耳が聴こえないミカヅキユミさん。小学2年生の頃、日記に書いた「きこえない」という表現を先生に訂正されてしまい、違和感を覚えます。
価値観を押し付けてくる大人の「黒い手」のようなものを幼いながらに感じていたユミさんですが、自分も親になり「黒い手」を持ってしまったことを感じるようにーー。
そんな体験を描いた漫画が、Twitter上で話題になっています。
作者は、2児の母であり聴覚障害のあるイラストレーター、ミカヅキユミ( @mikazuki_yumi )さん。4月2日に投稿した『子どものころ見えていた「黒い手」の話』には、2万1千件を超える「いいね」がつき、話題になりました。
■「考え続ける」という名の余白を持っていたい
ミカヅキユミさんは幼い頃、文章を書く訓練として日記を書いていました。ある日、耳が「きこえない」 という表現をしたユミさんに、先生は「きこえにくい」と書くよう訂正します。
自分しか分からない「きこえ具合」を他人に訂正されたことに衝撃を受けたユミさん。それは違うと感じ、直さないことを決めます。次第に先生から訂正が入ることはなくなりましたが、価値観を押し付けてくる大人の「黒い手」に悩まされます。
大人になって聴こえない友人に昔の話をすると、「それはおかしい!」と怒ってくれたり共感してもらったりして、「あの時の感情は間違ってなかったんだ」と救われた気持ちになります。
「黒い手を持つ大人にはなりたくない」と思っていたユミさんですが、子育てをしていく中で自分も黒い手を持ってしまったことを感じます。
大人は子どもと並んだときに意識せずとも権力を持つことができてしまう...。大人の私だからできることはなんだろう。
ユミさんは「『考え続ける』という名の余白を持っておきたい」と感じたそうです。
※以下に漫画の一部と作者との一問一答が続きます。
漫画のフルバージョンはミカヅキユミさんのTwitterから。
■ミカヅキユミさんとの一問一答
ハフポスト日本版は、この作品を投稿したミカヅキユミさんに取材をしました。以下は一問一答です。
ーーなぜ、このエピソードを漫画にしようと思ったのでしょうか?
漫画にしようと思った理由はたくさんあります。
ろう者である私は「聴こえるほうがよい」という聴者の感覚が大前提の社会で、日ごろから生きにくさを感じています。 聴者とろう者という構図ですと、聴者は意識せずともろう者に対して権力を持ててしまうように思います。
子どもと大人。 聴こえない人(ろう者)と聴こえる人(聴者)。 社会的に立場が強いとみなされるのはいつも後者です。 「聴こえない子ども」と「聴こえる大人」という構図は、それが二重になっているということを訴えたいと思いました。
一方で、我々ろう者はマイノリティの立場ですが、だからといって「異なるタイプのマイノリティの生きにくさ」に対して同じように想いを馳せられるか?と聞かれたら「いいえ」です。 自分と異なるタイプのマイノリティの存在には気づきにくいように思います。教えてもらわないとわからないのです。
そういったこともふまえて、一度俯瞰してみて、多くの方に「意識せずとも持てる権力」を身近なこととしてイメージしやすいような漫画を描けたらいいなと思っていました。 大人と子どもの関係性についても少し共通点を感じており、いろいろな場面に置き換えて、みんなで一緒に考えられたらいいな、と思いながら描きました。
ーー幼い頃、先生に「きこえ具合」を指摘された時の気持ちを教えてください。
私にとっては自分を「きこえない」と表現するのは当たり前で、ごく自然なことなのに、それを「きこえにくい」と訂正してしまったら、もうそれは「私」ではないな、と思いました。
ーーもし幼い頃に戻れるとしたら、昔の自分になんと言ってあげたいですか?
「“きこえない”を貫いてくれてありがとう」と言いたいです。
ーー「考え続ける」という名の余白を持つために普段意識していることがあれば教えてください。
物事を判断するときに、いったん立ち止まって振り返り、自分のものさしだけで捉えていないか?と意識するよう、心がけていきたいです。
ーー漫画には2万1千件を超える「いいね」が付くなど大きな反響が寄せられていますが、どのように感じていらっしゃいますか?
多くの方に読んでいただけて、嬉しく思っております。
ーー読者から多くの共感の声が寄せられていますが、何かメッセージがあれば一言お願いします。
ろう者と聴者や子どもと大人だけではなく、生徒と先生、部下と上司など、「意識せずとも持てる権力」はあちこちに存在します。 自分の持っている権力を自覚してもらえたらと思います。“権力”は使いようによって、良くも悪くも作用するものだと思っています。