アメリカ大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手側に政府が国民栄誉賞の授与を打診したところ、辞退の申し出があったことが明らかになりました。
その理由について、松野博一官房長官は大谷選手側から「まだ早いので今回は辞退させていただきたい」との返事があったと記者会見で報告しました。
「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えることを目的」に表彰される同賞。授与を辞退したのは、大谷選手が初めてではありません。
過去にはどんな人たちが、どのような理由で辞退したのでしょうか?振り返ります。
福本豊さん「立ち小便もできへんようになる」
阪急ブレーブスで活躍し、「世界の盗塁王」と呼ばれた福本豊さん。1983年に当時ルー・ブロックが保持していた世界記録を抜く通算939盗塁を達成しました。その際、当時の中曽根康弘首相から国民栄誉賞を打診されていますが、「そんなんもろうたら、立ち小便もできへんようになる」と固辞し、この名言は大きな話題になりました。
福本さんはその後のインタビューに、「マージャンやパチンコ、たばこもする。国民の見本にならんでしょ。自分の行動に自信を持てないからもらえませんと話したが、最後の雑談が出てしまった」と当時の真意を明かしています。
イチローさん「もらう立場にない」
イチローさんはこれまでに3度、国民栄誉賞の授与を断っています。
2001年には、8年連続で首位打者になったことを称えて授与が検討されましたが、イチローさんは「自分は大リーグに入ったばかりでまだ発展途上だ」などとして辞退しました。
その後もさらなる活躍を見せ、84年ぶりに大リーグのシーズン最多安打記録を塗り替えるなどして2004年に再び同賞の授与を打診されましたが、これも辞退しました。
NHKニュースによると、当時イチローさんは「国民栄誉賞は日本国民として最高の賞と考えており、大変光栄である。ただ、自分としてはまだまだこれからやらなければいけないことがあり、プレーを続けている間はもらう立場にはないと思う」などとするコメントを発表しています。
3回目の辞退は2019年。現役引退に伴い、政府側が同賞授与を打診しましたが、イチローさんは「人生の幕を下ろしたときにいただけるように励みます」などとして断ったといいます。
古関裕而さん、遺族が辞退
NHKの連続テレビ小説「エール」の主人公のモデルとしても知られる、作曲家の古関裕而さん。夏の甲子園の大会歌『栄冠は君に輝く』や、1964年の東京オリンピック開会式の入場行進曲『オリンピック・マーチ』を作曲しました。
古関さんは1989年に80歳で亡くなりました。NHKニュースによると、古関さんが亡くなった後、遺族に対し古関さんへの国民栄誉賞授与の打診がされたものの、遺族は「亡くなったあとに授与することに意味があるのか」と疑問を持ったため辞退を決めました。