今や誰もが知る「宅急便」を発明したヤマト運輸は、イノベーションを起こし、成長を続ける企業としての顔だけでなく、社会の課題に積極的に向き合う姿勢でも知られる。そんな同社で社長・会長を歴任し、現在は同社特別顧問、そして一般社団法人ヤマトグループ総合研究所の理事長として、引き続き官民挙げての物流国際標準化に取り組んでいるのが木川眞さんだ。これまでどのように企業の舵を取り、また、業界全体を変えるルールメイキングという「政策起業」を手掛けてきたのだろうか。話を聞いた。
「変える役割」担う
木川さんがヤマト運輸に入社したのは2005年。当時メインバンクであった富士銀行(現:みずほ銀行)から転身し、2007年には代表取締役社長に就任した。銀行員として数多くの企業を見てきた木川さんにとって、ヤマトは社内の雰囲気と外から見たイメージとのギャップが少ない、珍しい企業だったという。それは他の多くの社員とも同じだった。
「理由は簡単で、社員も入社前からみんな、お客様だったということ。最初はユーザーだったから、ヤマトの良さを崩そうとは思わない」
ヤマトには長年受け継がれてきた思想があった。個人から個人へ荷物を送る「宅急便」という、当時としては画期的なサービスを始めたのは、二代目社長の小倉昌男氏。「サービスが先、利益が後」など数々の精神は、「小倉イズム」として社内のいたるところに根付いていた。
ただ、木川さんが入社したのはまさに会社の変革期だった。1976年からサービスを開始した宅急便も30年の区切りを迎え、競争も激しくなっていた。その中で、この成功事業をどのように転換していくか。木川さんも、当時の会長に「変えるのが君の仕事」と告げられ入社した。
「大企業を変えるのは難しい。成功体験に縛られてしまうと、思い切ったアクションがとりにくくなる。とりわけ、ヤマトのように小倉さんというカリスマが作ったものに手を加えることは、そう簡単にできることではない」
小倉イズムの良い部分を残しながら、いかに大きな変革を社内に起こすか。宅急便という成功体験に縛られずに、いかに社会的なインパクトを起こす企業へと舵を切るか。木川さんの変革の原点はそこにあった。
「変えることを恐れたら何もできない。しかし無視してしまえば、会社が壊れてしまう。非常に難しいかじ取りだったのは間違いない」
ヤマトを変革する
当時、市場は飽和状態となり、価格競争は激化していた。一方で、企業間や、企業から個人への小口・多頻度輸送のサービスはより必要とされ、海外にもスピーディに輸送したいというニーズも高まっていた。
ヤマトは2000年以降、宅急便の海外展開を進めていたが、木川さんは国内と国際の輸送をボーダレスにつなぎ、この収益を総売上高の20%まで成長させる目標を掲げた。そこで宅急便に続くイノベーションとして計画されたのが「バリュー・ネットワーキング」構想だった。
1400億円という大規模な投資によって、物流の中核拠点となる羽田クロノゲートを建設。厚木ゲートウェイ、ANAの沖縄国際物流ハブなども活用し、従来の荷物の中継や在庫保管方法を根本的に改め、人手も最少化しながら物流のスピード、コスト、品質を高めるという取り組みだった。
この構想を基にヤマトは、個人向けの国内宅急便の会社から、国際取引も含めた総合物流企業へと生まれ変わるという大規模な改革を継続・進化させ続けている。
社内変革としての政策起業 ―「プロジェクトG」
一方、「バリュー・ネットワーキング」構想と同時期に、木川さんが仕掛けていたのが、地域密着型の取り組み「プロジェクトG」だ。
日本に目を向けると、過疎化や高齢化は至る所で進んでいた。6万人超のセールスドライバー、20万人超の社員、そして日本各地の隅々まで拠点を持つヤマト。住民の最も近くでサービスを提供しているからこそ、地域の苦しみもよく理解していた。税収減で行政サービスの質が維持しづらくなり、民生委員のような地域福祉の担い手も減っている。社会インフラ企業として、これらの課題に向けて何をすべきか。木川さんは、地方自治体と協働し、地域の課題を解決するというコンセプトを打ち出した。
例えば、数が減る民生委員に代わってヤマトのセールスドライバーが行う「見守りりサービス」。バスに荷物を運んでもらうことで、人口減少による減便や廃線を防ぐとともに、宅急便のサービス向上や車両走行距離・CO2の削減にもつなげる「客貨混載」。ヤマトの本業である物流を通じて、社会課題を解決していくという方針に、社員の賛同も得られた。
「イノベーションや変革をする時に、IT・AI・DXといった先進技術を使いながら変えていくことばかりをやっていると、改革以前の領域での成長・良さをなくしてしまう。そして、目新しい変革ばかりを目指していては、これまで一生懸命に働いてヤマトを支えてきた本業に携わる社員たちを貶めるように響き、それは仕事の士気に関わる。車の両輪のように、両方を大事にすべきだと」
