社会課題解決のため、政策を「起業」する時代が到来しています。
官僚や政治家だけでは解決できない複雑な政策課題に向き合い、課題の政策アジェンダ化に尽力し、その政策の実装に影響力を与える個人のことを「政策起業家」と呼びます。
しかし、日本の「政策起業家」の層はまだ厚いとは言えず、ノウハウも可視化・蓄積されていません。そのような課題に取り組むため、独立系シンクタンクである一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブは、政策起業に関するノウハウの可視化・蓄積を目指し、「政策起業の当事者によるケーススタディ」を行う新しい試み「PEPゼミ」を開始しました。
第6回のテーマは、「物流の標準化と政策起業」。物流業界は、私たちの生活にとって最も重要な社会インフラの一つですが、人材不足やEコマースの拡大による需要増等、大きな荒波に挑んでいます。日本はグローバルでルールを作るのは苦手と言われる中、企業の立場から業界・行政と協力しリーダーシップをとって推し進めるヤマトホールディングス(以下、ヤマト)の取り組みを特別顧問の木川眞さんに伺いました。
2021年8月5日開催「PEPゼミ」の内容よりその一部をお届けします。
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【政策起業 ケーススタディ・ファイル6】
物流の標準化と政策起業
木川眞 ヤマトホールディングス特別顧問
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今回は、木川さんがヤマトでの活動を通じて発揮してきた二つの「政策起業」に着目します。一つは、「フィジカルインターネット」のアジェンダ化、もう一つは「小口保冷配送の世界標準化」の取り組みです。
物流のガラパコス化を乗り越えるーーフィジカルインターネットとは?
「フィジカルインターネット」という言葉をご存知でしょうか。
インターネットは、通信ネットワークが世界共通の規格でオープン化されています。すなわち、パケットという箱にデータを入れて通信されていることで、どこの国にいても同じようにアクセスでき、効率的にデータが送られています。インターネットで実現されている標準化とオープン化による効率化と同様の改革を、フィジカルな世界――つまり、物理的な荷物を運ぶ領域でも実現しようという世界的な潮流が、フィジカルインターネットです。
日本における宅配便のパイオニアであり、代名詞的存在でもあるクロネコヤマト。ヤマトがなぜこの「フィジカルインターネット」に着目し、その推進を主導したのでしょうか。
物流はライフラインの一部として、私たちの生活の重要な地位を占めていますが、その一方で人口減少や高齢化に伴う労働力不足、Eコマースの拡大や多頻度小口輸送の拡大などの多くの課題にさらされています。
「日本には立派な鉄道網がありますが、国内貨物輸送の92%がトラック輸送です。さらにその担い手は中小のトラック輸送事業者に依存しています。さらに、消費者ニーズの変化に伴って物流の多頻度小口化が進み、トラックの積載率が4割程度にとどまるなど、現在非効率な状態となり、労働力不足の一因になっています。また、多発する自然災害やパンデミックの発生によるサプライチェーンの寸断といった問題も大きな影響を与えています」
政府はデータで物流を効率化するプロジェクトを主導していますが、中小企業が殆どを占める中、なかなかこのような取り組みに参加する事業者も少ない。だからこそ、データだけではなく、物流網を流れる容器・入れ物を標準化し、共通の容器を使ってリレーするような形で各社が協力し合っていく必要がある。
木川さんは、「フィジカルインターネット」の考え方で業界全体での生産性向上が実現できると話します。
例えば、カナダのケベックからアメリカのロサンゼルスまで、通常5000kmの距離の試算では、1人のドライバーではなくフィジカルインターネットのリレー形式で運送すると、ドライバーの休憩や宿泊の時間が不要となることから、トータルの所要時間を減らすことが出来るだけでなく、ドライバーも日帰りが可能になるという結果になりました。
大学の研究に端を発し、欧米では2040年までに標準化を目指すなど、非常に強いフィジカルインターネットのムーブメントが進んでいました。海外の物流の効率化が進む中、日本に入ってきた瞬間に規格がバラバラで非効率。フィジカルインターネットを実現すれば、物流業界全体の生産性が向上するだけではなく、究極的には走行距離やトラックの総台数を最小化し、CO2排出量など環境問題にも貢献が期待できます。「日本の物流産業をガラパゴス化させてはならない」という意志から、フィジカルインターネットを業界全体、そして国のアジェンダにするという政策起業が始まります。
研究所を設立、官民の研究会や発信を通じて「総合物流施策大綱」に載るまで
