「日雇労働者がリハーサルし、フリーターが本番をやっている」
2021年から22年にかけての年末年始、困窮者のための相談会や炊き出しの現場で、何度もこの言葉を思い出した。
冷たい風が吹きすさぶ中、もう数ヶ月も野宿していたという若者。夜はとにかく寒いので、朝5時に開くファストフード店が命綱だと語った人。すべての身分証を失い、携帯も止まった人。所持金がゼロ円の人。お金も住まいもなく、極寒の大晦日の夜、歩き続けて死ぬ方法ばかり考えたという女性。
年末年始、そんな人たちに大勢、出会った。そんな中、冒頭の言葉が何度も頭に浮かんだのだ。
この言葉は、1980年代から野宿者問題に関わっている生田武志さんが「フリーター≒ニート≒ホームレス ポスト工業化日本社会の若年労働・家族・ジェンダー」という原稿で書いていたものである。原稿が掲載されたのは、『フリーターズフリー』01号。2007年に出版されているから、今からもう15年も前だ。しかし、この「予言」は今、最悪の形で的中してしまった。
この言葉の説明をする前に、年末年始、私がいた現場のことを書いておこう。
コロナ禍2年目の年の瀬から年明けにかけて、私は以下の現場にいた。
12月25、26日 女性による女性のための相談会 新宿区立大久保公園
12月29日 越年 渋谷・美竹公園
12月30日 年越し大人食堂 四谷・聖イグナチオ教会
12月31日、1月1日 コロナ被害相談村 新宿区立大久保公園
1月2日 横浜・寿町の炊き出し
1月3日 年越し大人食堂 四谷・聖イグナチオ教会
1月8日 女性による女性のための相談会 新宿区立大久保公園
このうち、「女性による女性のための相談会」「大人食堂」「コロナ被害相談村」では相談員として入り、生活相談を受けたのち、必要であれば役所の窓口に同行するなどした。また、役所が開いてからは、生活保護申請や面談などに同行している。
それにしても、寒波が押し寄せた年末年始は凄まじい寒さだった。そんな中、各地の炊き出しや相談会には昨年を上回る人々が参加した。
12月25、26日の「女性による女性のための相談会」に寄せられた相談は、2日間で約170件。世代は10代から80代まで。これまで2回開催されたのだが、どちらも2日間で120件ほど。極寒の野外というこれまででもっとも厳しい条件だったのにこれまでを上回る人が来てくれたのは、状況がそれだけ深刻ということなのだろう。実際、長期の失業や減収だけでなく、携帯やライフラインも停止しているなど緊急性が高い相談も少なくなかった。一方、DVや離婚の問題や親の介護などの相談もあった。
また、前回の21年元旦と1月3日に開催された大人食堂には2日間で588人が訪れたのだが、今回の大人食堂には、2日間で685人が訪れた。その中には、友人同士で参加した若い女性や、子連れの母親の姿もあった。
一方、新宿・大久保公園で開催された「年越し支援・コロナ被害相談村」には前回の年末年始、3日間で344人が訪れたのだが、今回は大晦日と元旦の2日間で418人が訪れた。
ちなみに、この相談村、08年のリーマンショックを受けて開催された「年越し派遣村」のメンバーらが中心となっているのだが、当時と今のもっとも大きな違いは女性の多さだ。
08〜09年の年越し派遣村に来たのは6日間で505人。うち女性は5人だけ(1%)。が、20年から21年にかけては344人のうち、女性は62人(18%)。そうして今回、418人中、女性は89人(21%)だった。
男女を合わせた世代別でいうと、もっとも多いのが50代で94件、ついで60代90件、その次が40代で80件。
年末年始の相談会に来た中には、すでに住まいを失っている人も多くいた。
そんな人たちを極寒の路上から暖かい部屋に案内するのも相談会の大きな役割だ。前回に続き、今回も住まいのない人のため、東京都が年末年始、ホテルを開放。が、ホテルだけ提供されても現金がまったくなければ飢えてしまう。また、1月5日の朝にはチェックアウトだ。そのような事情から、ある程度現金があり、5日以降の行き場が決まっているなどしてホテル提供だけを希望する人はそのルートに案内。一方、すでに現金も尽きている人は、30日、31日と窓口を開けていた豊島区で生活保護申請、その日からホテル泊となった。このような形で、真冬の路上生活から抜け出せた人が多くいた。
