日本の言論空間で大いに注目された彼らがいま、勢いを失っている。
2019年に始まった逃亡犯条例反対デモから、2020年の国家安全維持法の施行にかけ、連日のようにメディアに登場し続けてきた香港民主派のことだ。
流暢な日本語と豊富なサブカル知識を駆使し、日本へ支持を呼びかけた周庭(アグネス・チョウ)さんを覚えている方も多いだろう。世論も民主派支持に傾いた。
ところが、日本で活動する香港民主派はその数をどんどん減らしている......そんな報告をあちこちで耳にするようになった。
国家安全維持法が契機となり、活動を自粛せざるを得なくなったことだけが原因ではない。彼らはどんな思いで人数不足の現実と向き合い、何をしようとしているのか。現場を歩いた。
■今は勝てない。いつか変えるために
「香港戦線記録の制作は中止となります」。
2022年1月2日、ある同人誌制作チームが活動終了を告げた。
「HKsleepwalker(夢遊病者病棟)」。スリープウォーカーとは「夢遊病者」を指す。香港民主派の間で流行った隠語「夢を見る」に由来している。その意味は「反政府デモに参加する」。大っぴらにデモ参加を公言できない人たちが好んで使った。
これまでに「香港戦線記録」「香港戦線記録II」という2冊の同人誌を発行した。香港デモで起きた出来事や象徴的な人物などについて、文章や漫画を交えて解説する内容だ。日本ではコミックマーケット(コミケ)で配られた。
なぜ制作を終えなければならないのか。日本在住のメンバーが、匿名を条件に取材に応じた。
待ち合わせの場所に現れたのは2人だった。いずれも日本で仕事に就き、流暢な日本語を操る。記事に使う仮名を聞くとそれぞれ「ジンオウガ叔父さん」「花の色」と名乗った。
2人によると、「戦線記録」は世界中に散らばったメンバーが協力して作ったという。その狙いは日本。幅広い年齢層の人が来場するコミケで、無料配布することにあった(ウェブでも無料でダウンロードできる)。
「お金を払って買うのではなくて、ただ知って欲しい。無料だと聞いてびっくりする人も多かったですね」と「ジンオウガ」さんは振り返る。
コミケで配ったのには別の目的もある。日本の国会図書館だ。国立国会図書館法は、国内で発行された全ての出版物の納本を義務付ける。この規定に着目したのだ。
「コミケに出せば国会図書館に入れることができる。(デモの)記録を、どこの国でいつまで残せるか分からない。ただ日本にはそのルートがある。だからやりました」(ジンオウガさん)
これまでに発行した「戦線記録」は2冊とも納本されている。
なぜここまでして記録を残そうと思ったのか。「ジンオウガ」さんが思い出すのは、日本の職場でのある体験だ。
「香港のことが日本でニュースになると、『香港大変ですね』って言われるじゃないですか。結構多いですよね。でも香港人にとっては重い話。軽々しく大変ですねと言われるより、本当に知ってから言って欲しいんです」
しかし結局、「戦線記録」の制作は幕を閉じることになった。活動できるメンバーが減少したからだ。
もっとも多い時で世界中に100人以上の協力者がいた。しかし今は1/4にも満たないという。「人がいないと何もできない」と「花の色」さんはため息をつく。
なぜ減ったのか。複雑な背景が絡みあっている。
「一番は国家安全維持法です。この法律が施行されてから、すぐにめちゃめちゃ人減りました。ちょっと制作を手伝うだけでも違法じゃないですか。だからすぐに減りました」(ジンオウガさん)
国安法をめぐっては、何が具体的に違法となるのか分かりづらいという批判があった。加えて第38条には、香港外にいる、全ての人も対象とすると読み取れる内容がある。
「花の色」さんは他の要因についても教えてくれた。デモが始まった2019年からの時間の経過だ。
「2年、3年と経つと生活が大きく変わる場合もあります。進学や就職で、みんな時間的にやりづらくなる。香港を諦めて移民を考え、そのために働いてお金を貯めるから、仕事後に制作作業をする余力がなくなった、というケースもあります」
実際、2人ともリスクを負っている。完全匿名の活動ではあるが、香港へ帰る予定は立てない。「帰れないか、帰らないかのどっちかですね」と「花の色」さんは困ったように笑った。
今後は規模を縮小しながら活動を続ける方針だ。2人はもう、香港で民主派が「勝利」するイメージは描けないという。それでも日本からの抵抗を止めるつもりはない。