木川さんがフィジカルインターネットに注目した頃、政府・中央省庁をはじめとして日本国内ではその言葉・概念は、ほぼ全く知られていない状況でした。2016年に設立した一般社団法人ヤマトグループ総合研究所(以下、ヤマト総研)は、2019年にフィジカルインターネットの研究およびフィジカルインターネットの概念を日本国内に普及する活動を始めます。研究所を主体として発信を行い、関係者を糾合して議論を深めていくことで政府に取り上げてもらえるようアジェンダ・セッティングを行います。
実は、日本にはフィジカルインターネットのコンセプトに類似した先行事例があります。古くは16年前のヤマトと日通と西濃(※現在はヤマトグループおよび運送事業者14社に拡大)で共通して中ロットの荷物を共同輸送するというボックスチャーター事業、直近では、ビール4社での共同運送、食品会社5社による共同物流会社の設立、コンビニ大手3社による共同配送などの取り組みが実施されてきました。
「実は、探せば日本にも実装レベルのフィジカルインターネットの事例はあり、これを海外の研究者に紹介するとかなり驚いてくれます。日本には、海外の研究者に紹介できる事例がたくさんあると思います」
しかし、問題は、これらは部分最適に留まっていることでした。木川さんは「目指すべきは全体最適」と考え、業界やステークホルダー全体を巻き込んだ枠組みを重視しました。
「ヤマト総研はフィジカルインターネット研究を始めた後、日本でフィジカルインターネットの概念を普及させるため、アメリカとフランスの先駆的な大学と普及に向けた覚書を交わすとともに、国内でフィジカルインターネットの実現に向けた研究会を始めました。研究会には、国交省、経産省、農水省、そして政策投資銀行といった、ステークホルダーになりそうなプレイヤーを巻き込みました。
本来は国の審議会などで推進してもらうのがよいのだと思うけれど、まだそういう気運がなかったので、我々が主導権をとって開催した形です」
またメディアなどとも連携し、シンクタンク主催のイベントでこのテーマのパネルディスカッションを設定、香港から研究者を招いて議論を行うなど、啓発活動に努めます。ヤマト総研としても、フィジカルインターネットをテーマとしたシンポジウムを2回開催。木川さんは、「懇話会のような形で関心を持つ人たちを集わせる場を作りました。」と、シンポジウムの後の懇親会を活用し、賛同者のネットワークを広げることの重要性も説きます。
最終的に、国の大きな物流の戦略方向性を定める「総合物流施策大綱」において「フィジカルインターネット」の文言を盛り込むことに成功しました。
「今年度の物流政策大綱に初めてフィジカルインターネットという言葉を入れることができました。国も物流の標準化に向けて懇談会を開催するようになり、一民間企業である我々の旗振りから、国の大きなムーブメントに繋がったと感じています。ここからは国主導に切り替わって業界全体で進んでいくことを期待しています」
小口保冷輸送という日本発の取り組みを民間主導で国際標準化
フィジカルインターネットは、ヤマトが取り組んだ国内の政策起業事例です。これに加えて、日本発の取り組みを「世界で標準化」する事例について、ヤマト運輸株式会社社長室・戦略渉外担当執行役員の梅津克彦さんから紹介頂きました。
ヤマトの取扱荷物の1割を占める保冷配送の仕組み、「クール宅急便」。アジア市場でも徐々に同じような仕組みが普及しつつあった一方、展開先の国では漠然とした保冷配送へのニーズがあるのみで、品質について十分認知されていませんでした。実際、当時一部の事業者は保冷配送を品質が落ちる前提で捉えており、第三者基準での標準化を進める必要性を痛感、「クール宅急便」が培ってきたような高品質な保冷配送技術を世界に広げるために、標準化を進めることにしました。
国際認証機関で国際規格を作る
国際標準化のためにヤマトが行ったのは、国際規格であるISOの規格取得を目指すことです。2015年に取り組みを開始し、2017年に規格の発行元であるBSI(英国規格協会)がPAS1018(PAS = Publicly Available Specification, 公開仕様書) を発行し、コールドチェーンの国際標準であるISO23412が2020年5月に発行されました。実に、3年半に渡る活動でした。
この活動の難しい点は、公開仕様書を取得して以降の具体的なISO化に関わるISO審議委員会の活動は、ヤマトではなく政府が主導していく必要があるということです。ヤマトは、関係する国交省、経産省に働きかけを行い、両省庁と協力してこの取り組みを進めました。国交省の役割は各国の政府機関や業界団体への普及活動、及び外交的に東南アジアを中心とした物流政策対話とASEAN内研究会の招待。また、経産省ではISO化提案のために日本語の規格を精査。両省庁の協力を促し、これらを実現しました。とりわけ、この取り組みの影響力の拡大に資する肝となったのは、「TC315」という、ISOの策定審議委員会を新たに国内に設置したことでした。
「これは非常に国交省や経産省が英断して下さったところです。ISOは必ずテクニカルコミッティー(=TC)に帰属しないといけません。お相撲さんがどこかの部屋に所属しないといけないのと一緒です。これを、既存のコミッティに入るか、独自のコミッティを新たに作るかどうかは国が決定します」