例えば大晦日にコロナ被害相談村に来た30代の男性は、都内のターミナル駅での野宿生活がすでに半年にもなっていた。所持金は10円。ポスティングなどの仕事をしていたが、財布を落とし、身分証をすべて失ってからは働くこともできず炊き出しで食い繋いでいたという。彼に同行して臨時に開設されていた豊島区で生活保護申請。その日からホテルに入れることになり、貸付金も受けられてほっと胸を撫で下ろした。年が明けて1月5日には役所の面談に同行し、この後1ヶ月ホテルに宿泊しながらアパート転宅を目指す方向が確認された。出会った時には無表情で無口だった彼は、5日の面談が終わる頃には笑顔も見せるようになっていたのがとにかく嬉しかった。
他にも、保険証も住民票もない男性や、日雇い派遣で働いてきたもののコロナで仕事がなくなり、所持金も尽きた男性などに同行して役所に行った。住まいを失った女性もいた。同行支援に至らないケースでも、この年末年始、多くの人の相談に耳を傾けた。
残金は電子マネーの20円だけという人。「ポイ活」でなんとかやりくりしている人も少なくなかった。ポイントを効率的に貯めて生活費の足しにする方法だ。また、スマホのゲームで勝てば1000円もらえるなどがあるらしく、電子マネーのために必死にゲームを攻略しようとする残金わずかの人もいた。なんだかリアルな「イカゲーム」を見ているような感覚に襲われた。
炊き出しに並ぶ中にはスマホ片手の身綺麗な若者もいれば、極寒の中、コートがなく、薄いシャツ姿の人も何人かいたし、歯の痛みを訴える人もいた。何日も食べていないのか足元がおぼつかず、その場にいた医師が駆け寄った女性もいた。
毎日毎日そんな光景を見ながら、冒頭に書いた生田さんの言葉を思い出していた。「日雇労働者がリハーサルし、フリーターが本番をやっている」という言葉。非正規という言葉がまだ一般的でなかった15年前のこの言葉を今風に言えば、「日雇労働者がリハーサルをし、非正規が本番をやっている」というものになるだろう
極寒の中、長く続く炊き出しの行列などを見るたびに、政治に対する猛烈な怒りが湧き上がった。このような光景を作ることに大いに加担した政治家たちは、彼ら彼女らの苦境を見ることなどなく、年末年始、暖かい部屋で優雅に過ごしているのだろう。そんな人たちに、「これがあなたたちが望んだ光景か」と突きつけたい思いがした。
それでは、「日雇労働者がリハーサルし、フリーターが本番をやっている」とはどういうことか。
80年代から野宿者の現場に関わる生田さんは、その変化を書く。
例えば「ある時期まで日本における野宿者はほぼすべてが日雇労働者だった」。その中には、不況や病気などの理由で野宿になる人も多く存在したが、その総数は日本全体でも1000人を超える程度だったはずと指摘する。
それが変わったのはバブル崩壊以降。数千人の日雇労働者が一気に野宿を始めた。そうして90年代後半から、「日雇労働者=野宿者」のパターンが崩れ始める。2000年台になると、日雇労働を経験していない人たちが野宿者の過半数を占めるようになる。前職は板前、自衛官、会社員、会社社長、教師などさまざまだ。この時期から女性野宿も目立つようなり、「ほとんどあらゆる階層の人が野宿者になりうるという時代がやってきた」。
以下、生田さんの原稿の引用だ。
〈こうした野宿者問題の変化の中で、ぼくは二〇〇〇年から「フリーターは他業種の日雇労働者である」「そうである以上、将来フリーターの一部は野宿生活化する」と思うようになった。釜ヶ崎を除く全国の寄せ場の事実上の衰退、消滅という事実について考えていて、この点に気づいた。釜ヶ崎がそうであるような「地域」としての寄せ場が衰退するのと同時に、アルバイト情報誌と携帯電話を軸にした「寄せ場」化が進行し、それによってあらゆる職域、地域が「日雇労働市場」化していくだろうということだ。それによって「不安定就労から野宿へ」という社会問題の主役が、現在の日雇労働者から、やがてフリーターなどの若年層へと移っていくだろう。それは、思いついてみれば、なぜ今まで気づかなかったのか不思議なほど当たり前の話だった。いわば、「日雇労働者がリハーサルをし、フリーターが本番をやっている」、あるいは「日雇労働者を中心とした野宿者がリハーサルをし、フリーター層が本番に臨もうとしている」ということである〉
