東京パラリンピックが9月5日に閉幕した。
自国開催なので、いつものパラリンピックと違って圧倒的にテレビ中継や報道される量が多かった。無観客ではあるが、当然ながら時差がないのでテレビ観戦しやすい。そんなパラ熱をリードしていたのが、人気競技のひとつバスケットボールだ。女子は6位、男子は銀メダルと大健闘した。
予選リーグのオーストラリア戦でチーム最多16得点した北田千尋は、好成績の理由のひとつにオリンピックで銀メダルを獲得した女子日本代表を挙げ、「小さくても勝てると勇気づけられた。同じ日本人でできるのだから自分たちでもできる」コメントしている。
欧米の選手たちと身長の高さなどフィジカル面で劣る日本人は、バスケットボールやサッカー、ラグビーといった対人のボールゲームでは圧倒的に不利だと言われてきた。車いす競技もそこは同じだ。したがって、一足先にオリンピックでそのハンディを跳ね返した日本女子の快挙は、東京2020最大のサプライズと言っていいくらいだ。
エントリー12人全員がオリンピックのコートに立ち一丸となって勝ち進んだ日本だが、スポーツ紙の記者時代から30年間女子バスケットを見続けてきた筆者は、宮澤夕貴(28=富士通レッドウェーブ)を立役者のひとりに挙げたい。183センチとチームで3番目の高身長ながら、弾かれた弓矢のようなフォームから繰り出すワンハンドのショットで何度もチームの窮地を救った。
ベルギーの逆転劇。チーム最多の活躍
特に圧巻だったのは、準々決勝のベルギー戦だろう。日本が得意とするファーストブレーク(速攻)がほぼゼロと持ち味を消され劣勢のなか、宮澤はスリーポイントシュート(以下3P)7本を決めチーム最多の21点を挙げた。残り15秒で林咲希が起死回生の3Pを決め勝利したが、逆転劇のシナリオは宮澤の活躍なしでは描けなかったはずだ。
しかも、宮澤はベルギーのエースで身長193センチと自分より10センチも高いエマ・メーセマン(28)にマークされていた。
「メーセマンはそんなに動ける選手ではないので、(試合の)最初から(3Pを)狙っていこうと思ってました」
宮澤が言うように、身長が高い選手はそのぶん速く動けない。ドリブルで抜かれたくない意識が働くため、間合いを詰めてこない。トム・ホーバス女子日本代表監督からも大会前から大きな選手にマークされても「逆に相手を油断させられるからシュートを打てるよ」と言われていた。自信をもって打てた。
ディフェンスに見立てた190センチから2メートル以上の高さで調節できる「ハンズアップディフェンス型マネキン」を、シュートを打てば指先がさわるくらいの距離に立て、シュート練習を繰り返した。準決勝のフランス戦でもチーム2番目の14得点と、ほとんど出番なしで終わった2016年リオデジャネイロ大会から大きく成長した姿を見せた。
「宮澤なら決めてくれる」
五輪の活躍で注目され、テレビなどメディアへの露出も増えた。そこでよく受けるのが「シュート練習は一日何本ですか?」という質問だ。だが、世界トップレベルのシューターになると、シューティングスキルを磨くために本数を決めた練習はしない。
「試合で絶対に入るという自信をつけるために練習します。なぜなら仲間はちゃんと見ています。試合で私にパスする選手も、シュート練習をやっていないシューターにパスは出しません。あの選手はあれだけ努力してたんだから、絶対決めてくれると信じてパスを出してくれる」
アシスト王になった町田瑠唯らチームメイトは、そんな宮澤の人間性やメンタリティを信じてパスを出す。仲間の信頼を感じながら、その気持ちごと宮澤はネットに沈めるのだ。
「アース(宮澤)なら決めてくれる、アースが打って入らなかったのならしょうがないと思ってくれるかどうか。そんなことも意識しているし、相手がこう来るからこうしたらいいのでは?と仲間にも伝えます。トムさんに言われるがままやっているわけじゃない。自分で考えながらバスケットをしているつもりです」
五輪後、ホーバス監督の熱血ぶりが注目される向きもあるが、選手らは主体的に自分たちでゲームをコントロールしていた。宮澤は自分たちの守備が相手に対応されていると感じ、タイムアウトの際に恩塚亨アシスタントコーチに「うまくいってないから違うのをやっていいですか?」と提案したそうだ。戦術の変更を発言できる選手がいたうえに、それがウエルカムだった。そんな空気感も、偉業達成の理由に違いない。
