「教室マルトリートメント」という言葉を聞いたことがありますか。
体罰やわいせつ行為のように違法とはされないものの、子どもたちの心を知らず知らずのうちに傷つけてしまう、教員によるあらゆる「不適切な行為」を指します。
児童生徒の教育に関わる人たちからいま注目を集めているこの概念は、20年以上教壇に立つ特別支援学校の現役教員で、公認心理師の川上康則さんによる造語です。
・「勝手にすれば」「さよなら」など見捨てる言葉かけ
・励ましや賞賛をしない
・威圧的・高圧的で、力で押さえるような指導
・子どもが自信をなくすような強い叱責や懲罰
教員によるこうした言動は「教室マルトリートメント」に当たると川上さんは言い、従来は「しつけ」や「指導」を名目に見過ごされてきたものの、子どもの発達上避けるべきだと指摘します。
教室マルトリートメントは、子どもたちにどのような影響を与えるのか。不適切な指導が生じる背景に何があるのか。
『教室マルトリートメント』(東洋館出版社)の著者である川上さんへのインタビューからは、教員個人の資質にとどまらない構造的な問題が浮かび上がりました。
「ダメって言ったよね!」パニックになる子どもたち
「また悪いことして!」
「ねえ、何やってるの?いい加減にして!」
「ダメって言ったよね!」
「最高学年のくせに!」
川上さんが関わってきたケースの中に、精神的に不安定になるとこうした言葉を独り言のように連発する生徒たちがいました。小学校からの引き継ぎや家庭への聞き取りなどを踏まえると、教員からの強い言葉がトラウマになってしまっている様子でした。
ある中学生は、小学校時代のことが急にフラッシュバックした後、ホワイトボードにこう書き記したと言います。
へやにとじこめられたかず 94回
外にだされた数 15回
おこられた数 219861回
おれのせいにされた数 969回
ろうかにたたされた数 324回
川上さんは、過去の教員たちから受けたきつい叱責の言葉や行き過ぎた指導がこうした言動やパニックを誘発していると見ており、危機感を抱いたと振り返ります。
「自尊感情が低下して、『どうせ自分なんか何やったってダメ』という諦めや無力感に苦しんでいる子どもが多くいます。頭ごなしに叱り自信を失わせる指導は、こうした『二次障害』を引き起こしかねず、学校や大人に対する不信感にもつながってしまいます」
力で押さえつける指導は、子どもと教員だけでなく、教員同士の関係や学年全体の雰囲気にも影響すると川上さんは強調します。
「以前、『今日も子どもを泣かせてやった』と武勇伝的に語る先生がいました。若手の先生に対しても支配的な態度で、その先生と同じような指導をしなければいけないという強い圧を感じさせていました。すると学年の雰囲気全体が、力で押さえつけて言うことを聞かせることが正しい指導であるかのようになってしまったのです。他の学年に比べて子どもたちも不安定でキレやすくなったり、登校しぶりが強まったりしていました。今でもこうした高圧的な先生がいます」
「教室マルトリートメント」とは?
