知佳(ちか、仮名)が中学に上がると、毎日のように通っていた習いごとの場で、若手コーチから無視や体型をやゆされるなどのいじめに遭うようになった。「このまま続けてもプロは望めない」という諦めも重なり、中学2年の途中でやめた。
共通の趣味を持つ友達はクラスにいない。父は仕事に、母は認知症の祖父母の介護にかかりきりだった。
漠然とした孤独の中で過ごす日々。知佳はネットの世界に没頭するようになった。ありのままの自分を肯定し、受け止めてくれたのは10歳近く年上の塾の男性講師だった。
「全面的に信頼できるお兄さん」。そう思っていた。
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性的な行為を目的に、子どもを手なずける「グルーミング」。性犯罪に関する刑法改正を議論する法務省の法制審議会で、諮問項目の一つに上がった。
加害者は子どもや親から信頼を得ていくため、子ども自身が被害を認識しづらい上、周囲の大人も気づきにくい特徴がある。
どのような手口で子どもに近づき、性的行為に至るのか。被害を防ぐために身近な大人にできることは何か。被害者や専門家に取材した。
(※この記事には、性暴力の描写が含まれています)
「唯一の理解者」
知佳が学習塾に通い始めたのは中学3年(当時14歳)の春。「人生の全て」だった習いごとを失い、心にぽっかりと穴があいていた。
コーチからのいじめに苦しんだとき、母は「辛いならやめたらいいじゃない」と突き放した。3歳で始めて10年以上、プロになることも見据えて努力してきたため葛藤があった。親に求めていた共感は、得られなかった。
孤独を感じていた頃、塾で男性講師と出会う。明るく冗談が得意で、教えるのも上手く生徒たちから人気だった。
夏期講習が始まり、日中に授業が終わる日が増えた。同級生たちと教室に残って談笑していると、その講師は「時間あるんだったら宿題とか見るよ」と生徒たちを自宅に誘った。
最初は、知佳を入れて3人の女子生徒で行った。講師は優しく勉強を見てくれただけでなく、知佳たちの私的な悩みを聞いてくれた。同級生の体に残る自傷の痕を見ると、「大変だったね」「そうするしかなかったんだよね」と寄り添い、全てを肯定した。
夢を諦めた。親は自分の気持ちを分かってくれず、気の合う友達もいない。地方から抜け出したい――。
そんな知佳の訴えにも講師は耳を傾け、受け止めてくれた。
「話をちゃんと聞いてくれて、気持ちを分かってくれる大人がこの世にいたんだということがうれしかった」
知佳にとって、「唯一の理解者」のように感じられた。
頭が真っ白に。自分を責めた
それから数回、同級生と一緒に講師の自宅に行っては、勉強を教わったり、相談に乗ってもらったりした。楽しく、安らげる時間だった。
ある日、いつものように講師宅を訪れた。その日は知佳の他に誰も来なかった。勉強をしていると突然体を触られ、キスされた。知佳は頭が真っ白になり、動けなくなった。
「大丈夫、大丈夫」「好きだからこういうことするんだよ」
講師はなだめるように言った。知佳は突然の事態に混乱し、何も言えなかった。
性行為の後、知佳は恐怖と不安に襲われた。「付き合うということなんですか」と尋ねると、講師は「そういうことだよ」と答えた。「大人と対等に話ができて、他の生徒とは違う。君はすごく特別なんだよ」
これは恋愛なんだ。交際しているから、性的なことをするのは「普通」なんだ。
知佳は自分にそう言い聞かせた。
講師と性的な関係を持ってから間もなく、知佳は眠れなくなり、朝学校に行こうとするとパニックで発作を起こすようになった。心療内科に通うようになり、抗うつ剤などを服用しながらなんとか登校した。
講師とデートに出かけることはほとんどない。会う時は自宅やカラオケボックスなどの密室に呼び出され、毎回のように性行為の求めに応じた。関係は、講師が転居するまで数年間続いた。
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「家に行った自分が悪いんだ」
知佳は自分を責め続けた。講師との関係だけではない。大人になってからも、仕事や人間関係がうまくいかない時は「自己責任だ」と考える思考が染みついていた。
転機は2018年。教師からの性暴力を実名で告発した女性が「恋愛と思い込まされていた」と訴える記事を読んだ時、自分の体験とあまりに似ていると感じた。「抑えていた記憶のふたが開いた感じでした」。あれは性暴力だったと、はっきり気づいた。
被害当時のフラッシュバックを起こすようになり、再び心療内科にかかるようになった。性被害を自覚したことによる苦しみはあっても、知佳は「悪いのは加害者」だと分かったことで救われたと明かす。
「子どもの頃に植え付けられた理由の分からない罪悪感や恥から、完璧に抜け出すことはできません。今も感情の揺り戻しはあります。それでも、『自分は悪くなかった』という事実が絶対的なものになったので、視界が開けて生きるのが少し楽になりました」
「見えない檻」に囚われる
子どもへの性的なグルーミングとは、「ターゲットを絞り込んで接近手段を確保し、被害者を孤立させ、被害者からの信頼を得てその関係性をコントロールし、隠蔽する」行為と言われる。
目白大専任講師で公認心理師の齋藤梓さん(被害者心理学)によると、グルーミングは子どもとの関係別で、
1)リアルで近しい人からのグルーミング(教師、コーチ、養護施設やNPOの職員、親戚、親の恋人など)
2)それほど近しくない人からのグルーミング(公園や公共施設で声をかけてきた人など)
