風潮ができつつあります。聴者の俳優にろう者を演じさせようとする動きに抵抗してきた、監督や当事者の努力が積み重なった結果では。
監督やプロデューサーなど映画作りの要の人たちがろう者と繋がり、当事者が演じることの重要性を理解しているのは大きい。今後の映画作りにも良い影響を与えるはずです」
アメリカでろう者の俳優が活躍できるための環境を整えた立役者の一人が、ルー・ファントさんというCODAの男性だ。
ファントさんは自身も映画や演劇に出演し、ろう者を支援。アメリカろう者劇団「ナショナル・シアター・オブ・ザ・デフ」や、トニー賞にもノミネートされた劇団「デフ・ウェスト・シアター」を立ち上げた。『コーダ』の父役コッツァーさんと兄役ダニエル・デュラントさんも、デフ・ウェスト・シアターの舞台に立っていた。
「ろうや難聴の学生が通うワシントンD.C.のギャローデット大学でも、映画や演劇を学ぶことができ、芸術分野で活躍する人も多くいます。
アメリカでは1990年に『障害を持つアメリカ人法(ADA法)』という差別を禁止する法律が制定され、聴者の大学などの公的機関では、手話通訳や文字通訳などの情報保障を確保されるようになり、ろう者の学生がどこでも学べる機会を持てるようになった。社会的にろう者の権利が保障され、映画作りにも影響を与えました」
ろう者がどう描かれるか。手話を使う物語が多いが…
アメリカの映画・ドラマ界では、人種やジェンダー/セクシュアリティ、障害者などのマイノリティの役には、当事者の俳優を起用しようとする動きが広がっている。
その背景には、非当事者が演じることで、作品を通して、当事者をめぐり誤った認識や偏見を植え付けてしまう恐れや、当事者の雇用の機会が奪われるなどの問題がある。
牧原さんは、「映画の中でろう者がどう描かれるか」という表象の面において、聴者がろう者を演じる際の違和感をこう指摘する。
「大きいのは手話です。手話が第一言語ではない聴者の俳優がやると、『身振り』のようになってしまう。手話は、表情や頷き、動きのスピードも含めた言語なので、手の形だけでは微細な感情を伝えることは難しい。監修がつき練習しても、数カ月で習得できるものではありません。
また、耳が聞こえる人と聞こえない人では、身体感覚が異なります。聴者がろう者と同じ感覚になるためには、本来であれば音が聞こえない状況で演じなければならない。
たとえば目の動き。聴者は音を通して人やものの気配に気づきますが、ろう者はそれができないので特有の目の動きがある。身体表現である演技において、そもそもの身体感覚が異なるため、ろう者から見ると不自然な動作や表情も多いです」
さらに、ろう者の実情を無視した作品やキャラクターの設定も散見されるという。「ろう者」「難聴者」と一言で言っても、生まれつきか中途失聴か、育った環境や手話・読話を習得した年齢、時代背景など様々だ。その多様な実態に目を向けず、ろう者を、聴者によって作り出された画一的なイメージにあてはめようとする描き方もあると、牧原さんは考える。
「ろう者がみな手話ができるわけではありません。かつて日本のろう学校では手話が禁止されており、手話を学べる環境にいたかどうかも大きい。
今は人工内耳をつける子どもも多く、高齢者の中には、口話教育が中心だった時代にろう学校に通い、身振りだけでどうにかコミュニケーションをとっていた人たちもいます。
フィクション作品では手話を使うろう者が多いですが、その人の中にある歴史や生い立ち、文化に一貫性がなく、結びついていないような描写がみられます。一方的な『ろう者像』が作られ、それにより誤解が広まっていかないか危惧しています」
日本の映画・ドラマは? 当事者の雇用が奪われる問題
ろう者が活躍できるための環境が長年かけて作られてきたハリウッド。一方の日本では、ろう者の役を聴者の俳優が演じることが多く、大規模な作品ほどその傾向が強い。
