自由の国アメリカで性別「X」のパスポート発行が出遅れた理由

カナダ、ドイツ、デンマークなど、世界で少なくとも15カ国が多様な性自認を認めるパスポートをすでに発行している。一方、アメリカがそれらの国に後れをとったのはなぜか。ライアン・ゴールドスティン弁護士が解説します。
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golibtolibov via Getty Images/iStockphoto

アメリカ国務省は2021年10月、LGBTQ等、性的マイノリティの多様な性自認に対応したパスポートを発行した。性別欄にはこれまで男性M、女性Fのいずれかが記載されていたが、性別を女性・男性どちらでもないと認識するノンバイナリーなどの場合は「X」と記載される。 

このパスポートの実現には、私の周囲でも喜びの声が聞かれた。

振り返れば、私たちは人種や性別等、様々な差別を乗り越えてきた。私が幼い頃に人種差別的な発言をした大人を「時代遅れだ」と感じたように、今は性自認や性的指向を理由に差別することが時代遅れなのである。

大学の教員をしている私の友人は講義の初日、「He、She、They(ノンバイナリーなど「X」にあたる代名詞)のいずれの呼び方があなたにふさわしいか」と学生に確認するというし、高校生の我が子は「見た目で性別を決めつけてはいけない。本人に呼び方を事前に確認して」という。

これまでの古い定義は捨て去るべきだと多くの人が気づいているのではないだろうか。

合衆国であるアメリカ特有の事情

カナダ、ドイツ、デンマークなど、世界で少なくとも15カ国が多様な性自認を認めるパスポートをすでに発行している。一方、自由の国であるアメリカがそれらの国に後れをとったのはなぜだろう。

そこには、合衆国であるアメリカ特有の事情がある。

一つは大統領の権限の強さである。2021年6月バイデン大統領はジェシカ・スターンをLGBTQ+の人権を促進するための特別特使に任命した。このポストはオバマ政権に設けられたが、トランプ政権では不在となった。

そして、複数の法律の存在も影響している。例えば、憲法で守られている権利も州法によってその権利の範囲を狭められることもあるからだ。

例えば、前回取り上げた中絶問題はわかりやすい例だろう。

合衆国憲法では中絶の権利は認められているのにもかかわらず、テキサス州が州法によって妊娠6週目以降の中絶を禁止するとした「ハートビート(心臓音)法」である。

また、こうした事態が度々起きるのは、憲法が定めている宗教の自由も影響している。言わずと知れた多民族国家であるアメリカには様々な宗教が存在し、妊娠中絶のみならず、性の多様性や性自認を認めない信仰もあるからだ。

大統領令もどこ吹く風。アメリカ最悪の年なるか

アメリカの性的マイノリティは結婚や雇用機会等、様々な場面でその権利を奪われてきた。こうした中で、2015年には最高裁が同性婚を合法と判断、2020年には性的マイノリティを理由に解雇するのは違法であるとした。そして、今回の性別「X」のパスポート発行に至った。

バイデン大統領は就任初日に性差別禁止に関する大統領令に署名し、性自認や性的指向に関係なく法の下に平等な扱いを受けるべきと公言していることから、良い風が吹いているように感じるが、残念ながら現実は違う方向へ進んでいる。

反LGBT法、つまり性的マイノリティの人々に不利益をもたらす法案が全国の州議会に提出されているのである。一説にはその数は250にも及び、すでに8法案が制定されている。反LGBT法15法案が制定された最悪の年と言われる2015年に迫る勢いである。 

法律で市民の感情を動かす

このように大統領令に署名した国家的な取り組みであっても、様々な価値観が存在するアメリカが変化するのは簡単なことではない。

バイデン政権もアフガン問題やコロナ禍対応等、問題は山積している状況で、果たしてこの問題を任期中に良い方向へ導いていけるのかは心配なところである。

だからといって、道が拓けないわけではない。すでに150超の企業が反LGBT法に反対を表明し、アメリカ経済に悪影響を与えると主張している。

そして、法律家である私は様々な法律の存在を逆手にとって革新的な州が性差別禁止を推進する法律を成立させ、市民の感情を動かすこともできると信じている。

アメリカの哲学者、ジョン・デューイは「完全な民主主義は市民、専門家、政治家らの緊密なコミュニケーションによってなされる万全な世論(Public opinion)も不可欠である」とした。

こうした議論の積み重ねによって「(男か女か)性別を問う必要がある」という考え方も刷新され、私たちに新しい価値観をもたらすと期待している。

(文:ライアン・ゴールドスティン)

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