津田梅子は「一生懸命頑張って、もがきながら進んだ人物」。ドラマで演じた広瀬すずさんが語る

3月5日に放送されるスペシャルドラマ『津田梅子〜お札になった留学生〜』。広瀬さんは「こういう女性が、“日本の女性の意識を変える先頭“にいたんだなと思うと、偉大さを感じます」とコメントしています。
左から津田梅子(津田塾大学所蔵)と広瀬すずさん
左から津田梅子(津田塾大学所蔵)と広瀬すずさん
時事通信社

2024年に発行される新五千円札の「顔」となる津田梅子。そんな彼女の青春を描いたスペシャルドラマ『津田梅子〜お札になった留学生〜』が3月5日午後9時からテレビ朝日系で放送される。津田梅子を俳優の広瀬すずさんが演じる。

■津田梅子の生涯

津田梅子は1864年、江戸に生まれた。父親は農学者の津田仙。

1871年、父・仙の勧めで欧米視察を目的とした「岩倉使節団」とともにアメリカに渡った。この時、梅子はわずか6歳で、北海道開拓使が募集した日本最初の女子留学生5人の中で最年少だった。

梅子はワシントン近郊のジョージタウンに住むランマン夫妻の家に預けられ、1873年にはキリスト教の洗礼を受けた。梅子は現地の初等・中等教育を受けて成長し、1882年11月に帰国した。

帰国後、梅子は伊藤博文の夫人と娘の家庭教師を務め、その後も伊藤の紹介で華族女学校の教授を務めた。その中で自分自身の学校をつくる夢を持ち続け、再びアメリカ留学を決意。アメリカのブリンマー大学で生物学を学んだ。在学中には、自分のあとに続く日本女性のための奨学金制度も設立した。

帰国後は華族女学校教授に復帰し、その後、女子高等師範学校の教授も兼任した。1898年6月にはにアメリカ・コロラド州で開催された万国婦人クラブ大会に日本代表として参加し、講演を行った。8月にはヘレン・ケラー と会見し、その後もイギリスやアメリカを訪れ、ナイチンゲールを訪問するなど多くの活動に取り組んだ。

1900年に辞職した梅子はついに「女子英学塾」(後の津田塾大学)を創設した。梅子は開校式で学生の個性に応じた少人数教育の必要性などについて語ったという。

■主演は広瀬すずさん

スペシャルドラマで津田梅子を演じるのは俳優の広瀬すずさん。広瀬さんは津田梅子について「女子教育のパイオニアといわれる素晴らしい人ですが、でも目立つタイプではなく、ただひたすら一生懸命頑張って、もがきながら進んだ人物。こういう女性が、“日本の女性の意識を変える先頭”にいたんだなと思うと、偉大さを感じます」と語っている

ドラマではアメリカ留学から帰国した 17 歳から、アメリカに再び留学する 25 歳までの梅子をメインに描く。長い間持ち続けていた夢、揺れる恋心、そして仲間との友情など知られていない梅子の側面が見られるという。

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