トップダウンで仕掛けた物流の大改革と、ボトムアップで上がってきた課題に取り組む地域密着。この2つのイノベーションを同時に行うことに意義がある。木川さんはそう強調した。
プロジェクトGから、東日本大震災での貢献へ
プロジェクトGを開始したのは2010年。それから間もなく発生した2011年の東日本大震災で、その精神は大きく世間に注目されることになった。
震災からわずか数日後、津波に襲われ、瓦礫だらけになった東北の沿岸部を、ヤマトのトラックが走っていた。被災地の社員たちが自主的に役所に出向き、救援物資の配送を始めたのだ。
それを知った本社は、現場の思いに応えようと全国からトラックと人員を集めて『救援物資輸送協力隊』を編成、物流企業のノウハウを生かした被災者支援に尽力した。さらに、翌2012年には、宅急便1個の取り扱いにつき10円を寄付するというプロジェクトを実施し、約142億円を被災地の水産業・農業再生やインフラ復興事業に寄付した。
未曾有の大震災は、社会課題を解決する企業でありたいという思いを、社内全体に強く共有させるきっかけになった。以降、ヤマトでは地域の細かな課題を解決する取り組みも手がけるようになった。
「それまでは全国均質のサービスでお客様のニーズに応えるため、事業の個別カスタマイズは基本的にしない方針。しかし『地域地域の社会課題解決をする』という目的で、舵を切ることができた。これは『小倉イズム』の本質であるとして、社内でも受け入れられたんですね」
例えば、地域に設置された「ネコサポステーション」。高齢化が進む、東京・多摩ニュータウンでは、URなどと共同して団地内に店舗を設け、宅急便の受付やロッカーの設置のほか、スーパーでの買い物代行、見守りサービスなども手掛けている。
サステナブルな物流にも寄与する「標準化」の取り組み
さらに最近、ヤマトが取り組んでいるのが、フィジカルインターネットの推進や、物流の「国際標準化」を進める動きだ。
特に、ヤマトの誇ってきた高品質な保冷配送技術で実現されている「クール宅急便」をベースにした基準を、世界のルール規格であるISO化するという取り組みは、国交省や経産省をはじめとした産官連携により3年半かけて成し遂げられた。
「どんな業界でも、国際的なルール作りで圧倒的な存在感を示してきたのはヨーロッパ。産業界だけでなくスポーツもそうで、柔道のルールでさえ今やフランスが主導している状態になってしまった。物流分野で、日本が先導して国際的なルール作りができたのは大きな成果だ」
この国際標準化により、高い品質を維持したまま、小口保冷輸送を世界で展開する土壌が整った。それはヤマトという企業の競争優位性を国際的に保つだけでなく、新しい市場への技術投資を呼び込むことで、オープンイノベーションを加速する効果も期待できる取り組みだった。
そして、世界の人々の暮らしを支える物流、その巨人であるからこそ考えなければならない問題がもう一つある。サステナビリティだ。輸送時の燃料や、保冷に使うための電力など、CO2排出量も多い物流は、地球環境に対して大きな負荷となっている。しかし、今や物流はインフラとなり、それが止まれば世界の経済が止まってしまう。
「宅配ビジネスは生活スタイルを大きく変えてきた。例えば手ぶら文化や、産地直送で新鮮なものが届くことなど。僕は必然的な人間のニーズだと思う。だから、これをいかに地球環境にもやさしく、かつ世界の人たちが安心して使えるサービスとして、コストもCO2の排出も抑えるという勝負になる」
環境への負担を軽減するという点で、標準化は大きな役割を果たす。例えば、物流企業同士が、他社のトラックや倉庫を共有することで、余分なトラックや保管施設を減らすことができる。また、フィジカルインターネットによって輸送ルートが効率化されれば、保冷輸送を含めたあらゆる荷物を運ぶのにかかる総エネルギー量を、さらに削減することができるのだ。
しかし、物流の標準化は産業界だけで達成できることではない。ルール作りをする政府や団体、他の業界を含めた日本全体、世界各国での連携が必要となってきている。一緒に「大きな枠組み」を作り、物流の高度化、サステナブルな経営を目指す時代になったのだ。
「産官の連携という大きな枠組みが、物流の高度化、サステナブルな経営の点で必ず必要になる。昔のように『お上』頼みではないし、官の力にねじ伏せられるのとも違う。サステナビリティ、ESG、SDGsの諸課題の中でも、国レベルで連携することが必須なものがある。我々は国の大きな施策と連携をして、国に働きかけをしていく活動を継続しないといけないと思う」
(執筆:相部匡佑、小宮山俊太郎、向山淳 編集:泉谷由梨子)