Twitterで連載中のマンガ『初恋、ざらり』が話題だ。2021年11月19日現在、76話まで更新。3月30日にアップされた1話目は、1.1万件の「いいね」を集め、作者のアカウントは10万フォロワーを超える。
物語の主人公は、軽度知的障害と自閉症のある25歳の女性。作者のざく ざくろさんも発達障害(ADHDと自閉症スペクトラム)と診断されており、自身や周囲の友人の経験を作品に反映している。
そんなざく ざくろさんが描き出すのは、障害者にも健常者にもなりきれない人間の生きざまだ。作品の根底にある「普通を求める社会」はざく ざくろさんの目にどう映るのか、話を聞いた。
『初恋、ざらり』のあらすじ
主人公の中戸有紗は、一見すると障害があるようには見えないものの、身の回りのことをうまくこなせない、物が立体的に見えず体をぶつけてしまう、暗黙の了解がわからないなどのハンディを抱えている。障害を隠してアルバイトを転々とするが、ミスが多い、人間関係がうまくいかないといった理由ですぐにクビになってしまう。
有紗はそんな自分に強い劣等感を抱き、男性から体の関係を求められるたびに応じることで、なんとか自分の価値を確かめようとしていた。だが、新しいアルバイト先で出会った岡村の優しさに触れ、心境が変化していく。
紆余曲折を経て恋人同士となった有紗と岡村。しかし、お互いを思い合う気持ちがあるにもかかわらず、二人の恋愛にはさまざまな壁が立ちはだかる。
どれだけ頑張っても“普通”になれない苦しさ
「みんなが簡単にできることができない」。そのために自分には価値がないと思い込んでいる有紗。“普通”に憧れ、日々努力を重ねているが、どうしても周りの人と同じようには振る舞えない。
有紗の場合は障害があるが、障害のないいわゆる定型発達の人であっても、世間に求められる“普通” になれない人は大勢いる。にもかかわらず、世間は人々に「普通であること」を強く求め、そこから外れた人は時に責められ、嘲笑される。
みんなが“普通”の基準に振り落とされないようにしがみつき、周囲に合わせることに必死で、「個性を大切に」だなんて言っていられる余裕もない。そんな現代社会においてもなお、多くの人が“普通”の幻想を大事に守っているのはなぜだろうか。
ざく ざくろさんは「日本には、暗黙の了解と和を重んじる文化がある。和を大事にする人にとって、和を乱す“普通じゃない人”は、自分たちが築き上げてきたものを壊す存在。だから、怖くて排除しようとするんだと思います」と指摘する。
有紗はひたむきさや素直さなど、たくさんの魅力を持つ人物だ。だが、そんな魅力も、あまりに高い“普通”の基準の前ではなかったことにされてしまう。
こうした現象は、現実の社会でもよく見られる。有紗は、自分や周りに“普通”を強いるあまりに大事なものが見えなくなっていることを、私たちに気付かせてくれる存在なのかもしれない。
「世界で二人だけだったらいいのに」
岡村と有紗の関係もまた、私たちに気付きを与えてくれる。
付き合ったばかりの頃は有紗の障害に気付かず、ただただ「頼りなくておとぼけなのが可愛い」と思っていた岡村。そんな彼に障害のことをなかなか話せずにいた有紗だが、岡村の愛に満たされていることを実感できた次の日、ふとした瞬間にカミングアウトする。
岡村は突然のことに動揺するが、「好きだから一緒にいたい」という一心で障害について学び、少しずつ受け入れていく。有紗も岡村の気持ちに応えようと、苦手な家事に取り組むなど努力し、お互いに歩み寄って関係を深めていく。
幸せな日々を送る二人。障害の有無など関係なく、二人の世界はお互いを想いあう温かな愛情だけで完結しているように見える。
しかし、それぞれの家族や職場の人間関係など社会に一歩出た瞬間、岡村はどうしても有紗の障害について意識せざるを得なくなる。有紗もまた「彼女に障害があるなんてきっと嫌なはず。普通にならなければ」と気負ってしまう。
象徴的なのが、岡村が有紗を自身の親に紹介する場面だ。可愛らしい有紗を両親は一目で気に入ったが、有紗は自身の障害を隠して紹介されていることに、後ろめたいような悲しいような気持ちを抱く。
そんな思いに耐え切れず、岡村の母に障害のことを打ち明けた有紗。返ってきた言葉は「子供に遺伝とか…」というものだった。