「日本人のみんなが忘れてほかのニュースに注目しても、どこかの大学生が急に研究で香港のことを調べないと、となった時に『戦線記録』に辿り着くかもしれない。そしたら、現場の人が書いた記録を直接見られるんです。(香港が)変わったことは仕方ない。だから、変わるために記録を残すんです」(ジンオウガさん)
これからの活動で何を目指すのか。最後の質問に、「花の色」さんは短く、一言で答えた。
「種を残す」。
■「努力が報われない」
2021年10月31日。衆議院議員選挙の投開票日だ。
多くの日本人が選挙の結果にそわそわするこの日に、香港の民主化を目指す団体「Stand With HK(スタンド・ウィズ・ホンコン)」は都内の雑居ビルの一室で活動に勤しんでいた。
壇上に立つのはウィリアム・リーさん。顔と名前を明らかにしながら活動する数少ない香港人だ。国家安全維持法が施行されてから、多くの社会活動家が逮捕されるなどしてきたことを日本語で紹介していた。
真っ黒な覆面を身につけた在日香港人と交流する時間も設けられた。香港人の一人は筆者に「一国二制度が約束された50年で、中国の方が香港のように民主的な社会に変わると思っていた。甘い夢を見ていた」などと打ち明けた。
日本では、複数の香港人団体が民主派への支持を拡大しようと活動している(ちなみに、前述のHKsleepwalkerとStand With HKの間に関係はない)。なかでもウィリアムさんらは、デモや記者会見などに積極的に参加し、メディアに登場する機会も多い。
年が明けて2022年の2月4日。北京冬季オリンピックの開会式だ。港区の公園では、新疆ウイグル自治区や香港などの人権問題について訴えるデモの準備が進んでいた。
数えてみると参加者は50人を超える。「光復香港 時代革命(香港を取り戻せ 時代革命だ)」と黒地に白色で書かれたお馴染みの旗の下に、ウィリアムさんの姿を見つけた。
結構な人数が集まりましたね、と水を向けると、返ってきた答えは意外なものだった。「香港関係では5人......ですね」。
ウィリアムさんの所属する団体でも進むメンバーの減少。その理由はどこにあるのか。後日、別の場所で会って話を聞いた。
ウィリアムさんによると、主だった活動に参加するメンバーは「半分以下」になったという。最大の理由は国家安全維持法だ。だがそれ以外にも原因はある。その一つとして、HKsleepwalkerと同じく、ライフステージの変化を挙げた。
「(デモが始まった)2019年にいた香港人留学生は、卒業して就職するなかで、どうしても日本に滞在することを優先せざるを得ません。すると、活動を続けてもいいのか、とか、新生活が安定するまで休もうという波が出てきます。たとえ匿名であっても、やる以上は危険を伴いますから」
Stand With HKには、ウィリアムさんと並んで、顔を出しながら活動する男性メンバーがいた。しかし彼も2月中旬で活動を休止した。日本国内で就職するからだ。
もう一つ、ウィリアムさんが言及したのはモチベーションの低下だ。
「この2年間、ずっと活動していても、日本で目立つような成果はありませんでした。強いて言えば(ウイグルや香港での人権状況に懸念を示す)国会決議が通ったくらいです。長い時間をかけても努力が報われない。モチベーションが下がっていく感じはします。みんな口には出しませんが...」
日本の香港人たちが残した成果は少なくない。例えば超党派議員連盟のJPAC(対中政策に関する国会議員連盟)は香港デモがきっかけで生まれたし、ウィリアムさんも2020年9月、国連人権理事会でスピーチする機会を得た。
それでも「法改正や法整備は他の国と比べて遅れている」とウィリアムさん。「もし僕がネイサン・ロー(※)のように学歴や政治経験があれば、もうちょっとできたかもしれませんね」と俯いた。
(※)ネイサン・ロー:羅冠聡。香港の民主活動家で、周庭さんらも所属した「デモシスト」(解散)の元主席。元立法会議員で、現在はイギリスに亡命中。
ウィリアムさんたちは今、作戦を切り替えようとしている。
政治的な主張をストレートに唱え、民主派への支持を獲得する路線から、香港そのものを意識してもらう方向へ舵を切ったのだ。