コートネームは天照大御神からとった
上述したように宮澤のコートネーム(女子バスケット独自の文化で選手の愛称)は「アース」。地球(EARTH)のアースではなく、宮澤の「宮」から天照大御神(あまてらすおおみかみ)につながり、天照のアとスをとって「アース」になった。
この複雑かつユニークな名前は、神奈川県立金沢総合高校時代の監督だった星澤純一さんにつけてもらった。代表クラスの選手がほぼ強豪私立高校出身で占められる日本の女子バスケット界において、非常に珍しい公立高校の出身だ。
宮澤が高校時代を過ごしたのは2008から11年度で、教育・スポーツ界で体罰根絶宣言がなされた2013年より前の時代。当時、行き過ぎた厳しい指導や過度な練習量に対するスポーツ界の問題意識が今よりも薄かった時代だったが、そうしたものとは無縁で育った。世界の舞台でパスを出してもらえる人間性も磨いた。
「先生に教わったからこそ身につけたことは数えきれません。ひとつ挙げるとすれば、常に考えて行動しろと言われたことでしょうか。コートの上でも、私生活でも、そこを大事にしろとおっしゃってて。それは今も生きています。高校の時は毎日、毎日、バスケが上手くなるのを実感していた。本当に充実した3年間でした」
週1は必ずオフ。練習は2時間弱と強豪他校に比べて圧倒的に短かった。公立高校とあって、フルコートの4分の1と他の部活動と平等な環境しか与えられなかった。だが、朝から夜まで部活漬けの環境ではなかったからこそ、余裕を持てた。勉強も頑張れた。成績はほぼオール5。自分を顧みることもできた。
恩師「公立出身でも世界の舞台で活躍できる」
五輪期間中、宮澤と毎日のようにメールを交換したという星澤さんは「公立高校出身でも世界の舞台で活躍できるのだと示してくれた。多くの高校生に勇気を与えてくれたと思います」と顔をほころばせた。公立ながら、全国高校総体、ウインターカップとチームを優勝に導いた名伯楽は現在、指導の第一線を退いたものの、講習会など指導者育成に尽力している。
「宮澤は中学からすごく成績も良かった。頭脳明晰、性格もめちゃめちゃいい子です。3年生の6月ごろに僕のところに、自分からキャプテンをやらせてほしいと言いに来ました。そこから自覚が出てきたというか、一皮むけましたね。彼女にとってひとつのターニングポイントだったと思います」
星澤さんいわく「シュートはメンタルが影響する」。落とした時に、コーチが「おい!」とか「何やってるんだ!」などと言ってしまうと、選手は委縮してしまう。弱気になってシュートのタイミングを逸したとしても、星澤さんは決して「何で打たないんだ」とか「入れてきなよ」と威圧的にならず、「アース、打ってきなよ。打たないと始まらないよ」と声をかけた。当時は「星澤先生は選手に甘い」「異端」と揶揄された指導が、銀メダルにつながったのだ。
反対の声に悩んだ「ネットニュース毎日見てた」
東京2020で大きくステップアップした宮澤だが、五輪開幕前は「この状況でプレーしていいのか」と悩んだと明かす。
「ネットニュースを毎日見ていましたが、(五輪開催に)反対意見が多かった。プレーしていいのかなと悩みました。応援してくれるのかな?と不安だったけど、目の前の練習や合宿を頑張らなきゃいけないしと葛藤がありました。大会途中から感染者がどんどん増えているのも知っていました。でも、試合が始まったら、SNSやネットニュースのコメントに、元気が出たとか、頑張ってという声があふれてて。逆に勇気をもらいました」
「女子バスケ」は予選リーグ中の7月27日から、初の決勝進出を決めた8月6日までに9回もTwitter のトレンド入り。10万回以上ツイートされていた。
「でも、(決勝の)アメリカには叶わなかった。予想もつかないところから手が出てきてシュートブロックされますから。ドライブやジャンプショットなど、よりプレーの幅を広げてパリ大会こそ優勝したい」
宮澤はすでに3年後に向かっている。