3)オンライン・グルーミング(SNSなどネットを通じて知り合った人)
の三つに分類できるという。
グルーミングの過程で、子どもはどのような心理状況に置かれるのか。
齋藤さんは「加害者は、子どもの『大人に認められたい、褒められてうれしい』という気持ちを利用しやすい」と指摘する。
「加害者は、悩みを抱えていて孤立させやすい子どもを選んで近づくことが多いです。『他の人には君の気持ちはわからないかもしれないね。でも自分は同じ経験があって理解できるよ』というように、自らに依存させるよう優しく声がけをします。子どもの欲しがる言葉を与え、徐々に信頼を勝ち得て最終的に性的行為に及びます。子どもの尊敬や信頼する心をうまく利用するんです」
子どもたちは性暴力にあっても、被害を受けたと気づきにくい。なぜか。グルーミングの段階で、子どもたちは「見えない檻に囚われている」からだと齋藤さんは言う。
「年齢が幼い場合はそもそも性に関する知識や経験がありません。さらに、子どもにとって加害者は自分を認め、理解してくれる大切な存在です。悩みを受け止めてくれる人を失ってしまう、裏切ってはいけない、この人が自分に悪いことをするわけがない。子どもはそう思い込んでいるので、性的な接触に恐怖や嫌悪感があっても、それが性暴力だと認識することは難しいです」
だまされるのは、子どもだけではない。
「狙う時は家族ごと。加害者が教師や塾の先生、習いごとのコーチなどの場合、保護者をはじめ周囲からも信頼を集めるタイプであることが多いです。大人の信頼も得ているので、加害者が子どもと2人きりになっても親は疑わなくなります」(齋藤さん)
加害者から子どもが「2人だけの秘密だよ」と口止めされたり、「他の人に知られたら大変なことになる」と脅されたりすることもあるという。
子どもたちには「防ぎようがない」
被害を受けた子どもは、「自分の価値がなくなった感じがする」「全てどうでもよくなった」などと訴え、死にたいと思う自殺念慮や不眠の症状が出ることも多いと齋藤さんは話す。
性被害につながるグルーミングから、子どもたちを守るにはどうすれば良いのか。
齋藤さんは、「親切にしてくれる背景に性的な目的があるかないかを子どもが見極めるのはほぼ不可能。子どもたちには防ぎようがないのです」と強調する。その上で、「特別な理由がなければ一対一の状況を作らない、不必要な身体接触はさせないなど、大人が警戒することが必要です」と訴える。
「子どもに優しく接し、相談に乗ること自体はもちろん悪いことではありません。ですが、性的行為を目的に子どもに徐々に近づく手法があるということがより多くの人に知られ、その手段が適切に罰せられてほしいと思います。大人と子どもという対等ではない関係での性的行為に同意は成り立たないという前提のもと、加害者からの暴力がなく子どもが『同意』したかのように見える場合にも、グルーミングによる手なずけがあったかもしれないと身近な大人が疑うことが欠かせません」(齋藤さん)
地位や関係性を利用した子どもへの性暴力。現在の刑法では犯罪の成立要件が被害の実態に見合わず、加害者が適切に処罰されない問題が指摘されている。
性的行為の前段階であるグルーミング行為についても、処罰する法律は日本にない。
一方、海外では規定を設けている事例もある。ドイツ刑法は、ネット上のチャットなどを利用して児童に性的行為をするようはたらきかける行為を処罰すると規定している。2020年の刑法改正で、おとり捜査のように相手が大人の場合も処罰の対象となった。
※参考:『性犯罪規定の比較法研究』(樋口亮介・深町晋也 編著、成文堂)
日本の法制審では今後、グルーミングの処罰規定を新設するかについても話し合われる予定だ。
法改正は「被害者の回復にも必要」
「女性はいくらでも嘘をつける」
女性への性犯罪に絡み、自民党の杉田水脈議員がそう発言したことを受け、緊急で開かれた2020年10月のフラワーデモの集会。知佳のメッセージを、登壇者が読み上げた。
<被害について声を上げている人々は、本当なら人に話したくもない辛い経験について、『これから同じような被害が繰り返される社会であってはならない』という思いを何とか伝えているのです。ウソをつく余裕なんてどこにもありません>
フラワーデモへの参加のほか、SNSやブログでも自らの被害などについて匿名で発信を続けている知佳。刑法改正に、どんなことを望むのか。
「グルーミング行為や地位・関係性を利用した性暴力は、やり口の巧妙さから被害を訴え出ることが難しく、(統計に数えられない)暗数がとても大きいと思います。それらをきちんと処罰できる犯罪類型が刑法で作られることは、被害の実態を明らかにする後押しになるのではないでしょうか」
「日本社会で、関係性を悪用した性暴力は正当に裁かれるという前提ができること自体が、被害者の心の回復に欠かせません」
時効の問題もある。強制性交等罪の公訴時効は10年、強制わいせつ罪は7年で、期間の短さが指摘されてきた。知佳自身、被害を受けてからそれが性暴力だったと認識するまでに15年かかった。
海外では、性暴力の被害者が成人するまで時効を停止する国もある。イギリスは性犯罪について公訴時効がない。
知佳は「子ども時代の被害は、それを認識するのに時間がかかります。少なくとも起算点をずらすなど、時効を見直してほしい」と訴えている。
<子どもの性被害に関する相談窓口>
子どもの人権110番 0120-007-110(午前8時半〜午後5時15分、月曜〜金曜)
チャイルドライン 0120-99-7777(午後4時〜午後9時)
(國崎万智@machiruda0702/ハフポスト日本版)