「短期決戦は無くなりました」とウィリアムさん。すぐにはかつての自由な香港を取り戻せない、という現実を受け入れての決断だった。
「政治のような硬いテーマの交流会には、元々香港や中国に関心のある人しか来ませんでした。もちろん来てくれた人たちには本当に感謝しています。ただこれからは香港人も工夫をしないと。芸能でもゲームでも漫画でもいい。人々の興味が溢れている分野に参加していく」
文化面から香港ファンを増やしていく、そしてその人たちがいつか香港を支えてくれる。そんな気の遠くなるような取り組みだ。
「自分は誰で、何をしている人なのか、アピールをしないといけないですね。私は香港人であり、中国人でも台湾人でもありませんとか、自己紹介に組み込みたいです。どんなに政治と離れてもいい。だけど『香港』の二文字を日本人の視野に入れたいと思うんです」
■政治を動かせなかった。でも無駄じゃない
街頭やメディアに出て活動しながら、支持を呼びかけた香港民主派たち。彼らの目的は、世論がうねりとなって日本の政治の世界へ伝わり、やがて中国政府に外圧をかけることにあった。
彼らが目指した未来は、今のところ訪れていない。民主派としての活動に従事する人も減っていった。
しかし、決して無意味ではなかった。そう主張する人がいる。
日本と香港の両方にルーツを持つ伯川星矢(はくがわ・せいや)さんだ。ライターとして活動しながらも、自ら民主派の一員として最前線に身を投じてきた。2020年夏、旧知の周庭さんが国家安全維持法違反の疑いで逮捕された時には、顔と名前を明らかにして国会前でマイクを握った。
「表立った活動もほぼありませんし、やはり人は減っています」と伯川さん。一方で、必ずしもネガティブな現象だとは捉えていない。
「今は次のステージに移っています。香港から日本にやってくる人が定住でき、地域の社会に馴染めるかどうか、というステージです。(デモなどの活動では)残念ながら日本社会を変えられなかった。その中で現実を見ないといけない。建設的なシフトだと思うんです」
目立った成果もないままに、何年も社会運動を続けることは難しい。それよりも、日本という新たな土地に融けこんで生活していく。在日香港人のコミュニティでも、定住支援のためにお互い助け合う動きが活発になっているという。
「もちろんデモなどの活動や意思表示は大事です。今後また、香港人が集まって声を上げる可能性も十分にあるでしょう」と伯川さん。 政府や国会は動かせず、活動も下火になった。一方で、それが残した成果を肌身で感じることも多いと話す。
「『香港人はこんな大変な境遇にあるんだ』という意識だとか、日本に来たら優しく接してあげるとか。そんな考えが一般の日本人の間で芽生えていると感じます。友人が地方へ旅行に行った時、旅館の人と話したら、デモのことを覚えていてくれたそうです。自分の国ではない香港の出来事を覚えてもらう、というのは大変なことです。確かに、日本政府は動かせなかった。でも日本人の心に残れたというのは......地道な活動でしか達成できないことだと思うんです」
「香港にはこんな言葉がありまして」と伯川さんはおもむろにペンを握る。筆者のノートに書き残したのは「遍地開花」という言葉だ。
「デモでよく使われていた言葉です。一つの大きな運動が広く伝わり、あちこちで開花する。日本(の報道)では周庭たちがメインとなりましたが、今は彼女たちが動けなくても勝手に花が開いています。下火、という言葉がありますが、確かに大きな火は燃え尽きた。でも、小さな火を(心に)持って帰る日本人もいた。ある意味、開花はできたのかな」
国家安全維持法があるため、日本人であっても民主派の運動に加わることはリスクを生じさせかねない。気にし続けてもらうことが大事、と伯川さんは訴えた。取材の終わりぎわ、少し考え込んだ後、しみじみとした様子で、一言付け加えた。
「もう、本当に、何一つ無駄はなかったんじゃないかな。そう思います」
数年前、日本のネット空間で毎日のように話題となった香港民主派。国家安全維持法やライフステージの変化、それに成果への焦りなどが今、彼らを岐路に立たせている。
いつかくる未来のためにせめて種を残す者、作戦を変えながらも活動を続ける者、成果を見出し次のステージへ移る者。日本社会の関心はうつろいでいく。誰もが「それは仕方のないこと」と受け入れた。トップニュースからは消えた。だが、三者三様の戦いが、まだ続いている。