その流れを決定づけたものとして生田さんが指摘するのがやはり86年施行の労働者派遣法だ。それまで「寄せ場」以外では禁止だった労働者派遣がこうして広がり、99年に改正され、04年には製造業にまで解禁されたのだから、こうなることはわかっていたではないか。
今や非正規は4割となり、コロナ以前から都内だけで「ネットカフェ難民」4000人という現実を作り出していた。そこに直撃したコロナ禍で、多くの不安定層は野宿者化し、その崖っぷちでギリギリ持ちこたえている層も炊き出しに並ぶようになったのが現在地だ。
生田さんが原稿で警鐘を鳴らしたのは07年。私は06年から貧困問題に関わるようになったが、「ネットカフェ難民」という言葉がない当時から、すでに「都市が寄せ場化」し、家なき若いホームレスがネットカフェで寝泊まりしながら携帯で日雇い派遣の会社に登録して働いている、「都市がモザイク状にスラム化しつつある」という話は語られていた。
が、当時のフリーターはまだ若く、その家族にも支える余力があった。だからこそ、問題は表面化していなかった。
しかし今、40代、50代になった非正規層は、ひっそりと、しかし雪崩をうつようにして野宿者化を始めている。コロナが「トドメの一撃」になった形だ。そしてコロナ禍で路上生活となった人々がこの2年間、「4日間、何も口にしていない、助けてください」「住むところがなく野宿です」などと支援団体にメールしてくる。携帯が止まっているため、フリーWi-Fiをなんとか探して。
20年3月に結成された「新型コロナ災害緊急アクション」では、もうそんなメールを1000件ほど受けてきた。メールをしてくる人ほとんどが、「頼れる人」が誰もいない状態だ。じわじわとこの国が貧しくなる中、親も兄弟も、家族を助ける余力を失っている。企業が働く人を守ろうとしなくなってからも、随分長い時間が経った。家族福祉と企業福祉が急速に衰退した結果、こうして人々が路上に追い出されている。
そんな現実を思うたびに、生田さんや反貧困の活動をする人々の警鐘を無視し続け、当人たちに「自己責任」と言い放って放置してきたこの国の政治に、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを感じるのだ。
いったん決壊してしまうと、もう決して元には戻らない。コロナ禍で、その決壊は訪れてしまった。
そんな年の瀬、世界の超富裕層1%が、世界全体の個人資産の約4割を独占していることが報じられた。
そうして年明け第二週の1月8日、9日に開催された「女性による女性のための相談会」には、2日合わせて213件の相談が寄せられた。
相談会1日目の8日、代々木の焼肉屋で立てこもり事件が起き、28歳の男性が逮捕された。男性は2週間前に長崎県から上京したものの野宿生活となっており、知り合いの路上生活者に「刑務所に行けば食事も寝るところもタダだ」と話していたという。捕まる前に焼肉を食べたかったという男性は、警察の調べに対し「生きている意味が見出せず、死にたかった」「最近あった電車内の事件みたいにしたかった」と話しているという。
グロステクな格差社会は、誰かの自暴自棄の果ての暴発のような事件に常に怯えなくてはならない社会だ。
この社会は、取り返しのつかないところまで来てしまっている。それなのに、現政権からは、弱い立場に置かれている人の命を守ろうという姿勢はまったくといっていいほど、見えてこない。
(2022年1月12日の雨宮処凛がゆく!掲載記事『第580回:怒涛の年末年始〜「日雇労働者がリハーサルをし、フリーターが本番をする」〈生田武志氏〉という言葉がとうとう現実に。の巻(雨宮処凛)』より転載)