ここで独自コミッティを立てたことで、日本はコールドチェーンロジスティクスの分野に関わる全ての標準化の議長国に。その後の欧米、中国による非接触型の標準化等の新しい取り組みもこのコミッティで議論できるなど、非常に大きな成果に繋がりました。
国際標準化の意味――標準化は規制ではなく市場創造
ISOの取得は、ヤマトのビジネスにとってどのような意味があるのでしょうか。
木川さんは、標準化を通じて消費者がより良いサービスを享受できる健全な市場を作り出す意義について、こう語ります。
「なぜやらなければならないと思ったかというと、日本で当たり前のクール宅急便と類似のサービスが中国でも広がり始めた時期だったことがあります。
折角品質のいいものを日本から中国に持っていっても、中国国内で運ぶのは中国の事業者なになるため、品質が劣化することが耐えられないという思いがありました。
もし、多少の品質劣化でもいいというのが中国の基準になったら…それがアジアの標準になり、ひいては世界標準になるかもしれない。
小口保冷輸送はヤマトが先駆者であり、シェアも高いので、社内では、今更そんな標準を作る必要があるのかとの意見もありました。
しかし、日本はモノづくりだけではなく、サービスでも差別化する、ルール・メイキングをするという点を絶対やっていかなければならないと思っています」
また、今回のゼミにゲスト参加した野村総合研究所の藤野直明・主席コンサルタントはこう指摘します。
「国際標準化の議論がなぜ重要なのかというと、政策的なオープンイノベーションであるからです。今回のヤマトさんの件は極めて偉業で、日本で国際標準化を戦略的に活用した例は極めて少なく、物流分野ではほぼありません。
標準化は「社会システムのアーキテクチャ設計」です。標準化を「規制」であるという人もいます。しかし、私はそれは間違いだと思っていて、標準化とは「市場創造」なのです。
ヤマトさんだけが世界の全ての物流を担うことは不可能ですから、ヤマトさんだけで小口保冷輸送を行うのではなく、標準化することで、他の事業者も巻き込んだ新しい市場が生まれます。レゴブロックを一個一個繋げられるようにすることで、新しい市場が生まれるだけでなく、ファイナンスの不確実性を下げ、技術投資も進み、オープンイノベーションが加速するのです」
実際、ヤマトはこの後、民間のフランスの輸送大手DPDと連携して、ISOを軸としたコンソーシアムの設立。ISOのブランドを持って事業を拡大・展開しています。
国際標準化主導の波及効果―次なる世界的テーマも蚊帳の「中」に
さらに、主体的に国際的なルール作りに入って存在感を発揮していくことは、ルールメーカーたちの輪の中にいるか、外にいるかを決めることでもあります。
「もう一つ大事なのは、今回の取り組みを通じて、日本のルール・メーカーとしての存在感を示し、その結果、ルール作りで圧倒的な存在感を示すヨーロッパからも、CO2のルールに関して検討メンバーへの誘いが来た、ということです。」木川さんは言います。
ヤマトは、今回の標準化で力になってくれたフランスの事業者の声がけで、コールドチェーンの次の大きな課題であるパリ協定を基準とした温室効果ガスの測定の標準化の議論を開始しました。
「CO2の領域における国際標準についてISOが出てくると、日本の事業者はそれに拘束されます。日本がそのルールづくりに参画することができれば、知らないところでルールが作られるということを回避出来るのです。だから、産官学で連携しながら日本がルールづくりに参加していかねばなりません」
小口保冷輸送の標準化は、日本が国際的なルール作りにより関与していく一つの土台となったのです。
「今日、これら事例を紹介したいと思ったのは、日本がグローバルなルール・メイキングで蚊帳の外だったからです。産官学で言うと学で、大学の方から研究として生まれ、実務の中で応用・実践される、という流れがEUでは、かなりのスピードで生まれています。
物流は日本の中で、ともするとガラパゴス的、独特なスタイルで作り上げられてしまっては世界で戦えない。それに対処するためには、本当は霞が関で戦略を組んでほしいが、総論賛成・各論反対となり、なかなかムーブメントを作りにくい。
着々と物流のグローバルな標準化が進む中で、自分たちが民間レベルで作れる標準化を作ってしまおうというのが6〜7年前に私の頭をよぎり、社内でプロジェクトを立ち上げたきっかけです。
このプロセスで重要なのは、ヤマトだけで行うのではなく他の事業者も巻き込みつつ、一方で省庁なども巻き込み本気で協議を行ったことです。
ISO化の方は、実現するまで3年半くらいで、予想したよりものすごく早く実現しました。これをやったことによって、日本基準でも国際基準が作れるということを示すことができました。国もこの成果を大事にして展開していこうとの姿勢に転換してくれ、国全体に波及するムーブメントができたのです」
国際的なルールづくりに弱く、モノづくりで勝ってもルール作りで負けてしまうと言われる日本。一民間企業が政策起業力を発揮し実現した今回の二つの事例は、多くの日本企業にとって重要な示唆を与えるものでした。