新型コロナウイルスの感染拡大が続き、経済的にも追い詰められる人が増えるなか、生活困窮者らに炊き出しや食料支援を続けるムスリムたちがいる。彼らの行動力の「原点」とは。
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東京オリンピックで世の中がわいていた7月24日、夕暮れの東京・池袋の公園には、額に汗をにじませながら、大鍋に入ったカレーを皿に盛る外国人ムスリムや大学生の姿があった。
東京・大塚のイスラム教のモスク「マスジド大塚」が、NPOと月1回実施するホームレスらへの炊き出し支援だ。
「朝から何も食べていないという人もいますから、温かいごはんを食べてもらえるのは嬉しいですね」。そう話すのは、パキスタン出身で、マスジド大塚の事務局長を務めるクレイシ・ハールーンさんだ。
この日炊き出しに並んだ人数は、コロナ感染拡大以降で最高の392人。2019年は平均166人だったが、2020年には平均237人に増え、2021年はさらに高い水準が続いている。

師走の晩に鳴った電話
コロナ禍の生活困窮者の増加を受け、マスジド大塚は2021年、地域や信者から食料を集めて地域の子ども食堂や困窮する大学生らに配給する「フードドライブ」も立ち上げた。食料の一部はモスクにも残しておく。なぜなら、モスクに直接食料を求めにくる人が絶えないからだ。
2020年暮れには、見知らぬ日本人男性から「貯金が尽きて、食べ物がない」と突然電話がかかってきた。男性は新型コロナの影響で失業。会社の寮を出ることになり、路上生活を送っていたという。
「『今どこにいるんですか?』って聞いたら、練馬の公園にいると言うんですね。私たちには日本で暮らすムスリムのネットワークがありますから、公園の近くに住んでいる友人に電話をして『ご飯を持っていってもらえないか?』とお願いしました。それで、その友人が彼に夕飯を届けてくれたのです」。ハールーンさんはそう振り返る。
助けを求めてくる人には、誰にでも手を差し伸べてきた。難民や過酷な労働環境から逃げてきた技能実習生を保護したこともある。
ハールーンさんは「困っている人を目の前に、宗教や肌の色、言葉、国の違いは関係ありません」ときっぱり言う。
「それぞれ人には言えない大変な境遇があるのだから」と詳しい事情を聞くこともない。必要とするものを渡して、「困ったらまたいつでも来るように」と送り出す。
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困った人に手を差し伸べるのは、ムスリムの義務
ムスリムたちの行動力を支えるのは何か。ハールーンさんはひと言、こう答えた。
「これが私たちのジハードだから」。
イスラム教の経典「コーラン」では、「両親に孝行し、親戚、孤児、貧者、隣人、旅人などにも善行を尽くせ」(第4章・婦人章・第36節)と説かれている。
「ジハード」とは、そうしたイスラムの教えに対して「努力すること」を意味し、ムスリムの義務とされる。
日本では「聖戦」と訳されることも多い「ジハード」。一部のムスリムが「テロ行為」を正当化する根拠などとして使うこともある。しかし、それはジハードの本来の理解とはかけ離れたものだ。
ハールーンさんは、父の背中からジハードを学んだという。化学者だった父は定年退職を迎えると「教育のジハードをする」と言って、パキスタンに貧しい子どもための学校を建てた。
「社会の役に立つために自分ができる最大限の努力をすること。それが私が父から習ったジハードです」
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「モスクに武器を隠しているのでは」9.11で経験した中傷
日本で「ジハード」に対する誤ったイメージがあるように、日本社会ではイスラム教への無知や偏見もある。
とりわけ2001年に米国で同時多発テロが起きた直後は、マスジド大塚の信者たちの多くが、いわれなき中傷に苦しんだ。「モスクに武器を隠しているのではないか」と疑いの目を向けられたこともある。
ハールーンさんの当時小学生だった息子は、友人から「怖い」「殺されるかもしれない」と言われた。親として学校に相談することもできたが、「悪いのはその友だちではなく、偏ったイメージを伝えるメディアや大人」と考え、代わりに息子にムスリムとしての誇りと責任をこう説いた。
「イスラムとはアラビア語で『平和』という意味です。罪のない人を殺すのはイスラムで許されてはいない。あなたがムスリムならば、人を殺すのではなく助けてあげなければいけません」
そして、商店街のお祭でカレーを振る舞うなど、地域との交流を地道に続けてきた。
東日本大震災をきっかけに広がった理解の輪
転機となったのは、東日本大震災だ。
ハールーンさんらは震災翌日に被災地に駆けつけ、ライフラインが寸断された各地の避難所を回った。毎日何百ものおにぎりを被災地に届けたが、足りない。そこで商店街に協力を求めると「喜んで」と応じてもらえた。それまで警戒してモスクの前を通るのを避けていたという高齢女性も、モスクに入って、一緒におにぎりを握ったという。
ハールーンさんは「地域との壁が少しずつ溶けていった」と当時を振り返る。
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東日本大震災後の2012年に開始したホームレスへの炊き出し支援も、2022年に10年を迎える。少しずつだが、マスジド大塚への理解が広がっているのを感じるという。最近では、炊き出しやフードドライブの活動に、ムスリムではない日本人大学生も参加するようになった。
「次の世代にどんどん任せていきたい」とハールーンさん。
これからも地域に根ざしながら、これからもムスリムとしての生き方を実践していくつもりだ。