「マルトリートメント<mal(悪い)+ treatment(扱い)>」とは、子どもに対する「不適切な養育」「避けたい関わり方」といった意味で使われます。
「チャイルド・マルトリートメント」という言葉は、欧米では一般に次のように捉えられています。
<18歳未満の子どもに起こるあらゆる種類の身体的・心理的・性的虐待とネグレクト、そして児童ポルノを含む個人の性的搾取を行うこと、さらに子どもの心身の健康・発達・対人関係などに害をもたらすこと>
マルトリートメントは基本的に、親子関係の養育において使われる概念です。一方、川上さんは教員などによる不適切な指導は学校でも起きているとの問題意識から、「教室」と組み合わせた造語を提唱したと言います。
「教員による体罰やわいせつ行為は違法であり、処分の対象でもあります。ですがそれよりずっと手前にあるけれど、子どもたちを深く傷つける指導というのはこれまで見過ごされてきました。従来グレーとされてきた部分の見つめ直しをしなければいけないと感じています」
教室マルトリートメントには、家庭におけるネグレクトや心理的虐待に類似した指導があると川上さんは説明します。
◇「教室マルトリートメント」の例
・身体的虐待、体罰
・性的虐待、わいせつ行為
・「ネグレクト」に類似した指導 → 励ましや賞賛をしない/特定の子の指名を避ける/取り組むべき学級の課題を放置する/「勝手にすれば」「さよなら」などの見捨てる言葉をかける
・心理的虐待に類似した指導 → 威圧的・高圧的な指導、力で押さえる指導/事情を踏まえない頭ごなしの叱責/子どもの人格を尊重しない言動/「じゃあ〇〇できなくなるけどいいんだね」などの脅しで動かそうとする声かけ
川上さんは、教室マルトリートメントの弊害の一つに「先生に叱られないかどうかだけが判断基準になると、自分で考えて行動することに結びつかない」点があると指摘します。
「子どもたちが一つひとつの言動や判断を自分ごととして捉えられるようにしたかったんです。トラブルを起こさない教室ではなく、起きた後に次のチャレンジを応援し合う教室づくりを目指す方が、子どもたちの未来にとって良いはずです」
なぜ起きてしまうのか
恐怖で支配したり、過度な叱責をしたりという教室マルトリートメントが生まれる背景には、「教員側の不安や焦り」があると川上さんは言います。
「力で押さえつけるタイプの先生がどんな場面で強い圧をかけるかを考えた時に、クラスが思い通りにならない時や自分の想定する枠組みから外れた時に焦って出るのだと気付きました。『同僚や保護者から良い指導をしていると思われたい』といった外からの評価を過度に気にしたり、自分の中にある教師の理想像に達したいといった気持ちが特に強いと、予定調和でない状況で焦ってしまうのです」
一方、こうした不安や焦りは教員個人の問題ではなく、「むしろ学校現場を取り巻くシステムや構造にこそ問題がある」と川上さんは強調します。
「今の学校現場は、学力向上やいじめ対策、安定した学級運営など、教育委員会や社会から求められる『最優先事項』がどんどん積み上がり業務の負担は増える一方です。新たな要請は増え続けるのに、過去の要請は一向に見直されない。その上教員間のサポートが弱ければ、孤立し追い詰められた末、力でコントロールしなければという考えに傾いてしまうのです」
“安全基地”は教員にこそ必要
教室マルトリートメントを防ぐためにはどうしたら良いのでしょうか。
川上さんは、それぞれの立場でできることがあると話します。
「教員という仕事は常に不安と隣り合わせ。誰にも“教室マルトリートメント予備軍”とも言える側面があると思います。個人のレベルでは、まずそれを意識することです。例えば、『今日はよく頑張ってたね』というと、『普段はやってないよね』という見方をしていることが子どもには伝わるわけです。こういう言葉かけひとつに、子どもを傷つけかねないマルトリートメント性が潜んでいると知ってほしい」
「学校レベルで言うと、職員室の雰囲気が前向きであることがすごく重要です。若手の先生がミスをした時、それを責めるのではなく明日の活力になるよう背中を押してくれるか。対話できる環境にあるか。温かい組織風土は、教員を孤立させることなく、結果として教室マルトリートメントを予防する最大の鍵になると私は思います」
子どもたちにとって学校が“安全基地”であるためには、「教員にとっても安全基地となる存在がいなければいけない」と川上さんは考えます。
「働き方を含め、現場で子どもたちと直接向き合っている教員たちの意見が大切にされず、教育政策に反映されていない現状があります。文部科学省や教育行政による上意下達の連鎖が、教室マルトリートメントを生み出しているのではないかとすら感じています。学校教育に関わる誰もがそこに何らかの加担をしているという意識に立ち、教室が少しでも心地よい風に包まれる場になるよう、真剣な議論のきっかけになることを望みます」
教員個人の日常に目を向けると、威圧的な同僚が身近にいたり、勤務先の学校が日々の悩みを相談できる環境になかったりする場合もあります。そうした時はどうしたら良いのでしょうか。
「『あの先生の指導法はおかしい』と違和感を抱ける自分にまずは自信を持ち、その指導を反面教師のように捉えるのも一つの方法です。そして、子どもから信頼され笑顔も多い別の先生にそのコツを聞いたり、校外で開かれる研究会に顔を出し仲間を探したりと、自分なりの居場所を見つけてほしいです」
(取材・文=國崎万智@machiruda0702/ハフポスト日本版)