日本映画として初めてアカデミー賞作品賞にノミネートされた『ドライブ・マイ・カー』は、韓国手話を使う女性が登場するが、演じているのは、手話が第一言語ではない聴者の俳優だ。
日本で初めてろう者が主役を演じたのは1999年の映画『アイ・ラヴ・ユー』。忍足亜希子さんが主演を務め、日本ろう者劇団の演出家である米内山明宏さんが、大澤豊監督とともにメガホンをとった。
2004年のドラマ『オレンジデイズ』では、主人公の女性は「4年前に病気で中途失聴者になった」という設定だった。牧原さんは、「もちろん個人によりますが、一般的には中途失聴者は声で話せるので、音声でコミュニケーションをとることが多く、ネイティブな手話を使う人はあまりいないため、違和感があった」と振り返る。
NHK BSプレミアムのドラマ『しずかちゃんとパパ』では、ろう者の親とCODAの子どもの物語を描いた。また、ろう者のプロボクサー小笠原恵子さんの自叙伝が『ケイコ 目を澄ませて』として映画化。どちらも聴者の著名な俳優が演じる。
ろう者を描く作品は、数としても少ない。さらに、聴者がろう者役を演じることで、ろう者の俳優の雇用の機会が奪われることにもなる。
「これまで社会で『見えないもの』とされてきたろう者の物語を作るのは大事なこと。しかし、日本ではどうしても、興行面や視聴率、話題性を重視し、聴者が演じることが当然という状況になっていて、これを少しずつでも変えていきたい。そのためには、俳優だけではなく、企画段階から当事者が参加することが必要です」
雇用の問題は、俳優だけではなく、制作陣においても同様だ。映画作りを学ぶため学校に通った牧原さんは「映画や演技を学ぶ場所で、情報保障がない」状況に危機感を覚えたという。
「手話通訳を自分で手配しなければならず、金銭的な負担も大きい。環境が整っていないために、ろう者は情報格差の壁にぶつかり、諦めてしまうことも。身体感覚も文化も異なるので、ろう者が聴者の中に入っていくのは精神的負担も大きいのが実情です」
育成の場と参画する機会を作るために。
牧原さんは、黒柳徹子さんが理事を務める「トット基金」が運営し、芸術分野でろう者を育成する目的で立ち上げられた「育成×手話×芸術プロジェクト」で、映画部門の企画を担当している。
講座では、ろう者・難聴者向けには、オーディションの受け方や演技のワークショップを行い、聴者向けには、映画・ドラマなどの関係者を対象に、ろう者の文化や歴史、コミュニケーションをとる方法、手話通訳を手配する方法などを教えるほか、企画の進め方などを提案した。
講師として、俳優・映画監督でもある今井彰人さんと今井ミカさんも参加。2人は、日本の代表的な映画教育機関である「映画美学校」のアクターズ・コースに、ろう者として初めて通った経歴をもつ。
「彰人さんとミカさんからは、『同じ空間で学ぶことで、聴者にとっても、ろう者の身体表現を通じて新しい可能性を発見できた』という話があったと聞きました。ろう者と聴者が一緒に学び、コミュニケーションをとることで、双方の理解も深まるだけではなく、新しい表現の可能性も広がっていくはずです」
映画における、ろう者の不遇を改善し、公正で公平な表現を目指すには、聴者とろう者を繋ぐ場が重要なのではないかーー。
そう考える牧原さんは、その架け橋となる人々が増えることが「映画が変わるための第一歩になる」と語る。
「日本の映画作りや、その意思決定層にいる人たちは、聴者が中心です。今は変化のための過渡期で、この状況を変えるために、聴者にはろう者の生活や文化、ろう社会に根付いているろう芸術を知ってほしいし、ろう者には育成の場だけではなく参画する機会が必要です。
ろう者が登場する作品が作られる時に、当事者の俳優や映画関係者に門戸が広がるように、『アライ』(理解者・支援者)となる聴者が増え、聴者・ろう者に開かれたネットワークで互いを繋いでいくことが大切だと考えます」
(取材・文=若田悠希 @yukiwkt /ハフポスト日本版、手話通訳=小松智美)