【このエッセイは、新型コロナウイルスの感染が拡大してから2年経った今、生活にどんな変化があったかを人々が綴ったハフポストのグローバル特集「コロナ禍で私は」の1つです。これはハフポストイギリス版に掲載された記事を翻訳したものです】
葬儀が専門の仕事をしている以上、私にとって喪失感とは当たり前にあるものでした。
パンデミックになってからはそれが一変し、私も人として変わってしまったような感覚があります。
母が亡くなったのは2013年。親友でもある存在を失ったことは、私自身や仕事に大きな影響を与えました。
私の子ども時代は決して輝かしいものではありませんでした。学校では悪さばかりをし、人種差別的な暴力に遭ってからはギャング活動に加わったこともありました。そんな時でも母は私のことを見捨てず、きっと何かできることがあると信じ続けてくれました。その後、27歳で大学へ行き人生を変えるきっかけとなりました。
ソーシャルワーカーになってからは、ギャングの仲裁や、ロンドンのタワーハムレッツ地区で脆弱な立場に置かれている若者たちの支援活動に取り組みました。12年後にはその団体を辞め、2013年からは「13 Rivers Trust」という慈善団体に加わり、イスラム葬儀の基金の活動や、黒人やアジア人など人種マイノリティ当事者による終末期患者の支援をしています。
家族と死別してしまった若者や、身寄りがない終末期の高齢者たちを支援することを目的としていますが、このような活動の背景には団体メンバーたちの親の存在があります。バングラデシュからイギリスへ移住し、言語など様々な壁があったにも関わらず、現地と母国両方の家族や友達を支え続けてきてくれた姿が、私たちに大きな影響を与えています。
新型コロナウイルスの感染拡大は、かつてない困難と直面することになりました。イスラム葬儀の基金では葬式現場の手伝いもするようになり、死亡者数のピーク時には152人の埋葬を行いました。
それまでは1年でおよそ30人の埋葬に立ち合っていましたが、パンデミックになってからは1ヶ月で同じ数字に達していました。
1日で8人を埋葬する日もありました。
当時、葬儀の問い合わせがあらゆる方向から押し寄せられていました。コロナの感染拡大が始まったころ、イギリスではイスラム教徒の新型コロナ感染による死亡者がたくさん出ていました。
その頃は人との接触も厳しく制限されていました。感染が分かって入院した後、子どもと二度と会うことがないまま亡くなった男性もいました。
埋葬地には私たちを含む数名のみが立ち入りが許可されていたため、いられなかった人のためにジャナーザ(イスラム葬儀の礼拝)をFacebookでライブ中継せざるを得ませんでした。
辛かったです。私は楽観的で情のある人間ですが、こうした仕事を続けていると図太さも芽生えます。死と毎日立ち向かうためには、そうあらなければならないのかもしれません。
これまで仕事後の時間は、家族と過ごし、ストレスを笑い飛ばす時にしていました。しかし、喪失感に追われる日々は私の一部を削り取ってしまったようでした。家へ帰ってもシャワーを浴びてすぐベッドへ向かう。涙が止まらない日もありました。50歳の男性が号泣している姿を想像してみてください。遺体を埋める毎日に消耗されてしまっていたのです。
コロナになる前、「イギリスで近年最悪の災害」と呼ばれるグレンフェル・タワー火災でも他の人の支援に徹し、自分の感情を堪えていたのを憶えています。
火災が発生した14日未明はラマダンだったので、私を含む多くのイスラム教徒が起きていて、同僚たちと素早く支援に動くことができました。ある意味「第一対応者」になったのです。当時、被害者やその家族の多くはイスラム教徒でした。
2020年4月にはコロナで亡くなるイスラム教徒が急増加し、ロンドンで埋葬地が足りない状況に陥ったため、サフ埋葬を始めなければなりませんでした。
サフ埋葬では、一つの土地に10に区分けされた墓を作ることができ、亡くなられた方の尊厳を損なわない配置で埋葬します。当時、イスラム葬儀は6日から10日間待たなければならず、サフ埋葬によってそれを改善することができました。家族の埋葬を待たなければいけない. でも辛いのに、それをするために遺族が奔走する事はあってはならないのです。
この頃に出会った、家族の死を悲しむ方々から聞いた話を忘れられません。夫を亡くし、葬儀の費用に悩まされていた4児の母。父親がイギリスでコロナによって亡くなり、葬儀へ行くことができなかったサウジアラビアの学生。入信後、葬儀の手伝いをする人がいなかった男性ーー。
私たちの取り組みは亡くなった方々や葬式に止まりません。不安定な環境で生きる人たちの支援も行っており、2020年11月から2021年6月の間、7665もの食事を困っている方々へ届けることができました。
幸いにも、この仕事を通して末期患者の方々と深い友情を築くことができています。私たちの活動の一つ「Eden Care」では週に一度「友達を作ろう会」を開いていて、実際そこで出会った方が心から友人と呼べる存在です。
会で出会った人の願いを叶えるのも活動の一部です。行きたい場所があれば外出の計画を立てる。仲直りをしたい人がいれば仲介に入る。何かの催しをしたければ手伝えますし、イスラム教徒の方の多くはジャナーザを望まれるので、それも私たちが行います。
もちろん、コロナによって願い事の叶え方にも工夫が必要になりました。お見舞いや人を対面で人を集めるのが難しくなってしまったので、「友人を作ろう」会も電話で行われ、イスラム教徒だけでない全ての人に開かれたものになりました。イギリス全土、世界全体が危機にある中、誰一人とも孤立させたくないという思いがありました。
これら全ての状況は私にとって試練でもあり、死者へ敬意を払うというライフラインでもあったと感じています。自分が強くなっていく感じもします。母の死、グレンフェルのこと、失った友人や家族、コロナの犠牲者と、多くの喪失感を経験してきました。
なので私は子どもたちにこう言うのです。「『白のガンダルフ』になったのだよ」、と。
聞き手:ファイマ・バカル