このシーンについて、ざく ざくろさんは「お母さんは孫のことしか頭になくて、突然のことに動揺してしまっただけ。傷つける意図はなかったんです」と説明する。ざく ざくろさん自身は「もし自分がこんなことを言われたら傷つくし、そういうリアクションが大多数だと思っていました」というが、読者からは「お母さんの反応は普通」「ごめんね、言ってくれてありがとうね、と言えるお母さんは優しい」という声も少なくなかったそうだ。
なぜ、好き同士なだけではダメなのか。お互いが相手にふさわしい、相手の人生に責任を持てると周囲に納得してもらえなければ、ずっと一緒にいたいというシンプルな願いすら叶わないのか――。そんな思いで胸が苦しくなった人も多いはずだ。
ここで描かれているのは、障害者が抱える恋愛のハードルだけではない。恋愛と結婚の違い、本人たちの意志だけで関係を貫くことが難しい現代社会のしがらみなど、多くの人が直面する人生の課題を示唆している。だからこそ、読者からの反響も大きかったのだろう。
ちなみに、この後に起こるある事件がきっかけで、有紗と岡村の関係は思いもよらぬ方向に進んでしまう。ぜひ、二人の行く末を見守ってほしい。
シングルや障害児のいる家庭の「子育て」の難しさ
有紗と実母の関係を描いた場面も印象的だ。有紗の母はシングルマザー。障害のある有紗をたったひとりで育てた。
大人になった有紗への母の態度は決して温かいものとはいえず、身の回りのことを自力でできない彼女をひとりで家に放っておいたり、「彼氏と住むから村岡さん(母は岡村の名前を間違ったまま覚えている)と住めば?」と追い出したりする。一見すると、「障害のある娘を邪険に扱うひどい母親」にも見える。
しかし、ざく ざくろさんは「お母さんはすごく苦労してきたんです。有紗について『愛情不足だからそんな風になってるんじゃないの』とか『子どもがかわいそう』とか言われたり」と語る。
有紗と母の関係や、有紗の支援学級時代の仲間である友ちゃんの描写には、シングル家庭で育った友人や、障害のある子どもを育てているお母さんなど、ざく ざくろさんの身近な人物のエピソードを反映しているという。
「シングル家庭の子がお母さんに『あんたなんか産まなきゃよかった』って言われた話とか、障害のある子を育てるお母さんが『小さいときは本当に寝てくれなくて自分も限界で、殺してしまおうかと思うくらいだった』って言っていたこととか…。私自身も障害児で、幼少期は毎日癇癪を起こしていたので、母はしんどかったやろうなぁと思います。だから、母への償いも込めて『シングル家庭や障害がある子の子育てって本当に大変なんやぞ』というのを描きたかった」
「母親には母性本能があり、自分のことを差し置いて子どもに尽くせるのが当然」という母性神話はいまだに根強い。しかし、有紗の母の振る舞いは、母親も意思や感情を持ったひとりの人間であることを思い出させてくれる。
“母性”に過度な期待を寄せ、母親ひとりに育児の責任を負わせるグロテスクさ、「社会全体で子どもを育てていく」という理想には程遠い現状について、否応なく考えさせられた読者も少なくないだろう。
「初恋、ざらり」が多くの人の心に響く理由とは
『初恋、ざらり』では、差別意識、劣等感、優越感といった人間の複雑な感情が丁寧に描かれている。登場人物の一人ひとりが、まるで実在しているように生々しい感情を持って動いているのが特徴だ。
「私がこれまで出会った誰かの記憶をもとに、それぞれのキャラクターの感情を妄想して描いています。作品を読んだ方に『あ、この感情知ってる』『これ私や』ってなってもらえるように、本当の心を探し続けるんです。
気を付けているのは、綺麗事でまとめようとしないこと。編集さんからの『心をよく観察して、実感のあるところを探せ』という言葉に従って、人間が無意識レベルで抱く感情を観察し続けています」と語るざく ざくろさん。
綺麗事でまとめずリアルさを追求しているからこそ、多面的な魅力があり、読む人によって感情移入するキャラクターも、面白いと感じるシーンも違う『初恋、ざらり』。自分ならどの立場に共感するか、ぜひ実際に読んで確かめてほしい。
『初恋、ざらり』(縦スクロール版)