市民が持つスマホは時代を記録する。
銃声が鳴り響き、四方八方へと逃げまどう市民たち。カフェの店内で、頭を抱えた男性を治安部隊が警棒で殴る姿ーー。2021年2月のクーデター後、ミャンマー軍が市民の抗議活動を弾圧する光景は、多くの市民らによって撮影され、映像がSNS上で発信された。しかし軍は、情報統制を強化。世界にミャンマーのリアルを伝えた映像の多くは削除されてしまった。
8月5日、ミャンマーに関するNHKスペシャルと連動した特設サイトがオープンした。サイト名は “What’s Happening in Myanmar?” 。サイトでは、NHKの取材班が収集した、ミャンマーで一般市民が撮影した多数の動画が公開されている。それらは、検証作業を経たものだけが、地図上にマッピングされたり、時系列で並べられたりするかたちで整理され、弾圧の実態を伝えている。
Nスペではこれまで2度にわたって、クーデター後のミャンマーを特集。市民が撮影した動画などから事実関係を検証し、弾圧の実態に迫ってきた。そして9月には新たに英語版のサイトも公開された。SNS時代に、テレビとウェブを連動させた報道が果たす役割とは何か。番組制作に携わったチーフ・プロデューサーの松島剛太さん、サイトの構築、運営を担当するディレクターの大海寛嗣さんに聞いた。
膨大なオープン情報から、ファクトを掘り起こす
4月と8月に放送したNスペでは、軍による弾圧の実態に迫るためオープン・ソースを積極的に活用した。「オープン・ソース・インテリジェンス(OSINT)」と呼ばれる、SNS上の投稿や衛星写真など誰もがアクセス可能なデータをもとにした調査手法で検証に挑んだ。この手法は世界の報道機関で近年、積極的に活用されるようになったものだ。松島さんは当初、SNS空間に飛び交う膨大な情報を前に、報道の新たな可能性を感じたと語る。
「3月ごろまでは、こちらから集めなくとも、日々、膨大な量の映像や写真がSNS上を飛び交っている状況でした。その情報を使えば、現地に入ることができない状況下でも検証ができるのではないか。それが、第1弾を制作したときの手応えでした」
4月放送の第1弾『緊迫ミャンマー 市民たちのデジタル・レジスタンス』で、この手法によって検証したのは、3月3日にマンダレーでの抗議デモに参加し後頭部を撃たれて亡くなった、19歳のエンジェルさんの死だった。被害の情報はSNSで拡散された一方で、軍は彼女の墓を掘り起こして検視を行ったとし、国営テレビを通じて「抗争を扇動する者たちが起こした謀略の可能がある」として、犯人はデモ隊の側にいると示唆した。
まず取材班が収集したSNS上の情報の中には、真偽が不明なものも大量に含まれている。証言などとも突き合わせて、確かなものだけをより分けるファクトチェックから、作業は始まった。
その結果、別々の場所で撮影された複数の動画を元に、デモの開始から彼女が撃たれたと思われる瞬間、そしてバイクに乗せられて運ばれていく過程まで全てをつなげ把握することができた。そして、武器についての検証や撮影者らの証言と合わせて、軍の主張とは異なる状況であることが浮かび上がった。
「メディアがこれまで担ってきた『記録し、告発する』という役割を、市民側が果たしている。これは時代の大きな転換点だと感じました」(松島さん)。
闇に葬られる時代の「記録」
一方で、3月後半に入った頃、状況は一変する。抗議の波がミャンマー全土へと広がる中、軍はインターネットの遮断など情報統制を強めていった。市民らの間でも、弾圧を恐れて自主的にアカウントを凍結したり、削除したりという動きが広まった。
松島さんは、そうした光景を前に危機感を抱いたという。
「それまで我々が記録し保存してきた映像の多くが、SNS上から消え去ってしまったんです。貴重な記録を留めておかなければ、市民が時代の目撃者となり、発信したものがなかったことになってしまう。この先、こちらから能動的に映像を集めなければ、全てが闇に葬られてしまうと感じました」
そして、NHKでは投稿フォームを設けて、番組第2弾と、映像をアーカイブするサイト制作のため、情報の提供を呼びかけることになった。
デジタル時代でも必要な「信頼」
しかし動き出した投稿フォームに、最初に寄せられたのはサイトの真偽を問う質問だった。
「ミャンマーの市民たちは、軍に拘束され処罰されることの怖さを身に染みて感じています。だからこそ『これは本当にNHKがやっているんですか』という問い合わせが多かった。ですから、我々が発信しているものが、本当にNHKがやっていて、情報を寄せていただくに足る存在であることを知っていただく必要があったんです」(松島さん)。
最初は在日ミャンマー人やその知り合いを辿り、コミュニティで信頼を得ている人に声をかけ、投稿フォームの安全性を理解してもらった上で、それぞれ口コミで発信をしてもらった。
大海さんらも、在日ミャンマー人が主催する抗議デモの会場や、東京・高田馬場にあるミャンマーレストランなどで、情報提供を呼びかける手作りのチラシを配ってまわったという。
そんな地道な行動が、徐々に信頼を獲得し、サイトを通じて情報を集めることにつながったのだという。デジタル時代にあっても、こうした基本的な作業は変わらない。そう2人は話す。
そうして集めた映像を元に、8月の第2弾の放送『混迷ミャンマー 軍弾圧の闇に迫る』の中では、市民82人が死亡したとされる4月9日のバゴーでの軍の攻撃について解明した。
原点は、被爆者の証言を集めた広島の経験
時代を記録し、後世に引き継ぐ。松島さんがその思いを形にしたのは、実は今回が初めてではなかった。原爆投下から57年目の2002年に携わったNスペ「原爆の絵」(2002年8月6日放送)では、NHK広島放送局と広島市が協力し、記憶を元にした、原爆投下直後を描いた絵を募集した。番組は、寄せられた絵に、証言や手記を加えて制作。記録はその後、平和記念資料館に寄贈され、書籍化もされた。
「私の世代は、まだ被爆者から直接お話を伺うことができます。しかし、まもなくその機会も得られなくなるでしょう。そこで、生の証言であったり、原爆の被害を手触りで感じられる何かを残す必要があるんじゃないかと考え、そのプロジェクトに取り組みました」
ミャンマー市民が撮影した映像を、アーカイブ化し公開するサイトを制作する。今回のプロジェクトも、本質は共通していると松島さんは語る。
「消えてしまう記録を残していく。後の検証に耐えられるものにしていくという作業の大切さ。それは、どんなことでも共通の部分だと思います。さらに、デジタル時代には検証されていない玉石混交の情報に接した人々が、その中から自分に都合のよいものをピックアップして意見を発信する傾向があり、結果として社会の分断が深まるという負の側面があります。そうした状況の中で、メディアは少なくとも正しい情報をきちんと提供するという役割を果たしていかなければなりません。これまで我々が叩き込まれ、訓練を積んできた、自分たちで裏をとって事実を積み重ねていくという作業は、ますます重要になる。その力を活かすこと、それが肝心だと思います」。
加えて、大海さんはサイトを通じ国際社会を動かすきっかけ作りにつなげていきたいと話す。
「ミャンマーの問題は、残念ながら日本に向けて発信しているだけでは事態の改善には向かわないでしょう。だからこそ、世界中の人たちに情報を発信するため、番組とウェブサイトとが連携して発信してく重要性は、より大きくなると感じています」。
取材班では9月に完成した英語版のサイトなどを通じてさらに動画や証言を集め、ミャンマーで今起きていることについて引き続き放送の機会を検討していく予定だという。